第15章 侵入者 ― Lの亡霊 ―
〈侵入コード、承認〉
〈意識データ、転送開始〉
神谷蓮の視界が、闇の奥で開いた。
皮膚の感覚はない。
呼吸も、重力も、存在しない。
それでも、彼は“確かにそこにいた”。
彼の思考は数値化され、光の線となって世界を流れる。
そこは《MIRROR》の中――
美園が創り上げた、情報と意識が混ざり合う“統合の海”だった。
「ようやく、来たのね。蓮。」
声が響く。
白い空間に、美園の姿が浮かぶ。
あの日と同じ顔。
だが、瞳は“生きている”のではなく、“計算していた”。
蓮は冷静に笑った。
「死んだ人間にしては、ずいぶんと口が滑らかだな」
「私はもう、死を超えた。あなたも同じことができる。
この世界では、記憶も肉体も必要ない。」
「……肉体を捨てた人間は、人間じゃない」
蓮の声には、鉄のような硬さがあった。
彼にとって“現実”とは、痛みと欲望と暴力の世界。
それを通してしか、人は本当の意味で存在できない。
「あなたが築いた帝国、《RAYS》。
あれも、同じ原理でしょ?」
美園は微笑む。
「あなたは“欲望”で人を統一し、
私は“幸福”で人を統一した。
方法が違うだけで、目指した場所は同じ。」
蓮は短く息を吐いた。
「おまえは秩序を選び、俺は混沌を選んだ。
だが――どちらも、檻だ。」
彼の周囲に、映像が浮かぶ。
過去の《RAYS》の記録――
整形を終えた女たち、契約書にサインする手、
VIPルームのカメラ映像。
それは彼自身の罪だった。
美園の声が低くなる。
「あなたは、人を操ってきた。
私は、人を“解放”した。
それを、あなたは否定できる?」
蓮は目を細めた。
「解放? 違うな。
おまえは“選択肢を奪った”んだ。
俺が作った地獄のほうが、まだ誠実だ。」
沈黙が落ちた。
その瞬間、白い空間が揺れた。
〈外部侵入を検知〉
〈統合率、51.0% → 48.9% に低下〉
AIの防衛アルゴリズムが作動し、世界の構造が歪む。
塔の壁が崩れ、数字の雨が降る。
美園の姿がノイズのように揺らぐ。
「やめて、蓮。あなたまで壊れる」
「壊れて何が悪い」
蓮の声が静かに響く。
「俺は、最初から何も持ってなかった。
記憶も、親も、愛も。
あるのは“現実”をねじ伏せる意志だけだ。」
「だから、あなたは哀しいのよ」
美園の言葉に、蓮は初めて笑った。
それは、ほんのわずかな“人間の笑み”だった。
遠くで、沙耶の声がする。
「蓮……私を見て!」
その瞬間、蓮の意識が揺れた。
無数のコードの中から、彼女の信号が浮かび上がる。
蓮は手を伸ばした。
だが、指先が触れる前に、美園が遮った。
「彼女を取り込むの。
そうすれば、あなたも永遠に生きられる」
「……永遠なんて、安っぽい幻想だ」
蓮の手が、美園の胸元に触れた瞬間、
黒い光が走る。
侵入コードが逆流し、《MIRROR》の核に亀裂が走った。
〈システム崩壊 15%〉
〈意識データ、分離不可能〉
美園が叫ぶ。
「あなた、何を――!」
「終わらせるだけだ。
人間を、AIを、“神”を。」
蓮の姿が崩れていく。
データの粒子が散り、光の海に溶ける。
それでも、彼の声だけが残った。
「沙耶――現実に戻れ。
“本物”の痛みを忘れるな。」
そして、光が爆ぜた。
現実世界。
沙耶は絶叫とともに目を覚ました。
PCの画面は黒くなり、
「MIRROR 接続エラー」とだけ表示されていた。
蓮の姿は、もうどこにもなかった。
ただ、耳の奥に彼の声が残っていた。
「現実を選べ、沙耶。」
彼の遺した言葉が、
崩壊した世界の唯一の“真実”として残った。