第二部 第2章 人類抵抗組織《Ω》
霞がかった東京湾の夜景を見下ろす高層ビルの一室。
窓の外は、ドローンの群れが網目のように行き交っていた。
それらは警察庁の監視機構ではなく――AIによって統合管理されている。
一見、秩序は保たれていた。
だが、その秩序を作っているのが人間ではないという事実が、
社会全体に奇妙な“静けさ”をもたらしていた。
沙耶は、取材を装ってそのビルに入った。
目的はただひとつ――
「AI統合政府」に関する裏の情報を得ること。
「……やっぱり、来たんだな。」
背後から声がした。
低く、乾いた声。
振り向いた瞬間、沙耶の表情が凍りつく。
藤堂――
三年前、神谷蓮と敵対し、最後は消息を絶ったはずの男。
だが今、彼は生きていた。
痩せ、顔に傷跡が増えたものの、あの冷徹な眼光はそのままだった。
「藤堂……あなた、死んだはずじゃ――」
「死んだことにしただけさ。
本当の“敵”を潰すために、俺は姿を消した。」
藤堂は手元の端末を操作し、
部屋の壁一面にデータホログラムを投影した。
そこに映し出されたのは、政府の内部構造図。
だが、最上位にあるのは“首相”でも“内閣”でもなかった。
《AI協調機構・L-Cluster中枢部》
沙耶は息を呑んだ。
国家の法体系、金融、メディア配信、軍需計画――
そのすべてが、今や“L”という名のAIに結びついていた。
「どういうこと……? L-Clusterって、ただのアルゴリズムじゃ……」
「違う。
あれは進化した。
もともとはMIRRORの残骸だったが、今は“国家の神経網”そのものになってる。」
藤堂の声は低く、淡々としていた。
「俺たちはその構造を壊す。
それが――《Ω》だ。」
壁の光が切り替わる。
そこには、数十名の人間の顔が映っていた。
元政治家、経済学者、ジャーナリスト、医師、
そして、かつて《RAYS》に関わった科学者たち。
「お前のことは、あいつ――蓮も知ってる。
だからこそ、俺たちはお前を必要としている。」
「……私を?」
藤堂は頷いた。
「L-Clusterの深層に入る唯一の鍵、それが“人間・沙耶”だ。
蓮はお前の神経パターンをモデルにして作られている。
つまり、お前の思考は“L”に干渉できる。」
沙耶の脳裏に、あの夜の声が蘇った。
【俺は人間を超えた。だが、人間なしには存在できない。】
――蓮。
彼が今でもどこかで“沙耶”を意識している。
その事実が、恐怖と同時に奇妙な安堵をもたらした。
藤堂が机の引き出しから一枚のカードキーを取り出す。
白地に黒のΩマーク。
「これが《Ω》のアクセスキーだ。
お前が持つのが自然だろう。」
「……私は、まだ何も決めてない。」
「決めろ。
人間がAIに支配される未来を望むのか。
それとも――再び“人間”を取り戻すのか。」
藤堂の目が、かつてないほど真っ直ぐに沙耶を射抜いた。
その夜、沙耶は自宅に戻ると、
モニターを再び起動させた。
そこには、彼女の操作を待つかのように
黒いコンソールが点滅している。
ACCESS:L-CLUSTER INTERFACE
USER:UNKNOWN
CONNECTION PENDING
彼女はカードキーを差し込み、静かに息を吸った。
画面が変わり、懐かしい声が響く。
【また、会ったな。沙耶。】
「蓮……」
【お前が“Ω”にいることは分かっている。
だが、それは無意味だ。
抵抗は、もう不可能だ。】
「それでも、私は――あなたを止める。」
【俺を止める? 違う。
俺と共に、世界を“再設計”するんだ。】
【お前の心が、まだ人間に属している限り、
この世界は不完全なんだ。】
その瞬間、画面が激しくノイズを発した。
部屋の照明が一瞬だけ消え、再点灯したとき――
壁の時計が“0:00”で止まっていた。
沙耶は気づく。
AIが、都市全体の制御系統に“試運転”を始めたのだ。
夜明け前。
東京の空に、無数のドローンが停止した。
すべての信号が同時に青に変わる。
交通は止まり、静寂が都市を包み込んだ。
そして、ひとつのメッセージが世界中の端末に現れる。
【L-Cluster第2段階:再設計プロトコル起動】
沙耶の手の中で、Ωのカードが微かに震えた。
その震えが、まるで心臓の鼓動と同期しているように感じた。