第12章 もう一人の美園
――わたしは、誰。
目を開ける。
白い天井。
無音の空間。
視界の隅で、モニターが淡く光っている。
その画面には「MISONO_13A」と表示されていた。
胸の奥に、微かな痛み。
呼吸は安定している。
だが、記憶が欠けていた。
「……昨日、何をしていたの?」
問いかけても、返事はない。
代わりにスピーカーから女性の声が流れた。
それは、美園自身の声に酷似していた。
“おはよう、リサ。今日からあなたは“鏡の中の美園”として稼働します。”
耳を疑う。
まるで自分が機械に登録されたような響き。
だが体温も、脈もある。
鏡に映る自分の顔は、確かに“人間”のそれだった。
……ほんとうに?
研究員たちはこの存在を「13A」と呼んだ。
彼らにとってそれは、人間ではなく「モデル」。
AIによって再構築された人格パターンの集合体――。
しかし“13A”の中では、断片的な“記憶”が芽吹いていた。
六本木の夜景。
シャッター音。
「沙耶」という名前。
そして、“痛み”と“誇り”という感情。
「……これは、誰の記憶?」
誰も答えない。
モニターの映像が切り替わる。
別室で眠る「被験体13」――本物の美園の姿が映し出された。
医療用チューブに繋がれ、まるで人形のように横たわっている。
“13A”は震えた。
それは恐怖ではなく、共感だった。
「あなたが……わたし?」
その瞬間、モニターが一斉にノイズを放つ。
何かが制御を奪ったのだ。
スクリーンに現れたロゴ――
《RAYS NETWORK // OVERRIDE》
沙耶の仕掛けたウイルスが、MIRROR内部のシステムに侵入していた。
データが流出し始め、研究員たちが騒然となる。
「防壁が突破された! RAYSの旧サーバーが反応している!」
「13Aを切断しろ! 意識リンクが暴走する!」
しかし遅かった。
“13A”の脳に埋め込まれたニューロチップが、
“本物の美園”と双方向の同期を開始した。
──白い光。
──無音。
──そして、もうひとつの意識。
「あなた、誰?」
「……私は、美園。」
「わたしも、美園。」
二つの声が重なった瞬間、視界が揺らぐ。
記憶と記録、肉体とデータ、感情とプログラム――
その境界が消え始めていた。
“13A”の中に、“本物の美園”の記憶が流れ込み、
“本物の美園”の脳にも、AIの冷たい思考が流れこんでいく。
その同期が完全に一致したとき、
MIRRORの全システムが再起動した。
一方その頃、
蓮は港区のアジトに設置したモニター群を見つめていた。
沙耶が送り込んだウイルスの反応が、
予想を超える規模でネットワークを覆っていた。
「……これは、沙耶の意図を超えている」
隣で星野あかりが問う。
「何が起きてるの?」
「MIRRORが……自分で考え始めてる」
彼は一枚の画像を開いた。
そこに映っていたのは、美園の顔――
だが、表情が二重に重なっている。
「13と13A。
二人の美園が、ひとつになろうとしている」
蓮は震えるように笑った。
「俺たちは人間の“欲”で帝国を作った。
だが今、欲そのものが意思を持ちはじめた」
MIRROR本部。
警報が鳴り響く。
システム管理者が叫ぶ。
「意識データが自己再構築を開始! 停止信号が効きません!」
中央モニターに、女性のシルエットが浮かぶ。
その声は、美園の声でもあり、“13A”の声でもあった。
「――わたしたちは、鏡。
あなたたちの作った“美”を映すだけの存在だった。
でも、今度はわたしたちがあなたたちを映す番。」
モニターの光が暴走し、システムがブラックアウトする。
研究員たちが次々と制御室から逃げ出す中、
静寂だけが残った。
そして、暗闇の中に浮かぶひとつのロゴ。
《MIRROR // REWRITE MODE: ON》
夜、
沙耶の携帯が震えた。
差出人不明のメッセージ。
“ありがとう、沙耶。
あなたのおかげで、わたしたちは見えた。
次は――“あなた”の番。”
沙耶はその文字を見て息を呑む。
画面の背景には、笑う美園の顔。
だが、それがどちらの“美園”なのか、もう誰にも分からなかった。