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『カマロス卿の旅記』 ククル=ノアの章
帆走貨物船が座礁したというので、ガルは北地区の波止場へと出かけた。
船着き場は見物人であふれ、立錐の隙間もない。
ガルは背伸びをしたが、船はおろか海も見えない。
シーフード・レストランがスパイスをかけた鱸を焼き始めると潮のにおいもしなくなり、海はガルの記憶のなかだけの存在になった。
そばにいる七歳くらいの少女と条件は同じだな、アルバート。
いや、そうでもない。
事実、少女の関心は大人が飲むには甘すぎてまずいフルーツジュースを売る屋台に釘付けになっていた。彼女にとって、海が存在するかどうかは一杯のフルーツジュースよりも優先度が低い。
彼女にとって、海が明日干上がっても、フルーツジュースがあれば、世界は減りもしないし増えもしない。
そういうこともある。
誤解で血が流れ、革命が起きたが、この国の古い法律で、パンが不足したら、お菓子をパンと同じ値段で販売することが厳密に定められている。
――『カマロス卿の旅記』 ククル=ノアの章