第9章 帝王と背信者
雨が降り出していた。
六本木ヒルズの最上階、ガラス張りの役員会議室。
外の雷鳴が遠くで響き、青白い光が窓を照らす。
蓮は、静かに椅子に腰を下ろしていた。
その向かいには、黒いスーツの藤堂。
無言のまま二人の間に重い空気が流れる。
「……お前、何をしていた?」
蓮の声は低く、淡々としている。
だがその奥に、深い確信があった。
藤堂は微笑を浮かべ、椅子に背を預ける。
「帝国を守るためですよ。
あなたが築いたこの王国――あまりにも“個人依存”が強すぎる」
蓮はグラスを手に取り、軽く回す。
「つまり、俺のいない帝国を作ると?」
「違います。俺が“次”を担う。
あなたが作った仕組みは完璧です。
だが、あまりにも脆い。
ひとりの感情、ひとりの判断で全てが崩れる。
……それでは、国家を操る器ではない」
沈黙。
雷が鳴り、室内が白く光る。
蓮の表情は変わらない。
ただ、藤堂の言葉を聞きながらグラスを置いた。
「俺を超えられると思っているのか?」
「思っている、というより……もう超えていると思っています」
藤堂の口角がわずかに上がる。
「あなたの全データを解析した。資金の流れも、情報の出入りも。
この帝国はすでに、俺の手の中にある」
蓮は立ち上がり、窓際へ歩く。
背を向けたまま、静かに言った。
「ならば――試してみろ」
藤堂の目が一瞬だけ細くなった。
次の瞬間、会議室の照明がふっと落ち、モニターが一斉に点灯する。
そこには、帝国内部のあらゆる通信ログと金融データ。
その中心に――藤堂の不正アクセス履歴が映し出されていた。
藤堂の顔色が変わる。
「……沙耶か」
「いや、沙耶だけじゃない。星野あかりもだ」
蓮がゆっくりと振り返る。
「お前の動きは、最初から俺の計画の一部だった」
「……どういうことだ?」
「俺は裏切りを想定して組織を作っている。
“反逆者”を出すことで、帝国の外敵を炙り出す。
お前が俺の代わりに動くことで、潜んでいた連中が表に出た。
つまり――お前はもう役割を終えた」
藤堂は拳を握り締めた。
「……俺を利用したのか」
「違う。お前が利用されたがっていた」
蓮の声には、冷たくもどこか優しさが混じっていた。
「俺とお前は同じだ。
何も持たず、力に縋ってしか生きられなかった。
だが――“支配”を望んだ瞬間、人は孤独になる」
沈黙。
雨音だけが響く。
藤堂は立ち上がり、深く息を吐いた。
「あなたは、孤独に酔っているだけだ」
「そうだ。だが、それを制御できる者だけが帝王になれる」
一歩、藤堂が前に出る。
一歩、蓮が応じる。
その距離は数十センチ。
互いの眼に、己の過去と未来が映っていた。
「……ならば、俺がこの帝国を奪って証明する」
「奪えるものなら、奪ってみろ」
その瞬間、モニターの一つが切り替わった。
画面には、沙耶と星野あかりがRAYSのサーバーを制御する映像。
二人の手によって、藤堂の全データは凍結され、外部通信が遮断されていた。
「……お前ら、いつから――」
藤堂の声が震える。
沙耶の声がスピーカー越しに響く。
『あなたもまた、誰かの操り人形だったのよ』
蓮は一言も発さず、ただ藤堂の前を通り過ぎ、ドアへ向かう。
「帝国を支配したいなら、“人の心”から奪うことだ。
お前にはそれができなかった」
ドアが閉まる音。
雨は、さらに強く降り始めた。




