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月光に触れる剣  作者: 水色蛍
神殺しの月光と夜明けの理
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『夜明の神話考――白銀の断絶と死の復権』

 もし死が失われたなら、生はなお生たり得るのだろうか。


 その問いに、ひとつの古い神話が答えを残している。


 私が各地の禁書庫、朽ちた石碑、忘れ去られた口承より拾い集めた断片は、皆ひとりの剣士の名の元へ収束した。


 銀の髪、閉ざされた瞳、そして万象の理を断つ白き刃。


 以下に記すは、そのものが世界へ『死』を還したとされる伝承である。


 *


『夜明の神話考――白銀の断絶と死の復権』


「死の不在」という概念は、今日を生きる我々にとって、狂気に近き甘美なる夢想に過ぎぬ。


 然れども、第三紀以前の古文書や散逸した碑文を紐解けば、東方の深き霧の奥に「エヴァリア」なる小国が存在したとの記述が散見される。


 伝承によれば、この国の民は太古の昔、迫り来る死の恐怖から逃れるべく、夜の帳より降臨した月の女神と約定を交わしたとされている。


 女神は彼らから死を摘み取り、永遠なる「再生の加護」を与えた。


 だが、神の奇跡には等価の代償が伴うのが世の理である。


 民は、肉体が朽ちずとも魂が摩耗し、再生の果てに歪みゆく己の醜悪な姿を直視せぬよう、生来の「視覚」を奉納したという。


 斯くして、太陽の光さえ届かぬ銀色の霧に閉ざされた、盲目の楽園が誕生した。


 後世の歴史家である我々から見れば、この「終わらぬ生」は祝福などではなく、変化を拒絶した永劫の牢獄に他ならない。


 無限に引き延ばされた時間は、やがて人から感情の色彩を剥奪し、変化できぬ定数としての肉の塊へと彼らを固定していった。


 故に、この停滞せる箱庭には、唯一「剣」を帯びることを許された特異な一族が存在した。


 彼らは表向きには国の守護者と称されたが、その実態は、過剰な再生によって理を逸脱し、暴走する同胞を物理的に制止し、強制的な「凪」へと引き戻す、忌むべき「処刑人」であったと仄聞そくぶんする。


 その血脈に、一人の銀髪の少女がいた。


 亡き伝承にある小国の名を継ぐ、その名をアイリス・ルナリス・エヴァリアと伝う。


 盲目にして一族随一の剣技を持つ彼女は、ある日、自らの振るう刃が対象の再生を妨げ、「完全なる沈黙」を現出させた刹那、隠匿されていた真実――すなわち「死は存在せぬのではなく、隠されているに過ぎない」という事象――を悟るに至る。


 己が幾星霜のあいだ縋り付いてきた加護の正体に懐疑を抱いた彼女は、愛すべき停滞を捨て、真なる終わりの手触り、ひいては「自己は生きているのか、それとも終われないだけなのか」という形而上学的な問いの答えを求めて、外界へと踏み出したのである。


 彼女の外界での足跡は、諸国の暗部に深く、そして峻烈な疵痕きずあととして記録されている。


 不治の病と大罪人が集う死の吹き溜まり「エンド・ロア」においては、死を渇望しながらも死に拒絶され、肥大化した肉塊と化した異形に対し、彼女の一族に伝わる『始祖の剣』を以て絶対的な虚無を突きつけ、真の安息という名の救済を付与した。


 また、黄金の欲望が支配し、命の価値を金貨に換算する交易都市「フェルゼン」にあっては、貧者の寿命を不当に買い叩き、支配層の延命のために稼働していた巨大な「呼吸する地下書庫」を物理的に崩壊せしめた。


 命を数字と見做す傲慢なギルドの帝国を瓦解に導いたその所業は、死を奪われた者たちへの苛烈なる鎮魂歌であったと言えよう。


 さらに、命の循環を是とし、死を未来への贈与として尊ぶ豊穣の国「カナンリス」では、性急な死を強要し、若き命を効率的に刈り取ろうとした急進派の独善的革命を退け、正しき「還り」の尊厳を護持した。


 果ては、石の壁に不変を求めた東方の最果ての国「ゼニト」に至り、変化を恐れ時を固定した最高指揮官カウス・アドラーの呪縛を解き放ち、その地に幾星霜ぶりの「巡る季節」を取り戻したとされる。


 少女がこれら数多の「終わり」に触れ、死とは虚無への回帰にあらず、誰かの記憶へ場所を移し、明日へと物語を託すための「聖なる句読点」であるという真理を見出していた頃。


 故郷エヴァリアは、フェルゼンを追われた強欲なる執政官の侵攻を受け、崩壊の危機に瀕していた。


 急ぎ帰還した彼女を待っていたのは、限界を迎えた加護の暴走と、民を地獄から救うために自ら女神の祈りを全て引き受け、異形の神(依代)へと成り果てた実の父の姿であった。


 父は、国を数千年縛り続けてきた不死の呪縛を終わらせるため、娘である彼女に自らを斬らせる道を選んだのである。


 神話は斯く語る。


 銀髪の剣士は、一族の秘宝たる『始祖の剣』を以て、父たる神の理を根底から断ち切った。


 それは物理的な肉体の切断などではなく、エヴァリアという空間を縛り付けていた「不死の契約」という概念そのものを白紙に還す、絶対的なる「無」の行使であった。


 斯くして、天蓋を覆っていた白濁の霧は晴れ渡り、偽りの楽園に初めて本物の月光が降り注いだ。


 盲目の民たちは、不死という呪縛を喪い、傷つき、老い、そしていずれ死を迎えるという、当たり前で残酷な「人間としての尊厳」を遂に取り戻したのである。


 今日、エヴァリアの故地とされる深き森の奥には、錆びることのない一振りの鉄の剣が、血に汚れることなく純白の輝きを放ちながら祭壇に眠っていると伝えられる。


 神殺しの業を成し遂げ、世界に「正しい終わり」を還した彼女が、その後いずこへ去り、如何なる生を全うしたのか。正史は重い沈黙を守っている。


 然れども、我々が今、限りある命の脆さに涙し、死を悼み、明日という不確かな光を愛おしく思う時。


 そこには確かに、永遠の牢獄を斬り裂いた一人の盲目の剣士が残した「美しい終わり」の残響が息づいている。


 死とは、忌むべき虚無にはあらず。


 生という不完全なる物語を完成せしめる、気高くも優しき月光なのだ。

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