第12章 最終潜入 ― 帝国の心臓部
夜の六本木ヒルズ。
午前2時。
街の光がすべて消えたように静まり返る時間。
神谷蓮が築いた帝国――芸能事務所《RAYS》の本社ビル。
今、その最上階に向かって、ひとりの女が無音で進んでいた。
沙耶だ。
黒いジャケットに身を包み、髪を後ろで束ねている。
足音ひとつ立てず、暗闇を切り裂くように進む。
ポケットの中には、藤堂が残した最後のデバイス。
そこには、RAYS内部データの暗号鍵が組み込まれている。
藤堂は命を懸けて、この鍵を守り、沙耶に託した。
■ 無人のフロア
静まり返った廊下に、わずかに機械の駆動音が響く。
沙耶は指先で壁のセンサーに触れた。
「……反応なし。自動監視が止まってる」
誰かが意図的に、監視網を切った。
RAYSは、表向きは芸能事務所だが、実際には政財界を掌握する情報機関。
データ統括部で得た情報では、
ここ最上階には「本当の中枢」――通称〈HORIZON〉が存在するという。
それは、すべての顧客・警察・政治家の裏データを統合し、
支配と沈黙を維持するための神経網だった。
沙耶はその存在を確かめるため、最上階のセキュリティドアを突破する。
■ 心臓部 ― HORIZON
ドアの先は暗闇。
一歩踏み入れた瞬間、無数のスクリーンが同時に点灯した。
映し出されたのは――
政治家の会食、企業の裏取引、裁判官の密談、芸能人のスキャンダル。
そして、蓮の声。
〈すべての欲望を、記録しろ。それが真実だ〉
その声が、どこからともなく響く。
沙耶は息を呑む。
「……これが、蓮の帝国」
中央の卓上には黒いコンソールが一台。
電源を入れると、画面に藤堂の署名と暗号入力欄が現れた。
沙耶はゆっくりとUSBを挿入し、最後のパスコードを打ち込む。
「Freedom_0219」
画面が一瞬、真っ白に光った。
そして――
〈警告:データベース消去プロトコル起動〉
HORIZONの中枢データが、一斉に消去されていく。
数万件の裏データ、脅迫用の映像、財務記録が、跡形もなく崩壊していく。
■ 対峙
そのとき、背後から声がした。
「やっぱり、ここに来たか」
振り向くと、スーツ姿の男が立っていた。
《RAYS》の取締役・佐久間。
蓮の右腕だった男だ。
「……あんたたちは、もう終わりよ」
沙耶が言う。
佐久間はゆっくりと歩み寄り、薄く笑った。
「終わり? 違う。蓮が残したのは“終わり”じゃない。“仕組み”だ。
たとえデータを消しても、人はまた作る。欲望がある限りな」
その言葉に、沙耶は拳を握る。
「それでも、何もしないよりマシ」
彼女は端末のキーを押し込んだ。
全スクリーンが一斉に消える。
沈黙。
部屋の中には、冷却装置の低い音だけが残った。
■ 崩壊
数分後。
外では、報道ヘリの音が遠くに聞こえる。
RAYS本社のネットワークが停止し、
匿名のネット掲示板に、大量のデータ破棄ログが流出した。
「……終わったの?」
沙耶は呟いた。
佐久間は苦く笑う。
「“終わり”なんて、幻想だよ。君が作った空白を、次の誰かが埋めるだけだ」
その言葉を残して、男は去った。
沙耶は崩れ落ちるように椅子に座り込み、
無音の空間でただ深く息をついた。
■ 朝焼け
夜が明ける。
ビルの外、朝日がゆっくりと昇る。
沙耶はビルの屋上に立ち、風を受けた。
海の向こう、東京湾の光がまぶしい。
ポケットの中には、藤堂の遺した古いメモリチップ。
彼の声が頭の中で蘇る。
〈真実は、誰かが守らなきゃ消える。だが、それを選ぶのは“人間”だ〉
沙耶は静かに頷いた。
「……あなたが守った真実は、私が引き継ぐ」
雲の切れ間から朝の光が射し込み、
彼女の顔を照らした。
その瞳は、もう迷っていなかった。