ランジュ、アインと出会う
この回は、コミカライズリスペクト描写も入っています。
グログから接触されて以来、ランジュはクランの側から極力離れないようにしていた。
だがとうしても舌が、体が悪魔界の料理を欲する時がある。そんな時は悪魔界へ行くと、素早く菓子を掴んで、またすぐ人間界に帰る。
「忙しないわね、もっと優雅にでき……」
ルフェーがなにか話しかけてきたが、いつまたグログが来るか分からない。仕方なしとランジュは無視をする。
「な……っ」
残されたルフェーは、怒りで体がわなないた。愚妹に無視をされた、そんなことはこれまで一度もなかったのに。いつも黙って言われっぱなしの妹。それなのに、無視をするなんて。
「信じられない! 人が話しかけているのに、無視をするなんて!」
「落ちつきなさい、ルフェー」
「でも、お母様!」
「ランジュは今、フログの息子のせいで面倒なことになっているのよ」
子どもたちがきちんと書を配っているか、王と父により、たまに監視されていることはルフェーも知っている。
そしてグログが自分と話した後、人間界へ向かい、ランジュと接触したことも。
(あの男、あいつを人間の男に奪われたくなくて必死ね。だけどこのままでは、グログの恋が叶うとは思えない。誰がどう見ても、グログの片思いだし……。なぜ人間界へ行ったのかしら。もしかしてグログ、おじ様のように、あいつをどこかへ閉じこめるつもりだった?)
だとすれば、相談してくれれば良かったのにと思う。
大嫌いな妹を誘拐する手助けなら、喜んで手を貸したのに。
「それにしてもあの愚息、なにを考えているのかしら。旦那様の予想では、ランジュを連れ去ろうとしたようだけれど……。旦那様と私のように愛がなければ、それはただの暴力なのに困ったものだわ」
困ったと言いつつ、惚気るところが、母だなとルフェーは思う。
(やっぱり連れ去るつもりだったのね。どうして失敗したのかしら。やるなら上手くやりなさいよ)
ルジーはグログが動いたことに、長女が関与していないかと観察していた。
ルフェーがランジュを嫌っていることには、もちろん気がついている。ルフェーが人間の血も流れており、完全な悪魔でないことを嘆いていることにも気がついている。だから完璧を目指し、人間に近い妹を嫌っていることも気がついている。
けれどルジーは放置する。
なぜなら彼女自身、双子の妹と不仲だったからだ。
(家族とはいえ、絶対に仲良しでならなければならない決まりはないし……。結局、性格が合う、合わないという問題なのよね)
そういう意味では、三女と四女は仲が良い。二人でよく行動し、なにかあれば二人だけでひそひそと話し、笑っている。
特にランジュがルフェーから叱られる姿を見ることを、好んでいる。
先ほどルフェーが無視された姿を覗いており、ひそひそ話すと声を殺して笑い、二人はどこかへ行ってしまった。
◇◇◇◇◇
そしてついにランジュたちは、アインのいる都に到着した。
都の出入り口となる門から教会までは距離があるため、乗合馬車を利用することになった。
屋根は革製だが、他は全て木で作られている。振動が直に伝わり、尻を痛める。その一点だけが不満だったが、窓から見える光景に、ランジュはセウルと一緒に目を輝かせる。
「まあ、今までで一番大きな都ね。見て、露店があんなに沢山並んでいるわ! 一日あっても、全部を見て回ることは無理ね」
「あっちには大きな噴水があるぞ。彫刻も飾られていて、やっぱり大きな都は違うなあ」
素直に感動し、はしゃぐ二人の姿に、乗り合わせた他の乗客は和やかに見つめていた。
「二人とも、この都は初めてなのかい?」
向かいに座っている杖を持った老人が、笑顔で二人に話しかけてきた。
「はい、初めてです。……あ、すみません。つい楽しくて、はしゃいでしまいました。うるさくして、ごめんなさい」
「ははは、文句なんてないさ。むしろ自分の生まれ育った都を楽しんでくれている姿を見られ、嬉しいよ。もし時間があれば、あの露店通りへ行くと良い。あの辺りには美味しい店がいっぱいあってね、甘いお菓子もあるから、おじょうちゃんも気に入るよ」
「じいちゃん、こいつ辛党なんだよ。甘い菓子には興味ないんだ。いつも料理に驚くくらい、香辛料をぶっかけるんだぜ」
「セウルッたら! 恥ずかしいじゃない、そんなこと言わないで!」
「なんだよ、本当のことだろう?」
まるでじゃれ合うようにやり取りをする二人を見て、乗客たちも一緒に笑う。だが一人、クランだけは複雑な思いになっていた。
ルジーと親しかった頃を、思い出していたのだ。
「ルジーは本当、その絵本が好きだね」
「ええ、亡くなったおばあ様からの贈り物で、とても思い出深いの。あ、そうだわ。二人とも見てちょうだい。今読んでいる本に王子様が登場するのだけれど、その王子様の挿絵がほら、クランに似ているのよ」
そう言うと、ルジーは挿絵を見せてきた。
「本当ね、クランに似ているわ」
覗きこむと頷く姉の隣で、クランは気恥ずかしさを覚えていた。
ルジーにとって深い意味はないのだろうが、「王子に似ている」と言われ、照れくさく恥ずかしく……。だが、悪くない気持ちでもあった。
“王子様”は女の子にとって、憧れの象徴という印象がある。そんな単語と自分をルジーが結びつけてくれたことが、なにより特別に思えた。
だから姉に「クラン、照れている?」と言われ、顔を真っ赤にしてしまった。
むきになり「照れていない」と言ったが、二人からは「やっぱり照れているのね」と言われ、笑われた。
(……まただ……。また昔を……。駄目だな、ランジュを見ていると、ルジーを思い出してしまう)
それも楽しかった頃の記憶ばかり。もう二度と戻らない関係。
過去を思い出せば、あの信頼を失った日からの、ルジーの感情のない目も思い出す。それが彼にとって、辛い現実だった。
馬車での移動を終えた二人には、すぐに行くべき教会がどこか分かった。
一際大きな三角屋根の建物。その頂点には、十字架が掲げられている。正面から見える窓の幾つかは、ステンドグラス。そんな教会に隣接するよう、幾つかの四角い建物も建っているが、それらもきっと、教会に関係するものだと予測できた。
さっそく歩き出し、ここから教会の敷地を示す柵をこえた時、最後を歩いていたランジュの両目に、一瞬痛みが走った。
(なに? 両目が同時に痛むなんて……)
だがそれも一瞬のことで、特にそれから視界に異常が現れることもなく、ランジュは二人の後を歩いていた時、急に頭に父の声が響いてきた。
『ランジュ……から…………れろ………』
『お父様? 魔法ですか? なにを言われているのか、声が途切れて、聞き取れません』
『……来て……ま………………』
モリオンの声が途絶え、ランジュが戸惑っていると、教会の重厚な扉が開き、中から一人の老人が出てきた。
「クラン、久しぶりだね。元気にしていたか?」
その老人は優しい雰囲気に似合う声で、クランに声をかけてきた。
「父さん、久しぶりです。父さんこそ、元気にされていますか?」
クランが父と呼ぶのは、一人しかいない。
(この方が……。教皇アイン様……。温厚そうな方だわ……)
そんなことを考えていると、肌にちりっ。とした痛みが走った。
虫に刺された気配はなく、首を傾げていると、アインは二人にも声をかけてきた。
「ようこそ二人とも。はじめまして、私はクランの父、アインです。君たちがセウルとランジュだね? クランから手紙で君たちのことを聞いているよ」
そして握手を求められ、その手を握り返そうとした時、それは起きた。
静電気なんて優しいものではない。バチン! という大きななにかが弾けたような音が鳴り、互いを拒むように電気が走った。
その瞬間、ルジーは自分の中から、鏡を見なくても父の魔力が消えたと分かった。つまり今、自分は本来の姿に戻ったのだと。
(……まさか、お父様……。この場所から逃げろと、そう言いたかったの……?)
あれだけの電気が走ったのに、二人とも無事だった。
だが、その巨大な音よりなによりも、三人ともランジュの姿を凝視した。
瞬時にして、ランジュの髪、そして瞳の色が変化したからだ。
「ルジー……?」
「ルジーさん……」
ルジーを知る二人には、ランジュが昔、姿を消したルジーにしか見えなかった。