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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

flos † mortem † amantes

作者: 藤村灯

 陽桜(ひお)さんが私に提供(サーブ)する皿。

 2月は白のゼラニウム。

 花言葉は(いつわ)り。優柔不断(ゆうじゅうふだん)。あなたの愛を信じない。


          †


 しらない街のしらない病院。

 包帯(ほうたい)まみれで白く汚れた私は、死に場所を探していた。

 セキュリティは激甘(げきあま)で、受け付けやナースセンターで呼び止められることもなく、私は(ろう)せずして屋上まで辿(たど)()けた。


 どこまでも青い空の下。

 洗い立てのシーツの群れが、行儀(ぎょうぎ)よく並んで陽の光を()びている。


 不格好(ぶかっこう)な金網は()(めぐ)らされておらず、(あき)れたことに、胸くらいの高さの手摺(てす)りだけが言い訳のように(もう)けられている。


 手摺(てす)()しに地面を見下ろしてみる。

 3階建ての屋上から見下ろす景色は、どうにも中途半端(ちゅうとはんぱ)で。

 下手な落ち方をすれば楽には死ねず、苦しむだけの結果に終わってしまうかもしれない。

 ため息まじりに(きびす)を返し、手摺(てす)りに背を預ける。


 目の前には、車椅子(くるまいす)の少女がいた。

 シーツの海に(はば)まれて、見逃(みのが)してしまったのか。


 私より、2つほど年下だろう。

 薄い桜色(さくらいろ)のパジャマの上に、クリーム色のカーディガンを羽織(はお)っている。

 肌は病的に蒼白(あおじろ)く、肩までの長さの髪も色素(しきそ)が薄い。

 ほんの少しの(あわ)(いろど)りがかえって、背後で()れるシーツより透明(とうめい)な存在に感じさせた。


「飛び降りないの? 順番(じゅんばん)待ってるんだけど」


 大きな榛色(はしばみいろ)(ひとみ)に浮かぶ(かがや)きと、細い声に含まれる()みから、からかわれているのだとすぐに分かった。

 見られてしまった気まずさと、(から)まれる(わずら)わしさに、私が無言で立ち去ろうとすると、すれ違い際に手を(つか)まれた。


「……何?」

(だま)っててあげようか?」


 少女の指の細さと意外なほどの熱っぽさに戸惑(とまど)っていると、病院内に続く開きっぱなしの扉のほうから声がした。


陽桜(ひお)さーん? もう、また勝手に抜け出して」

「ごめんなさい。友達が来てたから、外でお話ししたくって」


 若い女性看護師(じょせいかんごし)が、そっぽを向いた私を怪訝(けげん)な顔で(なが)めているのが分かる。


「天気は良くても風は冷たいんだから、あんまり長話(ながばなし)はダメですよ?」

「はーい。だってさ、帰ろ?」


 邪気(じゃき)はないが欠片(かけら)誠意(せいい)も感じられない、軽い返事をする少女に(うなが)され、私は車椅子(くるまいす)を押し屋上を後にした。


「……(あし)悪いの?」

「ちゃんと歩けるわ。(まわ)りが心配性なだけ」


 見下ろす(うす)い肩と、パジャマから(のぞ)く細い手足から()すに、行き()ぎた心配のようにも見えない。

 視線に気づいたのか、不意(ふい)に彼女は振り向き(たず)ねた。


「名前は?」

「…………茉莉花(まつりか)

「ふうん。教えて、LINE」

「なんであんたに……」

口止(くちど)(りょう)


 結局私は彼女の病室まで介助(かいじょ)を強いられたあげく、個人情報まで(にぎ)られることとなった。

 安崎(あんざき)陽桜(ひお)

 病室のネームプレートで、私は彼女の名前を知った。


          †


 3月の皿にはアルメリア。

 花言葉は同情(どうじょう)共感(きょうかん)。思いやり。


          †


 早朝でも授業中でも夜中でも。

 彼女からのLINEは時間を問わず入るようになった。

 LINEだけでは済まなかった。

 新刊のミステリやスタバの新作など。

 寄り付きたくはなかったが、彼女のリクエストに(こた)え、私は頻繁(ひんぱん)に病室に通うこととになる。


「お金払ってるんだからいいでしょ? 普通はお見舞(みま)いする側が出すものなんだからね」

「来たくて来てるんじゃないよ!」


 陽桜(ひお)さんは、ひと(くち)飲んだ抹茶(まっちゃ)と桜わらびもちフラペチーノを押し付けながら、私のほうじ茶&クラシックティーラテを要求する。

 ケーキやドーナツでも同じことをされるので、病室に来る日はお昼や夕食を抜くはめになる。


「いつも食べきれないんだから、2人分オーダーしないで、単品(たんぴん)シェアにしてよ」

「おねーさんのおかげで、いろいろ新作試せるんだから、WINWIN(ウィンウィン)でしょ?」


 年下かと思っていたのが、後になって2つも歳上だと判明(はんめい)した。体が弱く長期入院(ちょうきにゅういん)しているようだが、どんな病気かは聞き出せていない。


 (はかな)可憐(かれん)見掛(みか)けだが、話していると、どこかざらっとした手触(てざわ)りがある。

 建物への無断侵入(むだんしんにゅう)など、騒ぎ立てられたところで、どうなるものでもない。

 LINEをブロックし、もう病院へ寄り付かなければ良いだけの話だ。


 私がそうしなかったのは、彼女から仄見(ほのみ)える希死念慮(きしねんりょ)が理由だった。


「ねえ、なんであの時、私が飛び降りようとしてるって思ったの?」


 ラズベリーパイの先っぽを(かじ)陽桜(ひお)さんに、いつだか私は(たず)ねてみたことがある。


「わたしも同じだから。……それ、リスカでしょ?」


 ジャムが付かないようにと、上げたブラウスの袖口(そでぐち)から包帯(ほうたい)(のぞ)いているのに気付き、私は無言で(そで)を整える。

 陽桜(ひお)さんはトッピングのラズベリーだけを(つま)まみ、残りの皿を私に押し付けると、パジャマのボタンに指を掛けた。


「どうせ長くは生きられないのに、切り刻まれて傷だらけになるのはイヤなの。ねえ。わたしがいっしょに死んであげようか?」


 彼女の骨が浮くほど薄く蒼白(あおじろ)い胸には、痛々(いたいた)しい手術痕(しゅじゅつこん)が残っていた。


          †


 4月の皿にはクレメオ。

 花言葉は秘密のひととき。


          †


「へぇ、茉莉花(まつりか)。ずいぶんと気が()くようになったのね」


 呼び出しがなくとも病室を(おとず)れるようになった私に、陽桜(ひお)さんは上機嫌(じょうきげん)な顔を見せた。

 お見舞(みま)いの品を手渡しながら、私は曖昧(あいまい)な表情を浮かべるしかない。


 病室にいなかったり、眠っていたり。

 呼び出しを受けていた頃とは違い、最近は訪問の3回に1回しか顔を合わせてはいない。


「食べて平気?」

「平気な分しか食べないよ」


 陽桜(ひお)さんは、(かた)めのプリンの、チェリーと生クリームのトッピングだけを食べ、カップを私によこす。


「今日はちょっと顔色良い? 元気そうだね」

冗談(じょうだん)


 面白くもないと言わんばかりに、すんと表情を消す彼女。

 もちろん(うそ)だ。私は()らぬ気遣(きづか)いをしたと後悔する。


「それよりさ、茉莉花(まつりか)はどこで死にたい?」

「どこでも同じでしょ。死ぬ瞬間(しゅんかん)はぷつっと切れて終わり。(くだ)けようが()ちようが、あとは関係ないじゃない」


 鼻白(はなじろ)んだ私に、陽桜(ひお)さんはわざとらしくため息をつき、(あわ)れむような小馬鹿(こばか)にした表情を浮かべた。


「やれやれ。お子様(こちゃま)だね茉莉花(まつりか)は。わたしみたいにずっとお世話されてる()だとね、終わった後の自分の身体(からだ)、どう(あつか)われるか想像ついちゃうの。飛び降りや飛び込みなんかしたら、見てくれサイアクなだけじゃなく、たくさんの人の迷惑(めいわく)になるでしょ」


 屋上(おくじょう)では、自分だって飛び降りるような物言(ものい)いしてたくせに。


「じゃあ、深い森の奥とか 海の底とか?」

「いいね。そういうの、悪くない」


 悪戯(いたずら)っぽい笑みを浮かべ、陽桜(ひお)さんは操作(そうさ)したスマホの画面を見せた。


真那島水族館(まなしますいぞくかん)ナイトツアー?」


 こんな体調でお出掛(でか)けして良いのかと思ったが、もちろん良くはなかった。

 次の週末の昼下がり。私は陽桜(ひお)さんの脱走(だっそう)共犯者(きょうはんしゃ)にされたのだ。


「大丈夫だって。(しか)られるのは()れっこだから」

「大丈夫じゃないって私は! 病室抜け出して屋上に出るのとは、わけが違うでしょ!?」

「でももう抜け出しちゃったもん」


 黒のフレアスカートにチェックのシャツワンピ。若草色(わかくさいろ)のスプリングコート。私がいつも普段使(ふだんづか)いを(そろ)える量販店で見繕(みつくろ)ったものだ。

 サイズは合っているはずなのにダボついて見える。私が持ち込んだ服に着替えた陽桜(ひお)さんは、それでもいつもより少し大人びて見えた。


「行きつけのお店で(そろ)えたんでしょ? 茉莉花(まつりか)も春らしい色にすれば良いのに」

「私はこれが好きなんです」


 黒のスリムパンツに白のブラウス、黒のベスト。いつものモノトーンコーデに陽桜(ひお)さんは、唇の動きだけで「中二病(ちゅうにびょう)」とケチをつけた。


 はしゃいでいた陽桜(ひお)さんだったが、最寄(もよ)りの駅にたどり着くまでに力尽(ちからつ)き、何度も小休憩(しょうきゅうけい)(はさ)んだ。

 ナイトツアーだけに参加するにしても、入館時間(にゅうかんじかん)には間に合わなければならない。


「やっぱりやめる? いま帰ればちょっと(しぼ)られるだけで済むだろうし」

「イヤ! 同じ怒られるなら、ナイトツアー見ないと意味ないじゃん!」


 息が(あら)い。

 いつも蒼白(あおじろ)(ほほ)()め、駄々(だだ)をこねる陽桜(ひお)さんだったが、飲み物を買った自販機(じはんき)の前にしゃがみ込み、動く気配がない。


「ほら。早くしないと、受付時間(うけつけじかん)過ぎちゃうよ」


 根負(こんま)けした私がしゃがみ込み背を向けると、陽桜(ひお)さんは待っていたかのように、おぶさってきた。


茉莉花(まつりか)優しいから好きー」

「はいはい」


 思った以上に軽い。

 彼女の(うす)い身体から伝わる熱の高さは、奇妙なほど私の胸をざわつかせた。


 何を今さら。

 死にたいふたりが、死の疑似体験(ぎじたいけん)へと向かっているというのに。


茉莉花(まつりか)ぁ」

「なんです?」


 右の首筋に熱い息を感じる。

 続く鋭い痛み。


「いだだだだッ! 何すんの!!?」


 振り落としてやろうかと思ったが、陽桜(ひお)さんは手足を(から)め、しがみ付いて離れない。


「ああもう、血が出てる!」

「自分で傷付けてんだから、わたしが付けてもいいでしょ?」

「いきなり()みついといて、なにその言いぐさ!」

「…………ごめん。ごめんね」


 ()みついた首筋に顔を埋め、陽桜(ひお)さんは(ささや)くように謝罪(しゃざい)の言葉を(つむ)ぐ。


 なんなの、もう。 


 胸の中のもやもやが、熱と共に陽桜(ひお)さんに伝わり、見透(みす)かされてしまったようで。

 水族館に付くまでの私は、まるで暴風雨(ぼうふうう)で荒れる大海原(おおうなばら)に、粗末(そまつ)ないかだで放り出された漂流者(ひょうりゅうしゃ)の気分だった


          †

 

 焦燥(しょうそう)する私の目の前の皿にはスノードロップ。

 花言葉はあなたの死を望みます。


          †


 開始を30分遅らせる手続きをする必要があったが、なんとか受付時間には間に合った。

 体力を温存(おんぞん)した陽桜(ひお)さんは、私に荷物を押し付ける代わりに、イルカの描かれたカップに入ったソーダフロートと、青いソフトクリーム両方(りょうほう)を、ちびちび味わっている。じきにどちらも私に押し付けられることになるだろうけど。


「ずいぶん人が少なくなったね」


 昼の観覧時間(かんらんじかん)が終わり、夜の時間帯(じかんたい)に変わるタイミングで、館内の照明・BGMだけでなく、客層(きゃくそう)も入れ替わった。

 家族連れから若いカップルへ。その中でも希死念慮(きしねんりょ)にまみれた女ふたりは、間違いなく私達だけ。


 光量(こうりょう)(おさ)えた青い水槽(すいそう)を泳ぐ、影絵(かげえ)の魚たち。

 ひときわ暗い通路の両脇(りょうわき)には、タカアシガニやダイオウグソクムシが、無愛想(ぶあいそ)なまま水底(みなぞこ)沈殿(ちんでん)している。


「いいね、こいつら」


 イルカの泳ぐトンネルでも反応の(うす)かった陽桜(ひお)さんが、初めて笑みを浮かべ(ゆび)さした。


「何万トンもの水圧に()(つぶ)されて、真っ暗な中、マリンスノーが()るようなのを期待してたけど」

「カップルが喜ぶ見世物(みせもの)にはならないよ」


 ひとり2枚の毛布を受け取り、寝転(ねころ)がって水槽(すいそう)を眺められるコーナーに入る。


「ひと(ばん)過ごせるイベントもあるそうだけど、さすがにそれは警察呼ばれる騒ぎになるね」


 元気になって、外泊(がいはく)できるようになってから――言いかけて口ごもる。

 陽桜(ひお)さんは元気にはならない。死に場所を探しているんだから。


「さっきの子たち、もう誰にも見られずひっそりとは死ねなくなったね」


 水底(みなぞこ)甲殻類(こうかくるい)たちのことだと気付くまで、少し時間がかかった。

 (つか)れが出たのか、陽桜(ひお)さんは目を閉じている。

 どう(こた)えれば良いのか分からないまま、私は青く照らされる彼女の横顔を見つめる。


 陽桜(ひお)さんのことは最後まで私が見てるよ。


 そう伝えるため手に()れようとしたとき、私は陽桜(ひお)さんの呼吸(こきゅう)がおかしいことに気が付いた。

 けひゅけひゅと()()むような息づかい。


陽桜(ひお)さん?」


 (まゆ)は軽くひそめられ、目蓋(まぶた)は閉じたまま。

 陽桜(ひお)さんは意識を失っている。


 内臓(ないぞう)を冷たい手で(しぼ)られる感覚。

 (のう)が目の前の現実(げんじつ)理解(りかい)(こば)む。


陽桜(ひお)さん、陽桜(ひお)さん!! やだ、死んじゃやだァ!!」


 ()れであるにもかかわらず、(あせ)るだけで役にたたない私は、()()けたスタッフが陽桜(ひお)さんの呼吸を確認し、おっとり(がたな)()け付けた救護員(きゅうごいん)搬送(はんそう)されるまで、ただ取り乱し()(わめ)いていた。


 陽桜(ひお)さんが緊急搬送(きんきゅうはんそう)された先の病院で、私は初めて陽桜(ひお)さんのお母さんと対面した。


「娘がご迷惑をおかけしました」


 罵声(ばせい)()びせられるのを覚悟していた私に、小柄(こがら)なお母さんは深々(ふかぶか)と頭を下げた。

 大事(だいじ)(いた)らず、ベットに寝かされていた陽桜(ひお)さんは、そっぽを向いたまま目を合わせてはくれなかった。


          †


 5月の皿にはテッセンと勿忘草(わすれなぐさ)

 花言葉は甘い束縛(そくばく)。私を忘れないで。


          †


 私が最後に陽桜(ひお)さんと会ってから2週間が過ぎた。


 LINEも途絶(とだ)えたままで、こちらのメッセージも既読(きどく)が付かない。

 意を決して陽桜(ひお)さんの病室――今にして思えば病院ではなく療養所(りょうようしょ)だったのだろう――を(たず)ねてみると、病室のネームプレートは取り外されていた。

 陽桜(ひお)さんと初めて会った屋上で、声を掛けてきた看護師(かんごし)さんを見掛けたが、気付かれる前に逃げ出してしまった。


 取り返しのつかないミスを犯してしまったのは分かるのに、どうすれば良いのかが分からない。

 勉学(べんがく)には身が入らず、かといって手首に(きず)を増やす気にもなれない。


 からっぽな気持ちのまま、胃の底を(あぶ)られるような感覚(かんかく)を味わい続ける私の元に、ようやく陽桜(ひお)さんからのメッセージが届いた。


『じぶんでメッセを送れなくなった時のために、これを書いています。友達への一斉送信(いっせいそうしん)の設定だけど、わがままなわたしには友達は一人しかいません。だから、これを読むのはあなただけです。安心して。』


『はじめてあなたと会ったとき、わたしは、「死にたがりやの馬鹿(ばか)な子がいる」。そう思いました。無理やり生かされているわたしの前に、これ見よがしにリスカ(あと)をつけて現れるなんて。(じょう)(しば)って道連(みちづ)れにしてやろうかとも思ったけど、どうせこの子は死なないだろうなって。』


『だから、もっといい(いや)がらせを思い付きました。「この子に(きず)をつけてやろう。見るたびわたしのことを思い出すから、消えるまでずっとわたしのことを覚えている」。今まで友達なんて作ったことなかったから、うまくできなかったかもだけど、死ぬことに(あこが)れるような子に()()るのは簡単でした。だって、わたしがそうだったから。』


『うまくいったと思っていたのに。』


『失敗したと気付いたのは夜の水族館(すいぞくかん)。あなたが「死んじゃいやだ」と泣いてくれた時です。なかば意識(いしき)はなかったけど、わたしにはちゃんと聞こえていました。とても()ずかしくて、病院ではあなたの顔を見ることができなかったけど。』


『あなたのせいで、わたしは「もうちょっと生きたい」、そう思うようになってしまいました。』


『これから、ずっと()げていた手術を受けます。先延(さきの)ばしにしたせいで、成功率(せいこうりつ)は低くなっているそうですが、自業自得(じごうじとく)なので受け入れます。』



『手術が成功したら、改めてわたしとお友達になって下さい。あなたのセンスはクソダサいので、わたしが服を選んであげます。』





『もしも手術が失敗したら、肩の(きず)が消えるまでの間は、わたしのことを覚えていてください。(()んじゃってごめんなさい)』


          †



イヌホオズキ(嘘つき)

                  

                                 

                          黄色いカーネーション(軽蔑)


     オダマキ(愚か)

                               トリカブト(人間嫌い)



グラジオラス(不誠実)

                            椿(罪を犯す女)


                    黒のチューリップ(わたしを忘れて)



           キンセンカ(別れの悲しみ)

黒百合(呪い)

   

                                           ホテイアオイ(揺れる心)



    

                      紫苑(あなたを忘れない)






         ユーフォルビア(あなたにまた会いたい)


          †


 声を上げて私は泣いた。

 からっぽだと感じたのが(うそ)のように涙があふれ出し、子供のように泣き続けた。


 泣き疲れて眠った私は、起きてすぐシャワーを()び身を(ととのえ)えた。いつもの(くせ)で黒い服に手を()ばしかけ、考え直してすみれ色のワンピースを選んだ。


陽桜(ひお)さんの、安崎(あんざき)陽桜(ひお)さんの住所を教えてください!」

「えぇ~……」


 腹芸(はらげい)なく直接的(ちょくせつてき)個人情報(こじんじょうほう)(たず)ねられ、陽桜(ひお)さんを担当していた看護師(かんごし)さんは、あからさまな当惑(とうわく)を見せた。


「あのね、個人情報保護法こじんじょうほうほごほうってものがあってね、聞かれたからと言って――」

「お願いします!」


 しつこく食い下がる私に構うことなく事務室(じむしつ)に入った看護師(かんごし)さんは、聞こえよがしにぼやきながら、受付窓口(うけつけまどぐち)から(のぞ)けるデスクで事務仕事(じむしごと)を始めた。


「あー、陽桜(ひお)さん急に退院(たいいん)しちゃったから、書類整理(しょるいせいり)出来てなかったなー。えーっと、実家の住所は――」

「ありがとうございます!」

「んー? なんのことかなー?」


 モニタに映し出された安崎家(あんざきけ)の住所を記憶し、病院を飛び出す私に、看護師(かんごし)さんは背中越し親指を立てて見せた。


 ひと駅先。お屋敷(やしき)が並ぶ山の手の区画(くかく)

 親にとっては、娘の悪い遊びに付き合い、死期(しき)を早めた悪友(あくゆう)でしかないかもしれない。

 それでも、一度会った印象だけで、お墓参(はかまい)りを拒絶されるほどの悪印象(あくいんしょう)は、(いだ)かれていないはずだと期待した。


 電車に乗る前に、駅前の花屋に入る。お目当ての花は、探すまでもなく目に付く場所に並んでいた。

 花束を手に電車に()られた私は、スマホに表示した地図を頼りに陽桜(ひお)さんの家を探す。

 家はすぐに見つかったが、延々(えんえん)続く白い(へい)と、黒塗(くろぬ)りのリムジンにのみ相応(ふさわ)しい鉄製の門扉(もんぴ)が私を威圧(いあつ)した。


 ……もっとこう、郵便配達(ゆうびんはいたつ)宅配便(たくはいびん)の人が出入りする、勝手口(かってぐち)的なものがあるはず。


 白い(へい)反時計回(はんとけいまわ)りし、人の出入りするサイズの(とびら)を見付けた私は、それでも正門(せいもん)に対した際の半分ほどの緊張(きんちょう)(たも)ったまま、チャイムを鳴らした。


『はいはーい。ママー、ハンコどこー?』


 懐かしい、どこか聞き覚えのある声。

 木製(もくせい)のつっかけサンダルの足音(あしおと)(ひび)いたあと、扉を押し開けたのは陽桜(ひお)さんだった。


 声を作り、上品(じょうひん)なあいさつをするつもりだった私は半口(はんくち)を開けたまま。

 色素(しきそ)の薄い細い髪を雑に()った陽桜(ひお)さんは、寝ぼけまなこで頭を()きかけたまま。

 お(たが)い顔を見つめ合い、たっぷり5秒は()った後、すごい勢いで扉が閉まった。


「ちょっと、どうして閉めるんですか!!」

『なんで? なんで茉莉花(まつりか)がいるの!?』

「それはこっちの台詞(セリフ)! そっちこそ、なんで生きてるんですか!?」

『なんで生きてるって失礼(しつれい)な――って、あれ? ……あーッ!?』


 不意(ふい)手応(てごた)えが消え、私が恐るおそる(とびら)を引くと、陽桜(ひお)さんはしゃがみ込み、両手で顔を(かく)し、プルプル(ふる)えていた。


「あ、あれ?……メッセ、届いた?」

「届きました」

「……メッセ、読んじゃったの?」

「読みましたよバカ! だから来たんでしょ、このバカ!」

「2度もバカって言った! こっちだって大ダメージ受けてるんだから!」


 開き直り(ぎゃく)ギレをかます陽桜(ひお)さん。


「どうせ送信(そうしん)タイマーの解除(かいじょ)し忘れとかでしょくだらない。こっちがどれだけ心配したと思ってるの!」

「わたしだって、あの時は正直な気持ち書いただけなんだから!!」


 恥ずかしい文面(ぶんめん)を思い出し、()()ちを受けたのか、蒼白い陽桜(ひお)さんの顔が首筋(くびすじ)まで赤く()まっている。

 くたくたのオーバーサイズの白いTシャツには、筆書(ふでが)きで「不労所得(ふろうしょとく)」の文字。どこで買ってくるんだ、こんなTシャツ。


「……その花は?」

貴女(あなた)のお墓参りに行くつもりだったんですよ。高価(たか)かったんだから!」

「わたしに? もらって良いの?」


 いまさら引っ込めるのも(おさ)まりが悪い。私は()問答(もんどう)で落としてしまった花束を(ひろ)いほこりを払うと、仏頂面(ぶっちょうづら)陽桜(ひお)さんに差しだした。


「ふうん。5本の薔薇(バラ)。……ふぅん」


 (おさ)えきれない喜びで、だらしないにやけ顔になる陽桜(ひお)さん。……こ、こいつは!


「『あなたに会えて本当に良かった』?」

「――――!!」


 だからお見舞(みま)いに花を持って行くのを()けていたんだよ!

 花言葉でのやり取りなんてポエミーな行為、言葉で直接伝えあうより数倍(すうばい)恥ずかしい!


「それじゃあ、わたしからも」


 彼女に負けないぐらい赤面(せきめん)しているはずの私に、陽桜(ひお)さんは花束から1本だけ抜き取り、4本になった薔薇(バラ)の花束をよこした。


 4本の薔薇(バラ)の花言葉は『死ぬまで気持ちは変わりません』。


 残った薔薇(バラ)を顔に近づけ、うっとりと口付けるようにして香りをかぐ陽桜(ひお)さん。


 1本の薔薇(バラ)の花言葉は『一目惚(ひとめぼ)れ。あなたしかいない』


「あいた! なんで()るの!?」

「うるさい、バカ!」


 本当はぶん(なぐ)ってやりたいが、それはもっと元気になってからだ。


()()がりなんだからもっと(いた)わってよー。そうだ、ほら。またどこか連れて行ってあげるからさ」

費用(ひよう)はともかく、連れて行くのは私みたいなものじゃない!」

「死ぬ気はないけど、ほんとに樹海(じゅかい)も見てみたいんだよ」

「ひと駅ぶん歩ける体力付けてからほざいてください。その前に、服を買いに行かなきゃでしょ!?」


          ††


 私が陽桜(ひお)さんに提供サーブする皿。

 6月は黄と赤のゼラニウム。

 花言葉は偶然(ぐうぜん)の出会い。あなたがいて幸せ。



                                END.

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