新しい道
「ランジュは人間になった。もちろん魔法は使えない。だけど二人とも知っているでしょう? 人間の中に、聖女や聖人と言われ、魔法が使える人間が現れることを。ランジュはその可能性を秘めている。なにしろ、もともと魔法が使える者だったのだから。ランジュが聖女になれば、どうなると思う? あの子のことだもの、喜んで人間のために力を使うでしょう。そうすれば悪魔の書の出番がなくなるわ。それは避けないとならないでしょう?」
ここまで理解できるかと問われ、二人は頷く。
「ランジュへ我々が近寄れば、それがきっかけで今は封じられた魔力が放たれ、聖女になる可能性が高い。お前たちはそれぞれ、ランジュに固執している。だから前もって釘をさす必要があると判断された。もっともランジュは神の存在を知っているので信仰し、そもそも近寄れないかもしれないがね」
「旦那様、グログは最近力をつけてきているので、その努力は認めて差し上げて。まだまだ旦那様の足元にも及びませんけれど」
早い話、悪魔大公、モリオンが二人になった。
魔法を使えない人間となったランジュだけが相手なら、いつか連れ去ることは可能だろう。だが動けば、この夫婦は許さない。ランジュをさらい閉じこめても、この二人はそれをかぎつけ、自分を処刑するに違いない。
(くそ、くそ、くそ! まさか伯母さんが本物の悪魔になるなんて! それに、教皇はどこへ消えた? 布教使は人間界に帰っているのに。神が関与してきたと父さんは言っていたけれど、どういうことだ? あの光になにか秘密があるのか? どっちみちこの二人を相手にして、勝てるはずがない……! まさかこんなことになるなんて……!)
ランジュが人間になり、家を追い出されたことはルフェーにとって喜ばしい話だ。
だが、なぜ母は悪魔になれたのに自分は無理なのか。完全な形を求めるルフェーにとって、それは我慢ならなかった。無理だと言われたが、念押しのように尋ねる。
「お母様……。本当に私はお母様のように、悪魔になれないのですか……?」
「なれないわ」
断言され、唇を噛む。
うなだれ謁見の間を子どもたちが去り、三人だけが残った。
「……力が戻るまで、どれほどの時間が必要か……。だが……。ふふふ……。まさか神の書を使われ、人間が悪魔になるとは……。ルフェー……。あの娘には、それを願ってくれる人間がいない……。だから悪魔になれない……」
「人間界に祖父母はいますが、あの子、良い印象を与えませんでしたから。教皇アインが特殊なのでしょう」
霧のように消えていくアインを思い出す。
彼が自分の幸せを願ってくれたから、アインが消えた直後、すぐにモリオンは何事もなかったように回復した。モリオンのいない世界は、ルジーを幸せにすることができないからだ。そして愛するモリオンと共に生きられるため、悪魔になれたと推測している。
(教皇、貴方には感謝しているわ。貴方がいなければ寿命を迎え、旦那様に魂を食らってもらい、一つになるしかなかった。それが今は生きながら一心同体! 魔力は共有し、どちらかが亡くなれば、その瞬間、旦那様か私も亡くなる。旦那様は私であり、私は旦那様でもある!)
この事実を実感するたび、歓喜に震える。
教会関係は、今も嫌いだ。だけど今は、アインだけ違う。あれほど自分を犠牲にし、他者の幸せだけを願い、神を信じる男はいない。敵とはいえ、認めるべきだ。
布教使はその域に達していないが、今回がきっかけに変化があるかもしれない。アイン以上の強敵になるかもしれない。それでも……。
「悪魔になった気分はどうだ、ルジー……」
「もちろん最高ですわ、王。私、以前よりもっと幸せです」
◇◇◇◇◇
悪魔界でそのようなやり取りが行われたことを、もちろんランジュは知らない。
だからいつまた父親が来るかと脅えていたが、不思議とその気配はない。他の悪魔やグログの接触もない。
セウルは悪魔とはいえ、グログが気になっていた。自分たちに協力したことにより、処刑されていなければ良いのだがと願ってさえいる。
「誰も来ないのは、ランジュが聖女になることを恐れているんじゃないのか? 最後、王を気絶させるくらいの魔法を放っていたし。いつまた魔法を使えるようになるか、分からないじゃないか」
セウルにそう言われ、その可能性もあるとランジュたちは頷く。
「そうだね。ランジュがまた魔法が使えるようになるのは、悪魔にとって都合が悪いのだろう。なにしろランジュなら人間のために力を使うから、神を信仰する者が増え、悪魔の書を使う者が減ってしまう。悪魔には避けたい状況だ」
最後の魔法は、ランジュにとっても爆発的な力だった。あの瞬間だけ、父を超えていたと自分でも思う。それを脅威に感じ、王たちが手出しをしないのであれば、アインも望んだ通り、人間界で人間として生きるだけ。
「さて、この国にももうすぐ新しい教皇が着任される。セウル、ランジュ、今後をどうする? セウルはどこかの家の養子になり、そこで勉強する予定だったが……」
「俺……。クラン様から直接、色々習いたい……。駄目、かな……?」
あの件の前であれば、ここにはアインがいるので、身近に頼れる者がいるので、なんの問題もなかった。だがアインはいなくなり、心の拠り所がなくなったので、不安もあるのだろう。あえて追求せず、頷く。
「分かった。ただ私は布教使の活動を止めない。それでも良いかな?」
「ここに来るまで、ずっとそうだったじゃないか。俺、今度からは真面目にクラン様の話、聞くよ」
一方、ランジュも二人と一緒に旅をしたい思いはあったが、ルジーに似たこの顔でそれが許されるのか心配していた。
「ルジーには双子の妹がいる。彼女の子どもということにすれば大丈夫だろう」
そう提案するクランに向け、ランジュは「でも」と言う。
「リューナ叔母様、悪魔界にいるから……」
父親から命じられ言えなかったことが、人間になったことで縛りから解放され、口にすることが可能となっていた。
「リューナが? なぜ?」
初耳に驚き、事実か尋ねると頷かれた。
「叔母様、田舎の暮らしが嫌だったの。それで悪魔の書を使って、昔のようなお金持ちの生活を望んで、悪魔界へ連れ去られたの。お母様が叔母様を嫌っているから、叔母様の命を守るため、悪魔界へ来ていることを言わないように、お父様から命令されていて……」
なんということだと、クランは額に手を当てる。
ルジーの両親とは時々手紙でやり取りをしているが、自分は年中各地を回っているため、その情報を得ていなかった。いや、二人は言えなかったのかもしれない。やり直すことができなかったと、恥じているのかもしれない。
「私も二人と旅に出たい。フードで顔を隠しても良い。だけど、おじい様とおばあ様に、お母様と叔母様のことを伝えたい。私たち兄弟のことも」
「そうだね。僕も姉に会って、父さんの最期を伝えたい」
三人は行き先を決め、また旅に出る。
まずはここから一番近いクランの姉、テーゼへ会いに向かった。義父が亡くなったことを知らされテーゼは泣いたが、最期まで義父らしい生き方だったと呟く。そしてルジーが幸せに暮らしていると知り、長年の憂いは消え、少し安心した。
そしてランジュを抱きしめ、きっと幸せになれると告げた。
それから三人は、ルジー姉妹の両親のもとへ向かう。
「七人兄弟に、十三人兄弟。二人とも子だくさんだね」
事あるごとにクランはそう言う。それほど幼い頃から二人を知る彼にとっては、衝撃の内容であった。
「リューナ叔母様、旦那様の血が関係していて、妊娠期間が短かいから」
「でもまさかグログが、そのリューナって人の子どもとは思わなかったな。不気味な見た目で、ちっとも人間らしさなかったし。純粋な悪魔だと思いこんでいたよ」
セウルはグログと会っているので、カエルのような見た目の悪魔の子どもと言われ、納得できた。クランは会うことができないままだが、リューナはなんという悪魔と結婚したのだろうと、不憫がる。
とりあえず夫である悪魔は妻を好いており、大切にしていると聞き、その点は良かったと思えた。ただその思いは一方通行で、リューナは夫を嫌っていると聞かされ、やはり不安になる。だがいくら同情はできても、助けることは不可能だと分かっている。
もうすぐルジーの両親が暮らす村、その手前で初めてランジュは打ち明ける。
実はリューナが悪魔の書を使った直後、祖父母と会ったことがあると。それは父親からの命令で、会話はできなかったが……。
「……覚えてくれているかな……」
「覚えてくれているよ。姉さんも言ったけれど、君は本当、ルジーに似ているし」
「でも……」
ランジュの様々な不安を感じ取ったクランが、手を握ってくる。その温もりに安堵し、勇気をもらう。
娘を二人とも悪魔に奪われた夫婦にとって、きっとランジュは救いになるだろうとクランは考えていた。
ついに到着し、クランが代表してドアをノックする。
「はい、どなたでしょうか」
少し開かれた扉から、老けてどこか疲れた様子の女性が顔を見せる。
「お久しぶりです、エルシェ様」
「まあ、クラン様?」
ドアがさらに開かれ、ランジュの祖母、エルシェが全身を見せる。
「何年ぶりでしょう、お元気ですか?」
「エルシェ様もお元気ですか? ……リューナのことを聞きました。まさかそんなことが起きるとは……。残念です……」
「………………」
エルシェは黙りこむ。
娘たちを愛していた。だから奪われる恐怖に毎日苦しみ、連れ去られると信じた妹を優先させ、姉を蔑ろにしてしまった。挙げ句には妹の気持ちも蔑ろにし、無理にこの村へ来たから、娘を二人とも失ってしまった。
取り返せない過ちに、なにも言えない。
「実は紹介したい子がいます」
「紹介したい子……?」
ようやくセウルに気がつき、さらにクランの服を掴んで、彼の後ろに誰か隠れていると気がつく。
おずおずと姿を見せたのは、リューナが悪魔の書を使った直後に姿を見せた少女だと、すぐに分かった。
「……私、お母様の名前がルジーといって……。貴女の孫、です……。ランジュといいます……。あの、えっと……。おばあ様と、呼んでも、良いですか……?」
震える手で涙を流し、祖母はランジュを抱きしめる。
「ええ、ええ、もちろん。貴女、前にも会った子でしょう? あの時は会話できなかったけれど……。その顔をよく見せてちょうだい……。ああ、娘たちに似て、なんて可愛い……。もう一度会えて、嬉しいわ……」
ランジュも祖母を抱きしめ返し、覚えてくれていたこと、受け入れてくれたことに喜び泣く。
その泣き声に気がつき、裏庭で畑作業をしていた祖父が姿を見せると、クランは軽く頭を下げると駆け寄る。
人間となった孫を祖父母が抱きしめ、三人は再会を喜んだ。
その様子をクランとセウルは、優しく見守る。
きっとこれがアインの望む、ランジュの幸せの一つなのだと、二人には分かっていた。




