笑顔の少女と後悔する男
人間社会の常識に対する情報が不足していると自覚したランジュは、これ以上迂闊な言動を取らないよう、注意をするようになった。
家族については『話したくない』と言えば、クランたちはそれ以上、追求してくることはなく、ランジュが話したくなったら、いつでも聞くと言ってきた。
クランの性格はランジュにとって、都合の良いものだった。
ずけずけと踏みこんでこない。その姿勢はただ優しいだけではなく、どこか脅えているようにも見える。そのため、過去になにかが起きたのだろうと、ランジュは想像する。
(それにしても、どうしてセウルはクランと旅をしているのかしら)
謎なのはセウルである。
なぜクランと旅をしているのか、その理由を知りたいが、はたして尋ねて良いものか。ランジュには分からなかった。
ただ一人でクランと一緒にいるということは、家族は亡くなったか、捨てられたか等、簡単に踏みこめない理由に違いない。自分は『話したくない』と拒むのに、他人のことを知りたがるのは、良い行動とは思えない。
そんなセウルが隣で、退屈だと言わんばかりに大きく欠伸をしている。
どうやら彼は、クランの演説に興味はないようだ。だから広場を離れ、町を散歩することも多い。
このことから師弟という関係でもないことが分かる。
(どうやって二人は知り合って、一緒に旅をするようになったのかしら。ちっとも分からないわ)
◇◇◇◇◇
「私は教会の方と話があるので、二人で町を楽しんでおいで。ただし、危険な場所には行かないように気をつけるんだよ」
そう言って、わずかだが小遣いを渡してくれるのも当たり前となっていた。
当たり前だが感謝の念を忘れず、大切に鞄の中へ入れる。
こうやってセウルと二人で自由に歩ける時間が、いつの頃からか楽しみになっていた。
いつものように、露店を中心に覗く。色鮮やかな小物たちに目を輝かせる。特にヘアアクセサリーに目がない。優しい色に、フリルやレース、刺繍で飾られ実にかわいらしい。
唯一困るのは、試食だと食べ物を渡される時。断っては怪しまれると思い、仕方なく受け取り口にするが、あいかわらず美味しいとは言えない。
(このリボン、素敵。それにしても似たデザインでも、色でこんなに雰囲気が違うのね)
上質な生地とは言えない。だが花の刺繍が入っているリボンに惹かれ、手に取る。
白い生地に、縁は緑色。中間辺りに、均一に刺繍された花が入っているリボン。
これが悪魔界のリボンなら、全て濃い色で統一されている。花も血や腐りを思わせる色が選ばれ、生地との境が曖昧なモノが多い。ダークな雰囲気のモノが多く、人間界の品に比べると、かわいらしさが欠片もない。
(本当、見ているだけでも楽しいわ。これで髪を結ったら、似合うかしら)
心が弾み、自然と笑顔になる。その笑顔を見たセウルの心がはねる。笑うランジュが可愛いと思うせいだと、自覚している。
そんなことを知らないランジュは、リボンの代金と、カバンに入っているお金を天秤にかける。いくらクランから貰った小遣いとはいえ、簡単に使うことはためらわれる。結局リボンは諦めた。
自分が稼いだ金ではない。軽はずみには使えない。
様々な店を覗きながら歩いている二人に、通りかかった大道芸人の一人が近づいてくる。
「これからあっちで催しをするから、良かったらおいでね。これは可愛いおじょうさんへ、プレゼント」
そして一輪の黄色い花を渡してきた。
受け取ったランジュは珍しそうに茎を回し、様々な角度から花を見つめる。
(やっぱりランジュは変わっているよな。たまに世間知らずっていうか……。珍しくないモノでも、初めて見たような反応を見せることがあるし。ひょっとして、金持ちの家の子だったのかな)
味覚は奇妙だが、その食事の姿はクランと似ている。二人だけ別世界の住人のように見える時がある。食器の持ち方、姿勢。それらはセウルが生きている世界とは、異なっている。
そんなことをセウルが考えているとは、ランジュは自身が思いもせず、嬉しそうに花を嗅ぐ。
ふとセウルの目に、同じように花をもらった女性が目に入る。
「ランジュ、さっきリボンを買おうか迷っていただろう? だったらあの人みたいに、その花を髪に飾ったらどうだ?」
茎の長さを調整し、耳にかけるようにランジュの髪に花を挿す。
「似合ってんじゃん」
「……ありがとう」
褒められ、胸がくすぐったくなった。初めてとも言えるその感覚を、どう扱えば良いのか分からず、ただ顔を赤くして俯くしかなかった。
やがて大道芸人たちが音楽を奏でたり、曲芸を披露したり、道行く人を楽しませ始めた。中には周りの人の手を取り、踊り始める芸人もいた。踊る人数が増えると、自然と周りも一緒に踊り出す。
ランジュもセウルに誘われ、踊る。社交ダンスとは違い、型や決まりはない。ただ音楽に合わせ、自由に体を動かす。
体を回転させると、スカートの裾がふわりと空気を持って膨らんで揺れ、長い髪が空中を舞う。
(楽しい!)
自然と笑顔になったランジュの片手をセウルが手に取り、高く上げる。ランジュは空いている片手でスカートの裾を持ちながら、回転する。
二人は笑顔で踊る。
歌いたくもなる。歌詞にだって決まりはない。今のこの思いを、音楽に乗せたい。そんな思いを抱きながら、ランジュは自由を楽しんでいた。
そんな二人を、話を終えて捜していたクランは、踊るランジュを見て体が固まった。
(ルジー……!)
笑顔のランジュが、遠い過去のルジーと重なる。
「おいしそうなベリー。これでジャムを作ったら、美味しそうね」
「まあ、それは素敵な考えね。さっそくジャムを創りましょう。そしてそのジャムを使って、クッキーを焼くのはどうかしら」
「すごく良いと思うわ、テーゼ。クランも手伝ってくれる?」
「もちろんだよ」
呼び起されたのは、三人で笑いながら台所に立った記憶。教会の庭に生ったベリーを摘み菓子を作ったが、失敗して焦がしたりしたが、初めてにしては上出来だと、それさえも三人で楽しんだ。
あの頃は姉のテーゼを含んだ三人で、仲が良かった。そして、それが永遠に続くと信じていた。
二人に声をかけることなく、目眩を起こしたように、ふらついた足取りでその場を離れ、人気のない場所へ向かう。誰の家とも知らぬ外壁に両手を当て、その間に顔を沈める。
彼女の笑顔を奪ったのは誰だ。自分たちだ。信頼を裏切った。時間が解決してくれると思った。
(でも間違いだった……! 信じたくなかった、ルジーに紋様が現れているなんて。悪魔に連れ去られてしまうかもしれないなんて!)
結果はどうだ。
ルジーは人間の世界で生きながら、悪魔だけに心を寄せることになった。そして誰に対しても未練なく、むしろ喜んで悪魔に連れ去られた。
(もしもあの時、信じると言っていたら……)
今度は背中を当て、ずるずると座りこむ。
成長したルジーは美しさを増し、そんな彼女の手を取り、腰に手を回し、あの二人のように踊れていたかもしれない。
そんな未来を潰したのは、自分。
強い後悔にクランは声にならない叫びをあげながら、つめをたて、顔をかきむしるように手を動かす。
クランがそのような状態になっているとは知らず、二人は無邪気に踊っていた。