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かみとかみと、つきとかげと

作者: 言折双二

――校舎は月光の中に青い。


 月明かりと夜の風が攫う青。

 窓には人影が二つ。

 本来ならば居ないはずの人影。

 なぜならここは小学校の校舎、十一時などという時間に人影のあるはずもない。

 付け加えるならこの校舎は既に使われていない、新校舎が建てられて季節が二つは通り過ぎている。


 にもかかわらず夏の暑さを少し残す風の中で、窓には二つの影がある。

――一人は女で、もう一人は……。



――わら半紙は印刷した文字が消えていくらしい。

 そんな情報を何処で聞いたのかは解らない、ただ、それは印象深い言葉として頭の片隅にあった。

 多分、クラスの中で雑談として出てきたのか、テレビの情報番組で言っていたのか、脇道に逸れることが多い化学の教師が言っていたか、そのうちのどれかだろう。

 別に誰から聞いたのか、なんてことは大したことではない。

 重要なのは、その言葉が何故か頭の中に残ってしまったということだ。



 学校から帰って、軽いスクールバックをベッドに放る。

 いつもとは違う時間だ、本当ならまだ学校に居るはず。

――といっても、早退したりしたわけではない。

 眠っているかぼぅっとしていたことに違いはないが、授業は全部に出た。

 その後の予定が無くなったから早めに帰ったのだ。

 いつもなら――それはきっと、もう取り戻せない『いつも』なのだろうけど――まだ部活をやっていた時間だ。

 いま、私の高校生活は裏目裏目で絶不調だ。それというのも、全て一年の時にとあるスポーツに出会ったからからだった。

 西欧を中心とした外国ではそれなりに人気のあるスポーツらしいのだが、日本では『弩』が付くほどのマイナーさ加減だ。

 うちの高校にはたまたま、そのスポーツのクラブがあった。何でも、留学生の卒業生が世界レベルの選手でその関係、だそうだ。

――だから、じゃない。『絶対数が少ない分、頑張ればオリンピックにも出られる』と、マイナースポーツを取り上げるバラエティー番組の様な内容をしかし、真剣な眼と真摯な言葉で語る先輩がいたのだ。それも、入学式の全校生徒の前で。

 そんな先輩を見て、血迷った私はその部活に入った。

 部活動はそれなりに楽しかった。

 五回勝てば日本一のような、大会も楽しかった。

 けれど、高校生など善悪の境はつけられても、その境を乗り越えることに格好の良さを見いだすような人種。

 そのこと自体は私も否定はしないけれど、身の回りではやって欲しくない物だ。

――まぁ、馬鹿な子、が一人いれば十人以上に迷惑が掛かる。

――うちのクラブも今年は活動できないだろう。

 という訳で、大会には出られなくなり、部活動に打ち込めない、勉強も今更ついて行けず、さりとて、その馬鹿な子のように、悪いことをする勇気もない。

 無気力無目的な女子校生が一人、できあがったと言うわけだ。



 まぁ、だからと言うわけでもないのだけれど、わら半紙に関する噂、真偽はともかくとして、部屋の片隅、小学校の頃から積み上げられた幾多のプリントの山でも整理してみようか、なんて、無気力な女子校生も思ったりするわけで。

「んー」

 小学校の算数のテスト。先生から保護者への手紙、女の子のラクガキが角にある国語のプリント。教師の趣味にしか思えない、源氏物語五十四帖の一覧。百人一首の内容。

 豆知識としては面白いが、所詮小学生の時に教えられた内容だ。

 私には面白くても、ひけらかしたところで大したことないのは目に見えている。

 だから、片端から要らない方にまとめていく。

 稀に、小学校の連絡網、なんて物があって、後で見てみようと脇にどけたりする。

 粗方、七割程度を片付けたところで、固い物を見つけた。

 それはプリントではない。

 高校生の自分は使っていないが、固い紙で出来たファイルだ。

 ピンクのそれの表面にはその頃流行ったアニメのシールが貼られている。

「?」

 開く。そこにあったのは、紙なのだが。

「プリント?」

 プリントであることに間違いはない。だが、ファイルに挟まって日光の変色作用から逃れていたはずのそのプリントは表面のインク印刷の殆どがぼやけていて意味を掴めない。

 二往復した谺を聞き取ろうとするくらいに、不明瞭。

――何のプリントだろう? と。よく見たところで

 ?

 疑問が一つ。確かに、プリントである、日焼けも酷い、しかし、一番の疑問はそこではなく――同じプリントが二枚あったということだ。

 同じプリントが二枚、幾つかの理由が考えられるが例えば列の一番後ろの席だったりすると余ったプリントを机の中に入れた可能性もある。

 他に例えば……なんだろうか。



 あー、と考えても思いつかなかったのでとりあえず水分補給をしにくことにした。

 あのファイルを脇にどけて、他のプリントは片付けた。

――で、休憩。

 電気ポットのお湯を注ぐ。急須は古いものだ。母さんのブレンドしたハーブティーだが、急須でも十分だろう。

 ペパーミントじゃない、なんとかミントだと言っていたが詳しくは覚えていない。

 その、なんとかミントのお茶を自分のマグカップにいれる。

 そして、蜂蜜を一匙。


 一応香りを確かめてから飲む。

 ミント独特の匂いが鼻に抜ける。


「あ」


 何だ? いま、何かを思い出しそうになったような……。

――で、もう一口。

 ミントの香りと共に薄く蜂蜜の甘い香りが抜ける。


「――あ」


 今度こそ、完全に思い出した。

――この香りだ。

 若干の薬臭さと少し甘い匂い。

 そうだ、私は教室の一番後ろの席に座った事なんて無い。

 二枚のプリントがあったのは、ちょっとした手違いだ。

 重要なのは席の前後、じゃない。左右だったのだ。


 隣の席の男の子。

 金井庚河。

 強そうで丈夫そうなその名に似合わず、体の弱い男の子だった。

 転校してきた彼を最初に見たときにはどうして、男子の列に女の子が座っているのだろうと、思ったくらいに線が細く柔らかな印象の男の子。

 実際に彼は繊細だった。心の問題ではなく――私の隣の席に居た間、庚河君は学校に来た日の方が多いだろうか、それとも休んだ日の方が多いのだろうか、という位の出席数だった。

 その間、彼の家に近かった私は彼のところにプリントを持っていく役になって……。


「その時のかも」


 少し。思い出した。



 晩ご飯を食べてから、私は部屋に籠もっていた。

 あのプリントを見ながらだ。

 二枚のプリントは色褪せているが少しは文字が読める。

 そういえば、彼は折り紙だとか、手先の器用な男の子だったな、と思い出す。

 病気の布団の上で出来ることがそれくらいしか無かったのかもしれない。

 あとは、色々な物語を知っていた。給食の時間、六人ほどで机をくっつけて食べているときに他の女子の求めに応じて色々な話をしていたような気がする。


 彼は女子に人気があったのだ。

 見た目の綺麗さもさることながら、例えばそれば、彼の体が弱いための処世術であったとしても物腰が柔らかく誰に対しても優しい彼は小学生の男子達と比べたときに群を抜いて大人びていた。

 そして、成績が良く、手先も器用、――運動は出来なかったけれどそれはしょうがないだろう。


 懐かしい。と思っていると、ファイルに厚みを感じた。それはプリントがただ挟まっている厚さではない。

――なんだ、と思い、その部分を見てみると。挟まっていたのは鶴だった。二羽の鶴。折り紙である。

 一枚は赤の鶴。折り目が粗い。一生懸命に作ったという感じはでているものの綺麗かと言われると頷くのを躊躇う。

 なぜなら、もう一羽の青い鶴がとても綺麗だったからだ。


――これは。


 記憶には無い。けれど、きっと、赤は私の折った物、青は彼の折った物だ。



「ちょっと走ってくる」

 リビングに居る父と母に声を掛けて外に出た。

 不自然ではない筈だ。馬鹿な子が問題を起こしてから一週間ほど止めていたが、その前はずっと、十時くらいに家を出て走っていたのだ。

 一年数ヶ月続いた習慣が戻ってきた、とその程度に思うだろう。


 けれど、それは嘘だった。

 私は歩いていた。ゆっくりと。今の歩幅では合わないので普通に歩くよりももっと遅く。

 その道は小学校に向かう通学路。

 途中でいつもプリントを届けていた彼の家の前を通る。

――いまではコンビニになっていたけれど。


 ゆっくりと、ゆっくりと。

 いつも、こんな距離をこんなに時間を掛けていたのかと思うくらいの時間が掛かって、


――小学校に着いた。


 校舎が新しくなっていた。

――いや、正確には新しい校舎が出来ていたのだ。

 古い校舎もその形は留めている。

 使われていないらしいというのは、同じ小学校から来ているクラスメイトに聞いた話だ。

 あまり、親しくは無いのだけれど。気を遣うようにして教えてくれた。


――学校を覆う柵には、抜け道がある。

 私が小学生のころからだ。直せよ、とも思うが今はただ、ありがたい。

 くぐる。

 何とか通れた。

 昔は男子が使ったと話をしているのを聞いているだけだったのだが、まぁ、そんな情報にも感謝する。

 校庭に入り込んで。――校舎を目指す。



 警報も何もない様だ。

 ザルだなぁと思いながら。

 当時の教室を目指す。

 古い校舎なのに、まだ、学校の匂いがする。

 懐かしい匂いだ。紙の匂い、木の匂い、汗の匂い、土の匂い、運動の匂い、チョークの匂い、水道の匂い。

 混じり合って、刹那淀んで、子供が走りかき混ぜられる空気の匂い。夜の清廉も追いつけない程生きた匂い。

 だが、この校舎の匂いは重すぎる。

 風がないからだ。

 窓が開いていたとしても、扉が開いていたとしても、子供がいない学校では空気が溜まるのはしようがない。

 そして、重く溜まった空気は濃くなるのだ。

――私は靴音を響かせて三階に上がる。

 上靴など持ち合わせがあるはずもない。ランニングシューズのままで三階に。

 階段から三つ目の教室、だった。

 記憶がすこしづつ、晴れていくのを感じながら扉を開く。


 すると、――。



「あー、なんだ?」

 教室の中、記憶の中の私の机、その隣の席の側に一人の男が居た。

 男――いや、声も高めで、月明かりの逆光の中では判別付きかねるが背は高い。ただ、ひょろ長いという印象はない。細く、長いのは確かだけれど。――言うなれば、レイピアのようだ。

「何だって、何よ」

 私が問い返すと、背の高い影は頭をかくような仕草。

「――どうして、こんなところに?」

「え?」

 あ、と、そういえばどうしてこんなところに来たのだろう?

 懐かしさがこみ上げて、と言えばいいのか。

……けれど、それは正確な答えではないと感じる。

 私は懐かしいから来てみた、などという、ふんわりとした物ではなくもっと、固く圧すような感覚に連れられてここに来たのだ。

 それは例えば、細い糸でたぐり寄せられるように。

「思い出……」

 私は思わず口にしていた。

 順当かどうかは、関係がない。

 私の意思かどうかも怪しいような言葉、転嫁するなら、月光のせいで口走ったというべきだろうか。

「おもいで……」

 背の高い影は私の言葉を反芻する。

「おもいで……おもいで、か」

 あぁ、と背の高い影は机を撫でる。

 指先で、軽く。

 小さな凹凸。ラクガキ、彫り物。彫刻刀。

 かたかたと、指先が震えるのは凹凸を拾っているからだろう。

「……何か、持ってるね」

 背の高い影は私に聞いた。

 何か――財布はない、持っているとしたら、もしもの時のための家の鍵と……。

「――これ?」

 持っていることなど知るよしもない、筈なのに、この背の高い影が求めている物がこれである、と感じた。

 だから差し出した。


――折り鶴を。


 赤と青の比翼。


 影は受け取り、それを見つめた。

 そして、あぁ、と呟く。


「うん、君が持ってたのか。ありがとう」

 解らない、筈なのに。涙が出る。

 あ、と、視界が緩んで、意識が緩んで。最後に、みた。

 月光が、影に差し込んで、彼の顔を映したのを。



――そっか。

――そうなのか。

 目が覚めた。

 朝になっていた、なんてことはない。

 まだ、空は暗い。

 一日後と言うことでないなら一時間も経っていないことになる。

 少なくとも黒板の上の時計はそういっている。


 だから、立った。

 涙の跡が両目から零れているだろう。

 教室の埃と混じって黒い跡が出来るかもしれない。


 でも、そんなことを気にしていられる余裕はなかった。

 ポケットを叩く。やはり、折り紙は無い。

――夢ではない。


 もう一度だけ、そのことを確認して、私は立った。揺れず、惑わず、真っ直ぐに家に帰る。



 家について、洗面所で手を洗い顔を洗う、ランニング後としてもおかしくはないだろう。

 そこまで頭は回っていなかったが、ともかく、洗う。

 涙の跡がない事を確認して。部屋に帰る。

 バッグを拾う、明日も学校だ。


 鞄の中に明日の用意を詰めなければならない。

 教科書を探そうとして、しゃがんで。

――気付いた。

 ファイル。ピンクのファイル。

 それは、そこにあった、中のプリントもある。

――だが。先ほどとはまるで違う。

 そのプリントは白かった。

 日焼けはしていない。

 文字も読める。

 どうして、という疑問が浮かぶよりも前に読まなければ、という気持ちが先に来る。

――ごく普通のプリント、配布物、秋だから風邪がどうした、運動会にこんな物が必要です、なんて、どうでも良いような内容。

 そのプリントが。

「こ、これ……」

 蛍光灯の強い光がそれを見つけさせてくれた。

――そうだ、あの秋の日、運動会の二週間くらい前に私は珍しく風邪を引いた。

 珍しい事だ。さらに、その日、庚河君は学校に来ていたらしい。

 本当に珍しいことだ。庚河君は私のお見舞いに来てくれた、いつものお返しだと言わんばかりの笑顔。

 それはいつも、学校で見せてくれることのない、年相応の笑顔。

 そして、いつも、私がそうしていた様にプリントを渡してくれたのだ。

――何故か照れて。

 そうだ、私はその笑顔で、庚河君を……。

「あ、う、うぅぅ」

 照れた理由は、いつもの逆の立場でプリントを渡す気恥ずかしさではなかったのだ。

 そのプリントだ。

 プリントの裏。悪戯書きの様なさりげなさを装って、けれど、一度鉛筆を折るくらいに緊張して。

 短い文章が書かれていた。

 それは、そう。

 私が、庚河君に対し持っていたのに口に出さなかったのと、同じ事を伝えようとしていた。

 たったの九文字だ。

『とっても、だいすき』

 なんて、そんな。


――どうして、気が付かなかったのか。

――どうして、今まで一度も見ることがなかったのか。

――どうして、どうして、どうして。


 私は、泣いた。

 とても、大きく。

 誰にも届かない大きな声だ。


 後悔と、告解と、――。

 切なさと、希求と、――愛で。

終わりですが、こういう風にしようか迷いました。

話はここで終わります、が、彼女自身は終わっていません。


彼女は朧な月の光の中で見た何か不確かな黙示を、明示の真実のように感じて膝を折っただけです。

彼女はまだ、何も確かめていないということを思い出せば立ち上がれます。

確かめる勇気を持てれば歩き出せます。


* 『お題募集』継続中です、間に合えばそれで間に合わなければまた誰かにランダムで出して貰います。


* 今回はわら半紙でした。(あんまり使えてないけど……)

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