1話
「despair」
「……死ねなかったのかな。」
身体を起こすと、そこは騎士団の医務室のようだった。
枕元には水差しと、可愛らしいオレンジ色のマリーゴールドの花が揺れている。
不思議なほど全く痛みのない肉体に違和感を覚え、身体を確認する。あんなに生々しく引き裂かれた感覚を覚えている胸元には一切の傷は残っていない。しかし、見覚えのない紋章が刻まれていた。
「これは……。」
もっとよく見ようとベッドから出ようと腰かけたとたん、エストラルが目覚めたことに気付いたらしい医療班がどたばたと駆け込んできて思考はストップした。。
しばらく身体を隅々まで調べられるがままにしていると、医務室の入り口がにわかに騒がしくなった。
「……エストラル。」
顔をのぞかせたのは、魔法騎士団団長のリオン・スカーレッドであった。
リオンは医務室から全員を退くように命令すると、ベッドの横に立った。
見上げるような恰好がどうにも落ちつかなくて目線をそらすと、リオンはなお一層険しい顔をした。
「やあ、リオン、元気そうだね。」
「軽口をたたいてる場合ではないと思うが?」
その言葉にわざと大きなため息をついて彼の瞳を見た。
萌えるような赤い瞳は彼の一族の特徴で、中でも魔力の強い彼の瞳はまるでルビーの宝石のようだと思う。ずっと見ていると自分の心まで燃やされてしまいそうな、そんな気さえする。
「私は死んだんですよね。」
胸元をさする。確かに開いていたはずの穴の代わりに、真っ黒なユリの紋章。それが何を意味するのか分からないようでは魔法騎士団の副団長は努められない。
「闇魔法、で魂を肉体につなぎ留められている、といったところですかね。死んでいるけれど生きている、いや、生きているっていうよりただ動いてるだけかな。」
「エストラル、お前は生きているよ。」
有無を言わさないまっすぐなレオンの言葉に思わず微笑む。彼は昔から、心根の強い男であった。
「この状態を生きてるっていうのかは同意しかねるけど……それはさておき、この術をかけた張本人はどこにいるんだい?私はもう術者のそばを離れられないはずだけど。」
いわゆる死霊術、自分はアンデッドとしてこの世につなぎ留められているのだ。ネクロマンサーのそばを離れて魔力供給がなくなれば、動くことはかなわない。
「……ここです。」
ぬら、っとベッドの下の影が起き上がる。その黒い影が徐々に人の形を成すと、そこに現れたのはローブを被りくせっけの前髪で瞳を隠した男であった。
「ユーリ……もしかしてずっとそこにいたの?」
ユーリと呼ばれた男はこくりと頷くと首をかしげる。
「何か問題でも?」
「問題はないけど……いや、君はもう私の主人なんだ、奴隷の足元にいるなんてことはよしてくれよ。」
そういうと、ユーリ・ブラックはまたこくりと頷いた。
「エストラルは奴隷ではない、俺が許可したのはあくまでエストラルの蘇生であって奴隷化することではないぞ。」
イラついたようにレオンが口をはさむ。
「奴隷が自らを奴隷と言って何が悪いのさ。アンデッドになった以上私はもうユーリのものだ。」
笑いながらそういうとレオンはさらに眉間にしわを寄せた。
「認識を見直す時間が必要なようだな。今後の対応は元老院で話し合われるが、とりあえず休養を与えることとする。ゆっくりと心の整理をしてくれ。」
言うや否や踵を返すと部屋を出て行ってしまった。
「さて……まずは、蘇生してくれてありがとう、ご主人様?」
「ユーリでいい。」
「じゃあユーリ、こんなことを言うのもあれだけど、本当に私で良かったのかい?君のこの死霊術は一度限りのものだろう?」
魔力を持つ者には必ず得意な属性の魔法がある。レオンが火、エストラスが木であるように。その中でも、闇魔法はかなり希少でしかも制限が多い。蘇生術といった強力な魔法ならばなおさらで、魂ごとよみがえらせるネクロマンスは原則として一生に一度しか使用することができなかった。
「綺麗だったから。」
「え?」
「死ぬとき、長い、真っ白な髪が綺麗だったから。」
「……その理由だと、ホワイト家の家門はみなが当てはまりますね。」
パールホワイト家は、白く輝く美しい髪が特徴的な一族であった。
「……絶望。」
ユーリはエストラスの胸元に手を当てると呟くように言った。
「繋がれてるから、わかる。ずっと絶望してる。」
その言葉を聞くとにこり、と張り付いたような笑みを浮かべてエストラスは笑った。
「なら殺してくれますか?」
「死なせないよ。」
「そうですか。」
「……悲しみ。」
枕元のマリーゴールドが揺れる。とても明るい花の色合いに、似つかわしくない花言葉を持ちながら。