移動
王都の貴族街にある我が家、アルティメッツ侯爵邸。
両親とお兄様は侯爵領にいるので、現在こちらに滞在しているのは私だけだ。
扉を開けて邸内に入ると、メイドのメイナが私に気付いて声を掛けてくる。
「お嬢様、お早いお帰りで。婚約破棄でもされました?」
いや、何で分かるのよ?
「顔に書いてありますから」
心読むなし。
「お嬢様の考えてる事なんて、私には全てお見通しですよ」
メイナは黒髪黒目の超美人なのだが、何故かまだ結婚していない。
仕事も出来るし料理も上手いのに、20歳を越えても嫁の貰い手が無いのは何故なんだろうね?
「お嬢様、それ以上余計な事考えると、夜トイレ行けなくなるぐらいの怖い話してあげますよ?」
「すいませんでした!」
どうやら本当に全て見透かされているらしい……怖いよ。
「まったく……。それよりもお嬢様、この後どうされるおつもりですか? 婚約破棄されたのであれば、侯爵領へ戻られるのでしょう?」
そうでした。
宰相につかまる前に王都を脱出しなくてはならないのよね。
さすがに転移で一気に侯爵領までは無理だから、移動手段を確保しないと。
でも普通の移動手段では簡単に追いつかれてしまう……とすると、空か?
「空なんてすぐに見つかってしまうでしょうに」
だから心読むなし。
「じゃあメイナは、どうやって帰るのがいいと思う?」
「そうですね。最も効果的なのは徒歩で道なき道を行く事だと思います」
うーん、確かに追っ手をいちいち相手にするのも面倒よね。
私を追ってくる騎士だって王国の民なのだから、無闇に傷つけられないし。
誰にも見つからないように逃げるのが正解か。
「そうね、それで行くわ。メイナ、準備を」
「準備は既に整っています。今日辺り婚約破棄されそうだなと思ってましたので」
その情報、婚約破棄される前に欲しかったんですけど?
まぁ、情報有っても敢えて婚約破棄されるように動いただろうけどね。
荷物を取りに侯爵邸に戻って来たつもりだったが、必要な物は既にメイナの持つ収納袋に入れてあるようだ。
かなり時間を短縮出来たし、宰相が追跡部隊を編成する前に王都を抜けられそうかな。
私は侯爵家で働く人達に一通り挨拶して回った。
寂しくなると言われた時はちょっと心に来るものがあった。
でも時々王都の様子は見に戻るから。
仕事は大体きりの良いところまで片付けてあるけど、後任の人達がちゃんとやれるか少々心配だからね。
ブラック職場からおさらば出来たとしても、民の安寧を蔑ろにするつもりはないのよ。
「さて、じゃあ出発しますか」
「ではお嬢様、私に付いてきてください」
メイナの案内で王都の路地裏を走り出す。
「メイナ、わざわざ壁を走らなくてもいいんじゃない?」
「地上を走ると魔力痕跡が残りますから」
なるほど、そういうもんか……。
「メイナ、わざわざ川の上を走らなくてもいいんじゃない?」
「川の水が私達の魔力痕跡を流してくれますから」
なるほど、そういうもんか……。
「メイナ、わざわざスイーツ通りを通らなくてもいいんじゃない?」
「たぬたぬ屋の新作スイーツを購入する必要がありますから」
なるほど……って、ならないからねっ!
それメイナが食べたいだけでしょう!
翌々考えてみるとここまでの行程、たぬたぬ屋までの最短ルートでしかなかったわ。
「新作の『洋梨餡ケーキ』購入出来た事ですし、ここから全力で王都を出ますよ」
「最初から全力で行ってよ……」
まぁ私も『洋梨餡ケーキ』購入したけど。
たぬたぬ屋のスイーツはどれも絶品だからねぇ。
でも、それも暫く食べられなくなってしまうのか……。
侯爵領にも支店出してくれないかしら?
その後、また路地裏や川の上を走りながら王都の外へ向かってひた走る。
だが、ふと通り掛かった路地から見える光景が気になって、私は足を止めた。
「お嬢様、どうかされましたか?」
先行していたメイナが私が立ち止まった事に気付き戻って来た。
「ちょっとあそこが気になったから、少しだけ寄り道していい?」
「お嬢様のお好きなように」
他の路地裏とは少し違って、妙に不衛生な感じがするし、行き交う人達もどこか元気が無い。
王都の中の貧民街で、スラムと呼ばれる場所だ。
私が足を踏み入れると、その付近の住人達はこちらに対し警戒を顕わにした。
まぁこんなところに貴族が来るなんて珍しいだろうし、警戒されてもしょうがないか。
私は王都のデータベースにアクセスして、この貧民街の長についての情報を閲覧する。
その情報を元に、長の家へと向かった。
「こんにちは」
「ひっ!? ど、どなた様でしょうか?」
「私はメリアナと言います。ちょっとお話伺ってもよろしいかしら?」
「は、はぁ……」
長に話を聞くと、どうやら炊き出し等は行われておらず、職業の斡旋も滞っているようだ。
それでこの貧民街の生活は苦しくなって来ているという。
「貧民街はどこも似たようなものらしいです。貧民なぞ国の役に立たないですから、国からの援助なんてあろうはずも無いですし。いや、お嬢様にこんな事を言ってもしょうがないのですが。ただの愚痴だと思って聞き流してください」
ふむ、とても聞き流せない内容ね……。
だって貧民街への炊き出しや職業の斡旋に掛かる費用はちゃんと捻出されて、予算枠に毎年組み込まれているもの。
「着服でしょうね……」
メイナがボソリと呟く。
だろうね……。
私はデータベースにアクセスして、予算がどの貴族に割り当てられていたかを検索する。
そして該当する貴族の名前と、過去に提出された報告書一覧が表示された。
チャックフック伯爵か——。
「メイナ、ちょっと更に寄り道するけどいいかしら? 心残りがあるとモヤモヤして嫌なのよ」
「そう言うと思ってました」
折角痕跡を残さないように走って来た道を、私達は逆走する事になった。