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7/12

散った飛沫は誰の血か

春の陽射しは柔らかいのに、学寮の空気は張り詰めていた。


夜会の一件以来、白鷺萌乃は以前にも増して周囲に囲まれている。


慰める声、労わる視線、同情の囁き。


――可哀想な萌乃様。

――あんな疑いをかけられて。


脚本が修正されたのではない。


書き換えられたのだ。


そして今日。


透歌は萌乃から直々に呼び出しを受けた。


場所は、人気の少ない温室。


「透歌様、お一人で」


その指定に、透歌は微笑んだ。


「宵」


「はい、透歌様」


「温室の外で待機なさい」


「承知いたしました」


宵は何も言わない。


止めもしない。


ただ一礼する。


その瞳はいつも通り、冷静で、深い。


(あなたは分かっているのね)


透歌は温室の扉を開けた。


湿った空気。


咲きかけの白百合の香り。


中央に立つ萌乃は、今日も無垢な笑顔を浮かべていた。


「お忙しいのに、ごめんなさい」


「構いませんわ」


透歌は距離を保ったまま立つ。


「ご用件は?」


萌乃は少し俯き、そして顔を上げた。

その瞳には――憎悪が宿っている。


「どうして、邪魔をするの?」


空気が変わる。


「あなたがいると、物語が進まない」


透歌の鼓動が一拍、強く打つ。


(やはり)


「何のことかしら」


「とぼけないで」


萌乃の声が低くなる。


「あなたは悪役なの。断罪されるの。処刑されるの。それで終わるはずだった」


温室のガラスに陽光が反射し、彼女の顔を歪める。


「なのに、どうして笑っているの?」


透歌は静かに答えた。


「わたくしは、わたくしの人生を生きているだけです」


「違う!」


萌乃が叫ぶ。


「あなたは物語の装置なのよ!」


その瞬間。


萌乃の手が、素早く袖口へ伸びた。


銀色の光。


小さなナイフ。


透歌が反応するよりも早く。


萌乃は――自分の腕を切り裂いた。


「……っ!」


鮮血が白い袖を染める。


次の瞬間。


「きゃああああああ!」


悲鳴。


温室の扉が開く音。


足音。


萌乃は、透歌の方へ倒れ込む。


血に濡れた手で、透歌の袖を掴む。


「透歌様……どうして……」


涙。


震える声。


完璧な演技。


学寮生たちが息を呑む。

その中に――朝霧千隼もいた。


「何があった!」


萌乃がか細く言う。


「わたし……透歌様に……」


それ以上言わない。


だが、十分。


透歌の袖には血が付着している。


状況は、最悪だった。


(ここで取り乱せば、終わり)


透歌は深く息を吸う。


「わたくしは――」


「透歌様」


静かな声が、割って入る。


宵。


いつの間にか、温室の中にいた。


学内では常に一定距離を保つ彼が、今は透歌の斜め後ろに立つ。


「発言の前に、確認を」


冷静な声音。


千隼が睨む。


「楼來、これはどういうことだ」


「事実のみ申し上げます」


宵は一歩進む。


「萌乃様の傷は、浅く、横一文字。自傷の角度です」


ざわめき。


「透歌様との距離は三歩。刃が届く位置ではございません」


「……黙れ」


千隼が低く言う。


「貴様は彼女の従者だ。庇うのは当然だろう」


宵は一瞬も怯まない。


「では、物証を」


袖から布を取り出す。


「温室入口付近に落ちておりました」


血の付着した小型ナイフ。


持ち手には――萌乃の紋章。


空気が凍る。


萌乃の瞳が、ほんの僅かに揺れた。


だがすぐに涙で曇る。


「違う……そんな……」


弱々しく首を振る。


完璧だ。


演技としては。


千隼の視線が、透歌と萌乃の間で揺れる。

信じたいのは、どちらか。


透歌は、その揺らぎを見た。


(殿下は、まだ選べない)


「わたくしは何もしておりません」


透歌は静かに言う。


「ですが、萌乃様が傷ついた事実は重い」


視線を萌乃へ向ける。


「お大事になさって」


冷たいほどに、落ち着いた声音。


同情も怒りもない。


萌乃の頬が引き攣る。


思惑が、ずれた。

透歌が崩れない。


断罪の舞台が完成しない。


千隼が命じる。


「萌乃を医務室へ。……透歌は、後で話を聞く」


疑いは、消えていない。


ただ、確定しなかっただけ。


それで十分だった。


「宵」


「なんでしょう?」


「学内裁定会が開かれるわ。勝ちに行くわよ」


「仰せのままに」


8歳の少年少女はにやりと笑いあった。

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