『スタナーゼ記』 第77節
ずぶ濡れの女子学生を見つけたのはアーロンだった。
ガルとふたりで十字路の真ん中にある公園のベンチに座って鳩に餌をまいていたところ、その少女があらわれた。
「高波を食らうような場所じゃないよな?」
「いじめだよ」
ガルが指した先には三人の女子学生がいて、ずぶ濡れの少女と同じ制服を着ている。ただ、彼女たちはずぶ濡れではない。三人はにやにや笑っていた。
「知ってるか、ガル。イワシの世界にもいじめはある」
「拝聴させていただきますよ、教授」
「水槽にイワシを何匹か入れると、一番弱いイワシがいじめられる」
「うん」
「いじめられたイワシは発狂して水槽の外に飛び出して死を選ぶんだ」
ずぶ濡れの少女はガルたちのほうへやってくる。
「あの子、豆が欲しいわけじゃないよな?」
「運び屋に用があるわけでもない」
「あの三人のいじめっ子をシメろってこともないよな」
「それはどうだろう」
「こんな衆人環視の場で人間を、それも女の子を三人もシメたら、リンチにかけられる」
少女は鳩を見て、それからガルとアーロンを見た。
「オートマタの世界にも下らないことはある?」
「あの三人と同じくらい下らないってこと?」
「そう」
「まあ、あるっちゃあるが、どうなんだろうな、ガル」
「変な客が多いけど、それとは違うだろうね。少なくとも僕のことは法律がしっかり面倒を見たよ」
少女の後ろにあの三人がやってきた。
「エリスじゃない。どうしたの? そんなずぶ濡れで」
「犬みたいなにおいがする」
「ぞうきんみたいなにおい」
少女は相手しない。
リーダーらしい少女がエリスの背中を蹴った。そのまま、前に倒れ、鳩が飛び立っていく。
ケタケタ。
笑い、去る少女たちを見ず、エリスが言う。
「鳩をごめんなさい。オートマタさん」
「かまわんさ。故買屋が来るまでの暇つぶしだ」
ずぶ濡れの少女は濡れたブラウスにくっついた鳩の餌をひとつひとつ取りながら公園を、鍛冶職人通りへ出る道をとって、歩いていった。
「さっきのイワシの話だがな」
「うん」
「いじめは狭い水槽で飼われるイワシでしか起こらない。大海原を泳ぐイワシの群れではいじめはないんだ」
その賢者は胸に高邁な理想を抱いていた。
されど、賢者はそれを見える形で実現させる術を知らず、そのため、貧しき愚者たちは賢者に失望し、賢者から離れていった。
賢者は今も霧深い森の奥で一人、抱いた理想を温めているという。
――『スタナーゼ記』 第77節