flos † mortem † amantes
陽桜さんが私に提供する皿。
2月は白のゼラニウム。
花言葉は偽り。優柔不断。あなたの愛を信じない。
†
しらない街のしらない病院。
包帯まみれで白く汚れた私は、死に場所を探していた。
セキュリティは激甘で、受け付けやナースセンターで呼び止められることもなく、私は労せずして屋上まで辿り着けた。
どこまでも青い空の下。
洗い立てのシーツの群れが、行儀よく並んで陽の光を浴びている。
不格好な金網は張り巡らされておらず、呆れたことに、胸くらいの高さの手摺りだけが言い訳のように設けられている。
手摺り越しに地面を見下ろしてみる。
3階建ての屋上から見下ろす景色は、どうにも中途半端で。
下手な落ち方をすれば楽には死ねず、苦しむだけの結果に終わってしまうかもしれない。
ため息まじりに踵を返し、手摺りに背を預ける。
目の前には、車椅子の少女がいた。
シーツの海に阻まれて、見逃してしまったのか。
私より、2つほど年下だろう。
薄い桜色のパジャマの上に、クリーム色のカーディガンを羽織っている。
肌は病的に蒼白く、肩までの長さの髪も色素が薄い。
ほんの少しの淡い彩りがかえって、背後で揺れるシーツより透明な存在に感じさせた。
「飛び降りないの? 順番待ってるんだけど」
大きな榛色の瞳に浮かぶ輝きと、細い声に含まれる笑みから、からかわれているのだとすぐに分かった。
見られてしまった気まずさと、絡まれる煩わしさに、私が無言で立ち去ろうとすると、すれ違い際に手を掴まれた。
「……何?」
「黙っててあげようか?」
少女の指の細さと意外なほどの熱っぽさに戸惑っていると、病院内に続く開きっぱなしの扉のほうから声がした。
「陽桜さーん? もう、また勝手に抜け出して」
「ごめんなさい。友達が来てたから、外でお話ししたくって」
若い女性看護師が、そっぽを向いた私を怪訝な顔で眺めているのが分かる。
「天気は良くても風は冷たいんだから、あんまり長話はダメですよ?」
「はーい。だってさ、帰ろ?」
邪気はないが欠片の誠意も感じられない、軽い返事をする少女に促され、私は車椅子を押し屋上を後にした。
「……脚悪いの?」
「ちゃんと歩けるわ。周りが心配性なだけ」
見下ろす薄い肩と、パジャマから覗く細い手足から推すに、行き過ぎた心配のようにも見えない。
視線に気づいたのか、不意に彼女は振り向き尋ねた。
「名前は?」
「…………茉莉花」
「ふうん。教えて、LINE」
「なんであんたに……」
「口止め料」
結局私は彼女の病室まで介助を強いられたあげく、個人情報まで握られることとなった。
安崎陽桜。
病室のネームプレートで、私は彼女の名前を知った。
†
3月の皿にはアルメリア。
花言葉は同情。共感。思いやり。
†
早朝でも授業中でも夜中でも。
彼女からのLINEは時間を問わず入るようになった。
LINEだけでは済まなかった。
新刊のミステリやスタバの新作など。
寄り付きたくはなかったが、彼女のリクエストに応え、私は頻繁に病室に通うこととになる。
「お金払ってるんだからいいでしょ? 普通はお見舞いする側が出すものなんだからね」
「来たくて来てるんじゃないよ!」
陽桜さんは、ひと口飲んだ抹茶と桜わらびもちフラペチーノを押し付けながら、私のほうじ茶&クラシックティーラテを要求する。
ケーキやドーナツでも同じことをされるので、病室に来る日はお昼や夕食を抜くはめになる。
「いつも食べきれないんだから、2人分オーダーしないで、単品シェアにしてよ」
「おねーさんのおかげで、いろいろ新作試せるんだから、WINWINでしょ?」
年下かと思っていたのが、後になって2つも歳上だと判明した。体が弱く長期入院しているようだが、どんな病気かは聞き出せていない。
儚く可憐な見掛けだが、話していると、どこかざらっとした手触りがある。
建物への無断侵入など、騒ぎ立てられたところで、どうなるものでもない。
LINEをブロックし、もう病院へ寄り付かなければ良いだけの話だ。
私がそうしなかったのは、彼女から仄見える希死念慮が理由だった。
「ねえ、なんであの時、私が飛び降りようとしてるって思ったの?」
ラズベリーパイの先っぽを齧る陽桜さんに、いつだか私は尋ねてみたことがある。
「わたしも同じだから。……それ、リスカでしょ?」
ジャムが付かないようにと、上げたブラウスの袖口から包帯が覗いているのに気付き、私は無言で袖を整える。
陽桜さんはトッピングのラズベリーだけを摘まみ、残りの皿を私に押し付けると、パジャマのボタンに指を掛けた。
「どうせ長くは生きられないのに、切り刻まれて傷だらけになるのはイヤなの。ねえ。わたしがいっしょに死んであげようか?」
彼女の骨が浮くほど薄く蒼白い胸には、痛々しい手術痕が残っていた。
†
4月の皿にはクレメオ。
花言葉は秘密のひととき。
†
「へぇ、茉莉花。ずいぶんと気が利くようになったのね」
呼び出しがなくとも病室を訪れるようになった私に、陽桜さんは上機嫌な顔を見せた。
お見舞いの品を手渡しながら、私は曖昧な表情を浮かべるしかない。
病室にいなかったり、眠っていたり。
呼び出しを受けていた頃とは違い、最近は訪問の3回に1回しか顔を合わせてはいない。
「食べて平気?」
「平気な分しか食べないよ」
陽桜さんは、固めのプリンの、チェリーと生クリームのトッピングだけを食べ、カップを私によこす。
「今日はちょっと顔色良い? 元気そうだね」
「冗談」
面白くもないと言わんばかりに、すんと表情を消す彼女。
もちろん嘘だ。私は要らぬ気遣いをしたと後悔する。
「それよりさ、茉莉花はどこで死にたい?」
「どこでも同じでしょ。死ぬ瞬間はぷつっと切れて終わり。砕けようが朽ちようが、あとは関係ないじゃない」
鼻白んだ私に、陽桜さんはわざとらしくため息をつき、哀れむような小馬鹿にした表情を浮かべた。
「やれやれ。お子様だね茉莉花は。わたしみたいにずっとお世話されてる身だとね、終わった後の自分の身体、どう扱われるか想像ついちゃうの。飛び降りや飛び込みなんかしたら、見てくれサイアクなだけじゃなく、たくさんの人の迷惑になるでしょ」
屋上では、自分だって飛び降りるような物言いしてたくせに。
「じゃあ、深い森の奥とか 海の底とか?」
「いいね。そういうの、悪くない」
悪戯っぽい笑みを浮かべ、陽桜さんは操作したスマホの画面を見せた。
「真那島水族館ナイトツアー?」
こんな体調でお出掛けして良いのかと思ったが、もちろん良くはなかった。
次の週末の昼下がり。私は陽桜さんの脱走の共犯者にされたのだ。
「大丈夫だって。叱られるのは慣れっこだから」
「大丈夫じゃないって私は! 病室抜け出して屋上に出るのとは、わけが違うでしょ!?」
「でももう抜け出しちゃったもん」
黒のフレアスカートにチェックのシャツワンピ。若草色のスプリングコート。私がいつも普段使いを揃える量販店で見繕ったものだ。
サイズは合っているはずなのにダボついて見える。私が持ち込んだ服に着替えた陽桜さんは、それでもいつもより少し大人びて見えた。
「行きつけのお店で揃えたんでしょ? 茉莉花も春らしい色にすれば良いのに」
「私はこれが好きなんです」
黒のスリムパンツに白のブラウス、黒のベスト。いつものモノトーンコーデに陽桜さんは、唇の動きだけで「中二病」とケチをつけた。
はしゃいでいた陽桜さんだったが、最寄りの駅にたどり着くまでに力尽き、何度も小休憩を挟んだ。
ナイトツアーだけに参加するにしても、入館時間には間に合わなければならない。
「やっぱりやめる? いま帰ればちょっと絞られるだけで済むだろうし」
「イヤ! 同じ怒られるなら、ナイトツアー見ないと意味ないじゃん!」
息が荒い。
いつも蒼白い頬を染め、駄々をこねる陽桜さんだったが、飲み物を買った自販機の前にしゃがみ込み、動く気配がない。
「ほら。早くしないと、受付時間過ぎちゃうよ」
根負けした私がしゃがみ込み背を向けると、陽桜さんは待っていたかのように、おぶさってきた。
「茉莉花優しいから好きー」
「はいはい」
思った以上に軽い。
彼女の薄い身体から伝わる熱の高さは、奇妙なほど私の胸をざわつかせた。
何を今さら。
死にたいふたりが、死の疑似体験へと向かっているというのに。
「茉莉花ぁ」
「なんです?」
右の首筋に熱い息を感じる。
続く鋭い痛み。
「いだだだだッ! 何すんの!!?」
振り落としてやろうかと思ったが、陽桜さんは手足を絡め、しがみ付いて離れない。
「ああもう、血が出てる!」
「自分で傷付けてんだから、わたしが付けてもいいでしょ?」
「いきなり噛みついといて、なにその言いぐさ!」
「…………ごめん。ごめんね」
噛みついた首筋に顔を埋め、陽桜さんは囁くように謝罪の言葉を紡ぐ。
なんなの、もう。
胸の中のもやもやが、熱と共に陽桜さんに伝わり、見透かされてしまったようで。
水族館に付くまでの私は、まるで暴風雨で荒れる大海原に、粗末ないかだで放り出された漂流者の気分だった
†
焦燥する私の目の前の皿にはスノードロップ。
花言葉はあなたの死を望みます。
†
開始を30分遅らせる手続きをする必要があったが、なんとか受付時間には間に合った。
体力を温存した陽桜さんは、私に荷物を押し付ける代わりに、イルカの描かれたカップに入ったソーダフロートと、青いソフトクリーム両方を、ちびちび味わっている。じきにどちらも私に押し付けられることになるだろうけど。
「ずいぶん人が少なくなったね」
昼の観覧時間が終わり、夜の時間帯に変わるタイミングで、館内の照明・BGMだけでなく、客層も入れ替わった。
家族連れから若いカップルへ。その中でも希死念慮にまみれた女ふたりは、間違いなく私達だけ。
光量を抑えた青い水槽を泳ぐ、影絵の魚たち。
ひときわ暗い通路の両脇には、タカアシガニやダイオウグソクムシが、無愛想なまま水底に沈殿している。
「いいね、こいつら」
イルカの泳ぐトンネルでも反応の薄かった陽桜さんが、初めて笑みを浮かべ指さした。
「何万トンもの水圧に押し潰されて、真っ暗な中、マリンスノーが降るようなのを期待してたけど」
「カップルが喜ぶ見世物にはならないよ」
ひとり2枚の毛布を受け取り、寝転がって水槽を眺められるコーナーに入る。
「ひと晩過ごせるイベントもあるそうだけど、さすがにそれは警察呼ばれる騒ぎになるね」
元気になって、外泊できるようになってから――言いかけて口ごもる。
陽桜さんは元気にはならない。死に場所を探しているんだから。
「さっきの子たち、もう誰にも見られずひっそりとは死ねなくなったね」
水底の甲殻類たちのことだと気付くまで、少し時間がかかった。
疲れが出たのか、陽桜さんは目を閉じている。
どう応えれば良いのか分からないまま、私は青く照らされる彼女の横顔を見つめる。
陽桜さんのことは最後まで私が見てるよ。
そう伝えるため手に触れようとしたとき、私は陽桜さんの呼吸がおかしいことに気が付いた。
けひゅけひゅと咳き込むような息づかい。
「陽桜さん?」
眉は軽くひそめられ、目蓋は閉じたまま。
陽桜さんは意識を失っている。
内臓を冷たい手で絞られる感覚。
脳が目の前の現実の理解を拒む。
「陽桜さん、陽桜さん!! やだ、死んじゃやだァ!!」
連れであるにもかかわらず、焦るだけで役にたたない私は、駆け付けたスタッフが陽桜さんの呼吸を確認し、おっとり刀で駆け付けた救護員に搬送されるまで、ただ取り乱し泣き喚いていた。
陽桜さんが緊急搬送された先の病院で、私は初めて陽桜さんのお母さんと対面した。
「娘がご迷惑をおかけしました」
罵声を浴びせられるのを覚悟していた私に、小柄なお母さんは深々と頭を下げた。
大事に至らず、ベットに寝かされていた陽桜さんは、そっぽを向いたまま目を合わせてはくれなかった。
†
5月の皿にはテッセンと勿忘草。
花言葉は甘い束縛。私を忘れないで。
†
私が最後に陽桜さんと会ってから2週間が過ぎた。
LINEも途絶えたままで、こちらのメッセージも既読が付かない。
意を決して陽桜さんの病室――今にして思えば病院ではなく療養所だったのだろう――を訪ねてみると、病室のネームプレートは取り外されていた。
陽桜さんと初めて会った屋上で、声を掛けてきた看護師さんを見掛けたが、気付かれる前に逃げ出してしまった。
取り返しのつかないミスを犯してしまったのは分かるのに、どうすれば良いのかが分からない。
勉学には身が入らず、かといって手首に傷を増やす気にもなれない。
からっぽな気持ちのまま、胃の底を炙られるような感覚を味わい続ける私の元に、ようやく陽桜さんからのメッセージが届いた。
『じぶんでメッセを送れなくなった時のために、これを書いています。友達への一斉送信の設定だけど、わがままなわたしには友達は一人しかいません。だから、これを読むのはあなただけです。安心して。』
『はじめてあなたと会ったとき、わたしは、「死にたがりやの馬鹿な子がいる」。そう思いました。無理やり生かされているわたしの前に、これ見よがしにリスカ痕をつけて現れるなんて。情で縛って道連れにしてやろうかとも思ったけど、どうせこの子は死なないだろうなって。』
『だから、もっといい嫌がらせを思い付きました。「この子に傷をつけてやろう。見るたびわたしのことを思い出すから、消えるまでずっとわたしのことを覚えている」。今まで友達なんて作ったことなかったから、うまくできなかったかもだけど、死ぬことに憧れるような子に取り入るのは簡単でした。だって、わたしがそうだったから。』
『うまくいったと思っていたのに。』
『失敗したと気付いたのは夜の水族館。あなたが「死んじゃいやだ」と泣いてくれた時です。なかば意識はなかったけど、わたしにはちゃんと聞こえていました。とても恥ずかしくて、病院ではあなたの顔を見ることができなかったけど。』
『あなたのせいで、わたしは「もうちょっと生きたい」、そう思うようになってしまいました。』
『これから、ずっと逃げていた手術を受けます。先延ばしにしたせいで、成功率は低くなっているそうですが、自業自得なので受け入れます。』
『手術が成功したら、改めてわたしとお友達になって下さい。あなたのセンスはクソダサいので、わたしが服を選んであげます。』
『もしも手術が失敗したら、肩の傷が消えるまでの間は、わたしのことを覚えていてください。(噛んじゃってごめんなさい)』
†
イヌホオズキ
黄色いカーネーション
オダマキ
トリカブト
グラジオラス
椿
黒のチューリップ
キンセンカ
黒百合
ホテイアオイ
紫苑
ユーフォルビア
†
声を上げて私は泣いた。
からっぽだと感じたのが嘘のように涙があふれ出し、子供のように泣き続けた。
泣き疲れて眠った私は、起きてすぐシャワーを浴び身を整えた。いつもの癖で黒い服に手を伸ばしかけ、考え直してすみれ色のワンピースを選んだ。
「陽桜さんの、安崎陽桜さんの住所を教えてください!」
「えぇ~……」
腹芸なく直接的に個人情報を尋ねられ、陽桜さんを担当していた看護師さんは、あからさまな当惑を見せた。
「あのね、個人情報保護法ってものがあってね、聞かれたからと言って――」
「お願いします!」
しつこく食い下がる私に構うことなく事務室に入った看護師さんは、聞こえよがしにぼやきながら、受付窓口から覗けるデスクで事務仕事を始めた。
「あー、陽桜さん急に退院しちゃったから、書類整理出来てなかったなー。えーっと、実家の住所は――」
「ありがとうございます!」
「んー? なんのことかなー?」
モニタに映し出された安崎家の住所を記憶し、病院を飛び出す私に、看護師さんは背中越し親指を立てて見せた。
ひと駅先。お屋敷が並ぶ山の手の区画。
親にとっては、娘の悪い遊びに付き合い、死期を早めた悪友でしかないかもしれない。
それでも、一度会った印象だけで、お墓参りを拒絶されるほどの悪印象は、抱かれていないはずだと期待した。
電車に乗る前に、駅前の花屋に入る。お目当ての花は、探すまでもなく目に付く場所に並んでいた。
花束を手に電車に揺られた私は、スマホに表示した地図を頼りに陽桜さんの家を探す。
家はすぐに見つかったが、延々続く白い塀と、黒塗りのリムジンにのみ相応しい鉄製の門扉が私を威圧した。
……もっとこう、郵便配達や宅配便の人が出入りする、勝手口的なものがあるはず。
白い塀を反時計回りし、人の出入りするサイズの扉を見付けた私は、それでも正門に対した際の半分ほどの緊張を保ったまま、チャイムを鳴らした。
『はいはーい。ママー、ハンコどこー?』
懐かしい、どこか聞き覚えのある声。
木製のつっかけサンダルの足音が響いたあと、扉を押し開けたのは陽桜さんだった。
声を作り、上品なあいさつをするつもりだった私は半口を開けたまま。
色素の薄い細い髪を雑に結った陽桜さんは、寝ぼけまなこで頭を掻きかけたまま。
お互い顔を見つめ合い、たっぷり5秒は経った後、すごい勢いで扉が閉まった。
「ちょっと、どうして閉めるんですか!!」
『なんで? なんで茉莉花がいるの!?』
「それはこっちの台詞! そっちこそ、なんで生きてるんですか!?」
『なんで生きてるって失礼な――って、あれ? ……あーッ!?』
不意に手応えが消え、私が恐るおそる扉を引くと、陽桜さんはしゃがみ込み、両手で顔を隠し、プルプル震えていた。
「あ、あれ?……メッセ、届いた?」
「届きました」
「……メッセ、読んじゃったの?」
「読みましたよバカ! だから来たんでしょ、このバカ!」
「2度もバカって言った! こっちだって大ダメージ受けてるんだから!」
開き直り逆ギレをかます陽桜さん。
「どうせ送信タイマーの解除し忘れとかでしょくだらない。こっちがどれだけ心配したと思ってるの!」
「わたしだって、あの時は正直な気持ち書いただけなんだから!!」
恥ずかしい文面を思い出し、追い打ちを受けたのか、蒼白い陽桜さんの顔が首筋まで赤く染まっている。
くたくたのオーバーサイズの白いTシャツには、筆書きで「不労所得」の文字。どこで買ってくるんだ、こんなTシャツ。
「……その花は?」
「貴女のお墓参りに行くつもりだったんですよ。高価かったんだから!」
「わたしに? もらって良いの?」
いまさら引っ込めるのも収まりが悪い。私は押し問答で落としてしまった花束を拾いほこりを払うと、仏頂面で陽桜さんに差しだした。
「ふうん。5本の薔薇。……ふぅん」
抑えきれない喜びで、だらしないにやけ顔になる陽桜さん。……こ、こいつは!
「『あなたに会えて本当に良かった』?」
「――――!!」
だからお見舞いに花を持って行くのを避けていたんだよ!
花言葉でのやり取りなんてポエミーな行為、言葉で直接伝えあうより数倍恥ずかしい!
「それじゃあ、わたしからも」
彼女に負けないぐらい赤面しているはずの私に、陽桜さんは花束から1本だけ抜き取り、4本になった薔薇の花束をよこした。
4本の薔薇の花言葉は『死ぬまで気持ちは変わりません』。
残った薔薇を顔に近づけ、うっとりと口付けるようにして香りをかぐ陽桜さん。
1本の薔薇の花言葉は『一目惚れ。あなたしかいない』
「あいた! なんで蹴るの!?」
「うるさい、バカ!」
本当はぶん殴ってやりたいが、それはもっと元気になってからだ。
「病み上がりなんだからもっと労わってよー。そうだ、ほら。またどこか連れて行ってあげるからさ」
「費用はともかく、連れて行くのは私みたいなものじゃない!」
「死ぬ気はないけど、ほんとに樹海も見てみたいんだよ」
「ひと駅ぶん歩ける体力付けてからほざいてください。その前に、服を買いに行かなきゃでしょ!?」
††
私が陽桜さんに提供する皿。
6月は黄と赤のゼラニウム。
花言葉は偶然の出会い。あなたがいて幸せ。
END.