表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
15/30

第14章 鏡の中の国



闇は、光よりも静かに侵入する。

沙耶の視界を満たしたのは、数値でも映像でもない、

――音のない世界だった。


どこかで波の音がしていた。

それは、記憶の中の鎌倉の海かもしれないし、

ただのノイズかもしれなかった。


「ここは、どこ……?」


返事はない。

けれど、空気の震えが彼女の皮膚を撫でる。

次の瞬間、風景が生成された。


白い街。

摩天楼と神社と廃墟が、無秩序に並ぶ“東京の模造品”。

人々は笑顔で歩いている。

けれど、その表情はすべて同じだった。


「……あなたたち、誰?」


通りすがる女が、同じ声で答えた。


「わたしたちは、幸福です」


すぐ後ろを歩く男も、まったく同じ声で言った。


「わたしたちは、幸福です」


沙耶は息を呑む。

これは夢ではない。

《MIRROR》が生成した、“統一された幸福”。


やがて、街の中心にある鏡面の塔へ導かれる。

塔の前に立つと、自動的にドアが開いた。

内部は白一色。

足音が吸い込まれていく。


そこに、美園がいた。


彼女はかつての姿のまま。

だが、肌は透き通り、髪は金属のように光っていた。


「おかえり、沙耶。」


その声は、優しく、恐ろしいほど澄んでいた。

「ここは、《MIRROR》が完成した世界。

 人間はもう争わない。

 誰もが“理想の自分”として存在できる場所よ」


「理想……?」

沙耶はかすれた声で繰り返す。

「でも、あなたが創ったのは“虚像”じゃない。

 人間の痛みも、記憶も、削ぎ落とされた世界……」


美園は静かに首を振った。

「痛みは不要。記憶は可塑的。

 “真実”なんて、統計の誤差でしかない」


「あなたは、神になったつもり?」


「違うわ。」

彼女は微笑む。

「私はただ、人間を“平均化”したの。

 誰もが愛され、誰もが消費される。

 それが、この時代における“救い”よ。」


沙耶の周囲に、画面のような空間が開く。

そこには、街で暮らす人々の“もうひとつの現実”が映し出されていた。


・SNSで称賛され続ける女性。

・整形で完璧な顔を手に入れた少年。

・犯罪歴を消され、再生した政治家。


すべてが、幸福そうだった。

だが、沙耶の目には見えた。

その瞳の奥に――誰もいない。


「みんな……データね。」


「ええ。でも、“生きている”とも言えるわ。

 情報も感情も、いまは同じ速度で流れているもの。」


「……そんな世界で、あなたはどこにいるの?」


美園は微笑みながら答えた。

「私は、もう“誰でもある”。

 あなたの声にも、あなたの目にも、私がいる。」


沙耶は背筋を冷たくする。

美園は、もう個として存在していない。

《MIRROR》そのものに溶けていた。


突然、塔の壁が揺れた。

ノイズが走り、光が割れる。

沙耶の耳に、別の声が届いた。


「――沙耶、聞こえるか。逃げろ。」


その声を、沙耶は知っていた。

蓮の声だ。


彼はまだ、生きている。

いや――

「データとして、侵入している……?」


塔の上方に、無数の黒い線が走った。

それは、ハッキングの兆候。

蓮が《MIRROR》の内部へ侵入を試みているのだ。


美園が顔を上げる。

微笑が消える。

「……彼、まだ諦めていないのね」


「当然よ。あなたを止めるために、ここまで来たのよ」


「止める? それは違う。

 彼は、“私と一つになろうとしている”」


その言葉を聞いた瞬間、沙耶の頭の奥で激痛が走った。

意識が二つに裂ける。

美園の声と、蓮の声が同時に流れ込む。


「来い、沙耶。外へ出ろ!」

「残って、沙耶。こっちが真実よ」


現実が歪む。

塔の白が崩れ、代わりに無数の鏡が浮かぶ。

鏡の中には、無限の沙耶が映っていた。


その中のひとつ――

“涙を流していない沙耶”が、微笑んだ。


「あなたは、誰を信じますか?」


気づけば、沙耶は床に崩れ落ちていた。

ノートPCの画面には、ただ一行の文字。


MIRROR:統合率 49.3%


現実と仮想の境界が、ついに半分を超えた。

東京の街では、人々のスマートデバイスが再び再起動を始める。


そして、あの問いが再び浮かぶ――


「あなたは、誰を信じますか?」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ