数秘術の石盤より転写
警察が間違った人間を捕まえて、いじめているあいだ、ガルはふたつパッケージを運んだ。
ひとつ目を運んだとき、この中身、まさか爆弾じゃないよね?と疑ったが、ふたつ目を運ぶときにはそんな疑念はすっかりなくなって、今日も元気に仕事ができることを太陽に感謝した。
三日後、教会新聞はまだ爆弾事件を取り上げていたが、ゴシップ紙は中央区の高級住宅街で会社経営者の夫婦が惨殺されたことを報じていた。夫婦には十六歳の娘がいて、その娘がつい先日から行方不明。
アーロンがやってきて、マッコウクジラの脳油のボトルをジャケットの下から見せた。
「ずいぶん景気がいい」
「万年筆だよ。急にさばけ始めた」
アーロンはちょっとだけだぞと言っていたが、暗い色の海で精いっぱい輝く夕日のいじらしさを眺めているうちに、瓶は半分以上開けてしまった。
体じゅうの歯車の滑りがよくなって、人間でいうところの酩酊状態になったところで、アーロンが帰った。
あれだけ精いっぱい輝き、三分後にはその光は夜に飲み込まれるだろうと思っていたが、どういうわけか夕日は踏ん張って、水平線の上に浮かんでいる。いや、むしろ、さっきより高いくらいだ。
「あー、これは酔ったな。うん。酔った」
下の階では大家が安楽椅子に揺られながら、寝息を立てていた。
住人用のコルクボードに少し散歩に行くとメモをピンで止め、ガルは海側の扉から外に出た。
一年のうち一か月だけ開かれる海水浴場を右手に歩きながら、ゆっくりと、クジラの油が部品ひとつひとつを滑らかに動かす感覚に酔いしれる。
運び屋オートマタにもそんな日があってもいい。
沈みそうで沈まない夕日を横目に磯のほうへと歩いた。
大きな岩があり、そのくぼみでは、罪状は忘れたが、二組の男女が逮捕された。特に封鎖もされていないので、入ってみると、その、浅い洞窟もどきの奥まで西日が差し込んでいる。そのため壁に描かれた絵がはっきり見えた。幾何学模様というやつで新進気鋭の芸術家がモダンアートと呼んでいる代物に似ているが、こんな丸や三角を描いたくらいで人間が逮捕されるだろうか?
何か悪魔的な意味があるのかな?と、ぐずぐずしていたら、自分だって逮捕されるかもしれないことはすっかり忘れて、模様に見入っていると、壁に映ったガルの影の隣に小さな影があらわれた。
「運び屋さん。わたしを覚えてる?」
影が言った。
「うん。覚えているよ。ザクロジュースの女の子だよね?」
「うん」
夕日の橙が赤みを増してきた。ザクロジュースの赤だ。
「わたし、彼とこの市を出ていきます」
「ふたりはうまくやっているってことかい?
「うん」
「それはよかった」
「楽な道ではないけど、でも、歩んでいく価値のある、わたしのたったひとつの道だから。それで、この市を出ていく前に、彼がどうしても伝えてほしいことがあるって。あんなふうに姿を変えたことを謝りたいって」
「気にしてないよ。なんだか百二十年ぶりの慣れないことになっちゃって本人も困ってるんだろうなって思ってたから、むしろ心配だったんだ」
「腕をもぎ取ろうとして、本当にごめんなさい。そう、彼が」
「僕はオートマタだからね。腕をもぎ取られかけたのはあのときが初めてじゃないんだ。だから、彼には何も気にしないでいいって言ってくれるかな?」
「うん」
「経過はどうあれ、僕が運んだパッケージでふたりが一緒になるなんて、これっていいことだよね?」
「あなたはわたしたちの恋のキューピッドです」
「そう、言われると照れるな。彼にもよろしく」
そのとき、夕日がとぷんと海に落ちた。
振り向いた空の先、欠けた月のなかにふたりの影が舞っていった。
5 40 99 2 65 000009
――数秘術の石盤より転写