居場所が欲しいランジュ
その頃グログは、ランジュが一日に最低でも一度、短い時間でも悪魔界に戻っている情報を掴んだ。
あの二人から離れた場所で転移しているはず。その時がチャンスだと、グログはその時を待った。
それを知らぬランジュはいつものように用を足してくると言い、二人から離れ、悪魔界で菓子を口に放ると人間界へ戻った。
ところがなぜかそこに、グログが立っていた。
「グログ、どうしたの? なぜここに?」
グログがモリオン邸で彼女を待ち構えることはできない。連れ去り閉じこめたいから、待ち構えると知られれば、父親であるモリオンにどのような目に合わされるか分からない。だから多少の危険はあっても、人間界で待つしかなかった。
「……お前を………………来た……」
「え?」
ぼそりと聞き取れない声。よく聞こえるよう、近づこうとした時だった。
「ランジュ、お前を迎えに来た」
いつもと同じくフードを目深にかぶり、はっきりと見えた訳ではない。だが笑みを浮かべたことは分かった。
(……なにか企んでいる?)
彼が笑みを浮かべることは、ほとんどない。だからこそ怪しみ、足の動きを止める。
「迎え? どういう意味かしら。私は今、王の命令で人間界に滞在しているの。悪いけれど、一緒に行けないわ」
「……そうかあ……。だったら、無理やりかあ……」
ぞわっと体の内側から怖気立つ。
グログが魔法を使おうとしていることに、気がついたのだ。この人間界で。
「グログ、なにを考えているの? 本気?」
口ではなく、次の行動が答えだった。魔法を放ったのだ。それを分かっていたランジュは、飛ぶようにして避ける。直後、自分が先ほどまで立っていた場所で小さくだが爆発が起きた。
飛んでくる細かな石から守るよう、両腕を交差し、顔の前に当てる。その間も視線はグログから外しはしなかった。
(爆発にしては小規模。気絶させることが目的? そこまでして、私をどこへ連れて行くつもりなの?)
グログの戦闘態勢は解かれていない。人間界で不用意に魔法を使うことは危険だが、応戦する必要があるかもしれない。そう覚悟した時、セウルの声が聞こえてきた。
「ランジュ、大丈夫か? なかなか帰ってこないけど、どうかしたのか? それに変な音が聞こえたし……」
彼はただランジュを心配して見に来ただけだった。それなのに、なにか爆発音に似たような音も聞こえ、不安に襲われた。
ところが茂みを出て見た光景に、言葉を無くした。
異様に長い腕のグログは、異質だった。どう見ても人間ではない。その姿に刺激され、過去がよみがえる。
一度だけ出会った、あの存在。両親を亡くすことになった、許せない、あの……!
「ランジュ! そいつから離れろ!」
飛び出すとランジュの腕を取り、さらにグログから距離を離そうとする。しかしその間も、二人はグログから目を離さない。ランジュを背に隠すと、セウルは叫ぶ。
「お前、悪魔だろう!」
忘れることはない。その見た目だけではなく、放たれる空気が言っている。これは“悪魔”だと。
睨み、憎しみを隠さないセウルと対照的に、グログは笑い始めた。
「お前、そうか……。はははっ。あの布教使と旅をしているから、勝手にそうだと思いこんでいたが、違っていたのか。いや、むしろほとんど神を信仰していない。ただ布教使と一緒にいるだけか」
「な、なにを……」
図星だった。
悪魔を憎み、悪魔の書を処分したい、それだけの理由でクランと旅を続けている。神の存在は信じているが、両親を助けてくれなかったことから、愛するより、憎しみの感情が強い。
本当に神が全てを知り見守ってくれているのなら、なぜ父は無実の罪を着せられ、両親は亡くなることになった。見守るだけで助けてくれないのに、なぜ愛されていると思える。そんな存在を、どうして愛せよう。
神はなにもしてくれない、ただ見ているだけ。
だったら、自分で動くしかない。動かない神の助けを待つより、自分で悪魔の書を処分するしかない。
(なんでこいつにそんな……。俺の心を読んだのか……?)
動揺しているセウルは、脅威の対象ではないと知り、勝てると思った直後、グログの心臓が大きく跳ねる。その後、まるで潰されるように苦しくなり、胸の辺りの服を掴み、膝をつく。
「が……っ。ああ……っ」
苦しい、呼吸も上手くできない。心臓が痛い。肌も焼けるように痛みが走り、体の力が抜けていくようだ。
セウルとランジュは、ローブの隙間から白い煙のようなものが上がり始めた光景に驚いた。一体どうしたことかとセウルは戸惑い、ランジュには心当たりがあった。
――――――消滅。
彼は今、消滅しようとしている。
(でも一体、どうして急に……)
その答えはすぐに分かった。
「セウル、ランジュ、どこにいるんだい?」
(クランの声……! 彼が近づいてきたから、グログに影響が……!)
グログは力を振り絞り、悪魔界へ帰った。
そのことにランジュは、そっと胸をなで下ろした。
消滅、それは悪魔にとって死を意味する。さすがに従弟の死を、目の前では見たくなかった。
「ああ、二人とも、ここにいたのか。なかなか帰ってこないから、心配したよ」
姿を現したクランに、セウルは大変だと訴える。
「クラン様、悪魔だ! ついさっきまで、そこに悪魔がいたんだ!」
「え?」
クランは急いでセウルの指した場所へ、視線を向ける。
「間違いない、あいつは悪魔だ! あの悪魔と似ていた……。いや、雰囲気が同じだった!」
グログの見た目は、確かに人間から離れている。それでも一目で悪魔と見抜いた。さらに怒りを隠さないその様子から、なぜ彼がクランと旅をしているのか、その理由が朧気ながら見えてきた気がする。
どういう理由からかは知らないが、彼は以前、悪魔と会ったことがある。そこでなにかが起き、悪魔を憎むようになった。
クランと同行しているのは、悪魔の書――――。つまり、悪魔を排したいから。
そう考えれば、クランの演説に興味がないことも納得できた。
(……どうしよう……)
そんな彼に自分の正体を知られたら、どんな目を向けられるか。きっと嫌われる、憎まれる。
存在そのものもそうだが、ずっと嘘を吐いていたのだ。
人間と偽り、家族はいないと言い、嘘を吐くことで一緒に旅をしていた。
もし知られたら、あの楽しい思い出たちは……。
(でも、でも、私はクランと一緒にいても平気で……。父親が悪魔だけれど、人間に近い存在で……。グログのように、消滅しないし……。でもそんなこと、セウルに関係ある? 悪魔の血が流れているのに、ずっと嘘を吐いていたのに、許してもらえる?)
知られることで、あの時のように笑って踊ることはできなくなる。それは嫌だと心が叫んだ。
(正体を知られたら駄目……! それだけは避けないと……!)
悪魔王の命令を遂行できないからではない。ただ、嫌われることが怖く、恐怖から両目を強く閉じる。
「ランジュ、ひどい顔色だ。ひとまずここを離れよう。悪魔が出たのだから、危険だ。あちらで温かい飲み物を用意してあげよう。落ちついたらなにが起きたのか、最初から話してくれるかい?」
「……はい」
クランはランジュが連れ去られないよう、その手を握って歩き出した。
思えば父、モリオンと手を繋いで歩いたことがない。はぐれても魔法を使い、すぐに見つけてくれるから、手を握る必要がないのだ。
クランの手の温もりが、守ろうとしてくれる彼の気持ちに思え、ランジュは安堵と喜びから泣き出した。
自分は他の兄弟となにか違う。
幼い頃から自覚があった。だから感情を隠すようにして生きてきた。そんな自分が、これだけのことで泣くなんて。己の変化に気がついていなかったランジュは、それが良いのか悪いのか分からず不安となり、余計に泣いた。
泣いているうちに、やはり自分は異質なのだと思えてきた。
(クランと……。クラン様と旅をしていても、消滅する兆しさえない。悪魔の血が流れているのに、悪魔界の住人ではない。だけど、人間でもない。私だけ違う。私だけ、居場所がない。正体を知られたら、二人と一緒にいられない。嫌だ、どうしよう。そうなったら、私は……)
悪魔界でも、人間界の住人でもない。
自分は一体何者なのか、どうして居場所がないのか。
居場所はもう、クランとセウルと二人にいる時しかないのではないか。しかしそれも正体を知られたら終わる。
変わらず手の温もりは優しいのに、悲しくて堪らなかった。