第3章 同盟 ― 帝国の輪郭
午前三時、神谷蓮のオフィス。
東京の街は眠りを拒んでいる。
窓の外を、タクシーのヘッドライトがゆっくりと流れていく。
成瀬沙耶は無言でコーヒーを飲み干した。
夜通しの取材にも、緊張は解けていない。
「……あなたの事務所、なぜここまで急成長できたの?」
彼女の声は静かだったが、刃のように鋭かった。
蓮はソファに背を預け、目を閉じた。
「運と人脈、そして――金だ」
「金で買えないものは?」
「ない。少なくとも、この国では」
彼の答えは淡々としていた。
虚勢でも誇張でもない。
実際、〈RAYN Production〉の急成長は異常だった。
数年で地上波ドラマ・映画の主演を次々と取り、音楽・CM・SNSを完全に支配した。
沙耶はタブレットを取り出し、数枚の契約書を映した。
「あなたの事務所と広告代理店《NSDコミュニケーションズ》との共同契約書。
そのスポンサーには、国交省の外郭団体、さらにその背後には――某建設会社がある」
「で?」
「その会社、裏では政治献金を隠すために“芸能案件”を使って資金洗浄をしてる」
蓮の目が開く。
その瞳には、わずかに警戒の色。
「……そこまで嗅ぎつけてるとはな」
「星野あかりの“案件”も、その流れのひとつ。彼女を通じて接触した政治家がいた」
「名前は?」
「まだ出せない。証拠がないから」
沈黙が流れた。
蓮はテーブルの上にタブレットを置き、低く言った。
「お前は危ない橋を渡ってる」
「怖いのは、あんたたちの方よ」
「俺を脅しているのか?」
「違う。協力してほしいの」
その言葉に、蓮の表情がわずかに緩んだ。
「協力?」
「あなたが作った“美の帝国”の裏側を、私は暴きたい。
でも、あんたの内部情報がなきゃ辿り着けない」
「そして俺がそれを差し出す理由は?」
「星野あかり。彼女はまだ生きてる。彼女を救いたいなら、私と組むしかない」
蓮は立ち上がり、窓辺へ歩いた。
夜明け前の渋谷。
その下で、広告看板が巨大な女優の笑顔を照らしている。
それは、彼が創った「神」だった。
「……俺の帝国を潰したいのか?」
「潰したいんじゃない。真実を見せたいの」
蓮は静かに笑った。
「理想主義者だな。だが、嫌いじゃない」
彼はデスクの引き出しから一枚の名刺を取り出し、差し出した。
そこには「白神 義孝・内閣官房付 特別補佐官」と印字されていた。
「彼が帝国の“資金源”だ。政権に最も近い男。
俺のタレントを通じて、彼は官僚や企業の動向を掴む。
情報を“共有”する代わりに、俺は庇護を得る」
「つまり――情報と美の交換」
「そうだ」
沙耶は息を呑んだ。
「あなた、まるでスパイ組織ね」
「違う。これは“市場”だ。欲望を売り、情報を買う。
国も企業も、結局はそれで動いてる」
沙耶はその言葉をノートに書き留めた。
彼の冷徹さに、なぜか妙な説得力があった。
「白神って人、どこに会える?」
「簡単じゃない。……だが、俺が繋げてやる」
「どうやって?」
「明晩、虎ノ門のホテル“グランパレス”。内閣関係者の懇親会がある。
俺のタレントが司会を務める」
「取材できる?」
「条件がある」
「何?」
「俺の名前を出すな。何があっても」
沙耶は少し考え、頷いた。
「わかった。でも、ひとつ聞かせて」
「……なんだ」
「あなたは、何のためにこんな帝国を作ったの?」
蓮はしばらく沈黙し、窓の外を見つめた。
「愛されたかった。ただ、それだけだ」
沙耶は言葉を失った。
次の瞬間、蓮の携帯が震えた。
着信名――《藤堂》。
「……はい」
『社長、問題が起きました。Elysiaの映像が外部に流出しました。週刊誌か、それとも……』
蓮の顔色が変わる。
「止めろ。どんな手を使ってもだ」
『……もう遅いかもしれません。SNSで拡散が始まっています』
蓮は受話器をゆっくり置いた。
帝国に、最初の“亀裂”が走った音がした。