都までの三人の道中
ランジュは自分が知らない間に、この国で一番の教会がある地に来ていたのだと、ようやく知った。
「どのみち、近々父を訪ねようとは思っていたんだ。セウルの今後について、相談もしたくてね」
「え?」
今後ということは、セウルはこのままクランと旅を続けないと言うことなのか。驚いて尋ねると、頷かれた。
「俺だって悪魔の書を失くしたいから、旅を続けたいよ。でも、それなら布教使として活動する方が良いだろうって、クラン様が……。俺、文字の読み書きもろくに出来ないし、それならどこかで勉強するべきだって……」
いつから二人はそれを話していたのだろう。
今までなぜ教えてくれなかったのか、一緒に旅をしているのに。それがちくんと、胸に痛みを走らせた。だがそれ以上に、いつかセウルと離れてしまう日が訪れることが、苦しかった。
だから本音を隠し、茶化すように言う。
「まあ、セウルったら。そんな将来を決めていながら、いつもクラン様の演説を真面目に聞いていなかったの? 驚きだわ」
「う……」
責めている口調ではないが、耳の痛い言葉にセウルは呻く。
まだ少年であるセウルにとって、大人の長い真面目な話は重要性が分からず、ただ退屈で、眠気との戦いであった。
「それに、クラン様のような布教使になるのなら、勉学だけではなく、神への信仰心を抱くことも大切よ」
グログとの一件があり、セウルはほとんど信仰心を抱いていないことに気がついた。
布教使として活動し、悪魔の書を失くしたいのなら、信仰心は守りとなる。ランジュはそれを伝えたかったのだが……。
「神? そんなのを信じて、なにがどうなるんだ?」
一転、セウルの目から光が消えた。
「神を信じれば、なんでも救われるのか? いや、救ってくれないじゃないか! 神の力を見たことがある奴なんていない! 助けてくれない奴に祈ったって、時間の無駄だ!」
強い拒絶。ランジュはなにも言えなかった。同時に父親の言葉を思い出す。
「神は我々のように、力を貸すことは滅多にない。ただ見守ってばかりだ」
そして、そのせいで信仰心が薄まるのに、それでも神は動くことはほとんどないと……。
「クラン様……」
ランジュは救いを求めるように、クランを見上げる。
「なぜ神は見守るばかりで、その力を貸してくれないのでしょう。セウルの言う通り、見守っているだけでは、救われません。神が力を貸してくれれば、悪魔の書を使う人間はいなくなるのではありませんか?」
「そうだね、そうなれば悪魔の書を使う人間はいなくなるだろう。だがそれを踏まえ我々人間を試され、信じて下さっているからだと私は考えている。確かに神が力を貸せば、全て解決するだろう。だが、それでは人間は自分で努力し、立ち上がる力を手放すことにも繋がる。成長することなく、なにか起きれば神だけに頼り……。それで生きていると言えるだろうか」
「でも……。自分だけの力では、どうしようもできないことも……」
そう、例えるならば自分に流れる血のように。
上の者には逆らえない。抗えない、自分ではどうしようもできない呪い。しかも解く方法は、無い。
そんな風に、自分では絶対にどうにもならないことを、神や他の力にすがることは、そんなに罪なことなのだろうか。
「だから、別の力に頼ることだって……」
「そうだね、そういうこともある。だけどランジュ、極端な例えで悪いが……。願いを叶える代償として、多額の金銭を要求されたら? 願いを叶えてやるが、命で代償を払えと言われたら? 親しい者たちの身に、それでなにか起きたら?」
ランジュは俯き、唇をかんだ。
無償で願いを叶えてくれるなんて、聖人や聖女でもない限り無理だ。
それでも思う。神なら、代償を少なく願いを叶えてやれることができるのではないかと。
「それに願いの内容が逆恨みだったり、他者を傷つけるものだったりしたら? あの人の願いは叶えたのに、自分は叶えないのかと不公平を唱える者が出てくるだろう。その線引きは誰が行う? 神の価値観で、全て決めるのかい?」
神が邪まな願いを叶えることはないと、ランジュも思う。だが、神の価値観が分からない。
(きっと純粋な願いなら……。でも、純粋な願いって、なに? 私から悪魔の血が消えることは、誰かを不幸せにするかもしれないから、無理? それに……。きっと身勝手な願いを望む人ほど、叶えてくれないのかと神を冒涜するかもしれない……)
願いを叶える悪魔たちにとって、人の欲は肥大する。
だから唯一の魂を代償として、あらゆる願いを叶える。
一つ叶えれば、もっと、もっと。あの願いも、この願いも叶えてくれと際限がなくなる。
それに魂は悪魔にとって好物。たった一度願いを叶えるだけで、ご馳走も手に入り、願いが叶った人物も満足する。それが悪魔にとっての認識。
曽祖父はたまたま父により、母を奪われることになったが、自ら他者を差し出し、願いを叶えようとする人間がいる。自分の魂が惜しいから、守りたいから。
その悪魔視点の現実を知るランジュは、暗雲たる気持ちとなる。
「死後、神によって裁かれると言われるけれどさ……。死んでからじゃないと裁かれないって、やっぱり変だよな。だって死ぬまで許され、平気に暮らし続けるんだから」
そう言うセウルの肩を、クランは抱き寄せた。
セウルの負った心の傷は深い。両親を亡くすきっかけを作った人物は、今も普通に生活しているだろう。罪悪感を抱いているかは、本人にしか分からないからこそ、セウルは見える形での罰を欲している。
人が人を罰せないのなら、神に罰してほしいのに、罰してくれないため、神を信じられなくなっているセウルの気持ちも分かる。
(だが、それで布教使となれるか……。勉強をすることで、考えが変わると良いが……。傷は根深い。難しいかもしれない……)
そんなことを考えていると、顔を上げたランジュが真剣な面持ちで口を開く。
「セウル、悪魔の書を失くすために悪魔と戦うのなら、神への信仰は絶対に必要。悪魔のような力を持たない人間には、神を信仰するその思いだけが唯一の武器であり、守りなのよ」
断言する物言いに、クランはなぜか引っかかりを覚えた。上手く説明できないが、なにか妙だと。
しかしセウルはそれに気がつかず、それでも信じないと意固地になったように一蹴する。
「セウルも見たでしょう? 悪魔が苦しみ始め、逃げた姿を。あれは信仰心の厚いクラン様が、近づいて来たからよ」
「………………」
それにセウルは黙ったが、クランは余計疑念のような感情を抱く。
(なぜ断言できる? やはりランジュは言わないだけで、悪魔と関わりがあるのでは? それを打ち明けてくれないのは、よほどの事情があるのか、信用されていないのか……)
信用されていないと考えた時、思い出されたのは、感情のないルジーの瞳。
ルジーから、拒絶されるように避けられた日々。
(……今度は間違えない……! ランジュは味覚の変わっている女の子だが、それだって個性の一つ。信用されるよう、精進しなければ……)
クランは改めて決意した。