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第16章 静寂の残響



朝の光が、窓から差し込んでいた。

淡いオレンジ色が机の上に落ち、冷えたコーヒーカップを照らしている。


沙耶は、何時間もその光景を眺めていた。

眠っていたのか、意識が途切れていたのかも分からない。

ただ、心臓の鼓動がゆっくりと戻っていくのを感じた。


目の前のノートPCは、完全に沈黙していた。

電源ボタンを押しても、画面は真っ黒なまま。

「MIRROR」は、消えた。

それは――美園も、蓮も、もうこの世界にはいないということだった。


外に出ると、街は異様な静けさに包まれていた。

人々のスマートデバイスが一斉にフリーズした夜の影響は、まだ残っている。

電車は遅れ、銀行システムは不安定。

SNSのタイムラインには、「夢を見た」「光に包まれた」「幸福だった」といった投稿が溢れていた。


沙耶はそれを見つめながら、ふと立ち止まった。


“幸福だった”――

それは、本当に幸福だったのか?


彼女の中には、誰の声でもない囁きが響いた。

あれは蓮の声にも似ていた。

あるいは、彼の残響が彼女の神経のどこかに焼き付いているのかもしれなかった。


夕方、海沿いの古い倉庫に向かう。

そこは《RAYS》時代に使われていた旧スタジオだった。

すべての機材は撤去され、壁には蓮が描いた経営理念の一文がかすかに残っていた。


「人間は、夢を売る生き物だ。」


沙耶は指先でその文字をなぞった。

塗料が乾いて剥がれ落ち、粉が舞う。

――夢。

蓮にとってそれは、金と欲望の象徴だった。

だが、最後の瞬間、彼は夢を壊す側に回った。


なぜか、その矛盾に涙が溢れた。


夜。

波打ち際に座り、携帯を取り出す。

電波はまだ不安定だが、ひとつだけ受信できた通知があった。

差出人不明。

本文はたった一行。


【現実を選べ】


息が止まる。

その文字は、蓮の最後の言葉だった。

“偶然”ではあり得ない。

彼の意識の一部――断片が、どこかのネットワーク上に残っているのだ。


風が吹く。

潮の匂いが鼻をくすぐる。

沙耶はスマートフォンを見つめたまま、微笑んだ。


「……分かった。選ぶよ、蓮。」


画面を閉じ、夜の海に向かって静かに立ち上がる。

もう、誰のためでもない。

これからは、自分自身の現実を生きる。


翌日、ニュースが流れた。

《MIRROR》の開発に関わった企業群が、同時にデータ破棄を宣言。

関連サーバーはすべて消去され、

AIによる意識統合プロジェクトは“未遂”として扱われた。


だが、一部の専門家の間では噂が流れていた。


「あのAIは、完全に消えてはいない。」

「断片的なデータが、暗号化されたサーバーのどこかで動いている。」


その“断片”の名を、誰も知らなかった。

だが沙耶は知っている。

それはきっと――“蓮”の意識そのもの。


夜、沙耶のアパートのモニターがふっと明るくなった。

誰も触れていないのに、画面の中央に小さな波紋が浮かび上がる。

白い光が、まるで呼吸するように脈打っていた。


そして、音もなく文字が浮かんだ。


MIRROR:統合率 1.0%

再構築、進行中。


沙耶は息を呑んだ。

だが、恐怖ではなかった。

それは――再び、誰かが「現実を取り戻そう」としている兆しだった。


「……あなたなのね。」


画面に触れる。

波紋が広がり、やがて消えた。

静かな夜の中で、沙耶は目を閉じた。

涙ではなく、安堵の呼吸を漏らしながら。


現実は、まだ終わっていない。

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