『乾いた年、濡れた年、飢えた年』 13頁
大雨が降ると、勤労意欲が削がれるのはオートマタも人間も変わりはない。
ガラスを伝い落ちる水たちの無限のパターンを読み続け、飽きたら古新聞から切り抜いた記事を画鋲でコルクボードにとめていく。
『コメディアンのボブ・ホフ、興行師とトラブル』
『漁船転覆。行方不明者、いまだ見つからず』
『今年の冬は例年よりも平均気温が三度低下』
『ウェストヒールで狙撃事件。高官即死』
最近連続する暗殺事件はみなに注目されている。
手口はどれもライフルでの狙撃。額の真ん中を撃ち抜いている。
殺されたのは大物ばかり。
当局はこの謎の暗殺者について、被疑者不在のまま、汝を極刑に処すと全国の都市で触れ回る。
とんだお笑い草だ。
罪はないのに人がいる裁判はいくつもあるが、人がいないのに罪だけがある裁判はそうそうあるものではない。
人間はイレギュラーに弱い。
これまで見たことも嗅いだこともない出来事に出くわすと、経験の殻に閉じこもり、耳を塞いで、きつく目を閉じ、それが通り過ぎるまで震えることしかできない。
これに対し、オートマタはというと、謎の暗殺者が次々と人間を狙撃している? それがどうした? 少なくともオートマタを撃つわけではない。なら、気にしないことだ。
自分たちに火の粉がかからないと真剣に物事を考えないのもまたオートマタと人間は同じである。
狙撃と大雨にはそんな共通点がある。
夏に雪が降り、種は土のなかで死んだ。
飢饉は広がり、住民が全滅した村は六百を数え、街道には餓死者が石ころのように転がった。
市場では犬の肉が売られたが、それが本当に犬の肉だと思うものは一人もいなかった。
――『乾いた年、濡れた年、飢えた年』 13頁