その後
王の城が破壊された。それも神の雷により。悪魔界の重鎮たちが恐れていた事態が起きてしまった。駆けつけても神の力に阻まれ、王に加勢することはできなかった。
「嫌な予感というのは、当たるものですねえ」
「まさか悪魔の書について教えろと願われた時の手記が、残されていたとは」
「おかしいわ、ありえないはずよ。だってあの時、私は教えた直後にすぐ契約者の魂を食べたのよ? 手記を残す時間はなかったのに」
「誰かが聞き耳をたてていたのでしょうねえ」
重鎮たちはすでに復興され、何事もなかったような城を見上げ、会話を交わしている。
今、城内には使用人も立ち入ることができず、五人しかいない。これからなにが話されるのかは、聞かされたばかりだ。
「今後、人間たちは神の書を利用すると思うか?」
「私は利用しないと思います。なにしろ代償は、消滅。消滅した後、実はどうなるかは私たちも知りませんが、魂そのものの消滅だと睨んでいますがね。それに神の書へ変化させるには、信仰心が関わっているようですし」
「憶測だらけだな」
「確実なのは、大公家がますます発言力を得たということね」
面白くない話だと、数名鼻を鳴らす。
城外でそんな会話をされているとは知らず、ルフェーとグログは謁見の間でひれ伏していた。
ソファで横たわる王の力は弱い。今の自分より弱いと、ルフェーには分かっている。それでもひれ伏しているのは、王に付き添っている無傷の父がいるからだ。
雷が降り、王の城が壊れたあの時、父も城にいたはず。王はこれほど重症を負い、今なら下克上が起こせるのに誰も動けないのは、王の腹心、王の右腕、そんな異名を持つ悪魔大公、モリオンの存在があるからだ。さらに脅えさせるモノが、まだ城内に隠れていることにルフェーは気がついていた。
「二人とも、呼ばれた理由は分かっているか?」
グログはあの三人を招き入れたことが知られ、処される覚悟はあったが、ルフェーには思い当たることはなかった。
「グログ、君は人間を三人も悪魔界へ招いた。しかも悪魔界の敵である、教皇アインと布教使クランを。これは重罪だ。本来であれば処刑されてしかるべきだが、ある点が考慮され、処刑は免れた。おめでとう」
皮肉でもなんでもない、感謝されているようにも聞こえる声。驚いて顔を上げると、モリオンが微笑んでいた。それを意外に思っていると、隣のルフェーが腕だけを動かし、グログの頭を押さえつけてくる。
「なにをする!」
「あんたこそ、なにを考えているのよ! お父様がひれ伏せと言って、まだ許されていないのに、勝手に顔を上げるなんて!」
「お前、そんなに父親が怖いのか?」
「……当然でしょう。王があの状態の今、お父様が最強と言っても過言ではないのよ。それに……。あんた、本当に分からないの?」
横目でなにかを訴えようとしているルフェーは、明らかに怯えている。さらに震える声で、信じられないことを言う。
「この城内に、お父様がもう一人いることが……」
「なにを言っている。お前の父親はそこに立っているじゃないか」
「さすがだわ、ルフェー」
怪訝な声を出したグログに続き、ルフェーを褒める声が室内に響く。
それまで別室で控えていたルジーが魔法で姿を現し、二人に顔を上げるように告げる。
「お、お母様? なぜ、なぜ魔力をお持ちで? それにその魔力、お父様と同じ……。まるでお父様が分裂したような……」
ルフェーの言葉に、ルジーは頷く。
「よく分かっているわね。私、魔力を与えられて悪魔になったの。それも旦那様と同じ悪魔に」
「本当ですか?」
そんな方法があるのなら、自分も完全な悪魔になれるかもしれない。ルフェーの心は躍る。グログはそんなことがあり得るのかと訝しむが、確かにルジーから魔力を感じる。
(こいつがモリオン大公と同じ魔力を有していると言うから、実際そうなのだろうが……。人間がなぜ? どうやってそんな悪魔に人間がなれた?)
期待を寄せるルフェーに、ルジーは笑顔で告げる。
「方法はあるの。だけど貴女には無理よ、ルフェー」
なぜなら彼女に、書を使って完璧な悪魔になるよう願ってくれる人間がいないからだ。
自分はアインが幸せを願ってくれたことにより、悪魔として生まれ変わった。これでモリオンと永遠に離れることはなくなる。これ以上の幸せは、ルジーにとってない。
「私は旦那様の魔力が倍となり、その半分が私の魔力として分け与えられた。私と旦那様の魔力は基が一つだから繋がっており、互いが互いの力を使える。つまり旦那様が二人に分かれ、その片方が私なの。だから分裂という言葉は、ふさわしいわね」
だから父親が二人いるような感覚になっているのかと、ルフェーは理解した。
「私、悪魔王が好きなの。確かに仕事だと言って旦那様を呼びつけ、家に帰さない時は怒り、ここへ乗りこんだこともあるわ。けれど、私たちを祝福してくれる寛大なお心に、感動したの。さらに憎らしいけれど、私の知らない旦那様の幼い頃の話も聞かせてくれ……。だから復活されるまで、王を守りたいと旦那様にお願いしたの」
「それを私が叶えてやりたいので、他の悪魔たちを抑えることにした。王が弱まっていても、私たち夫婦を相手に勝負するには分が悪いと皆、分かってくれたよ。人間だった頃から妻の言動は、有名だからね」
そうだ。悪魔相手に習った体術、与えられた道具で幾つも勝利していた。そんな母が魔力を得たのだ。それも父と同格の力。この夫婦を敵に回し、逆らおうとする悪魔は少ないだろう。悪魔より悪魔らしい人間が、本当に悪魔になったのだから。
「私がこうなったのはグログ、貴方があの三人を悪魔界へ招いたことがきっかけ。だから私は貴方を許し、処刑したくないと悪魔王に願い、許しをもらえた」
そこで一旦言葉を区切ったルジーの表情が、すっと冷淡なものに変わる。
「今日二人をここへ呼んだのは、命令を下すためよ」
下される命令とはなにか、予想がつかない二人にモリオンが告げる。
「今後、ランジュへ一切の関与を禁ずる」
◇◇◇◇◇
「やっぱり魔法、使えないのか?」
セウルに問われ、ランジュは頷く。
「何度も試したけれど、駄目。体の作りも変わったみたいで、料理も辛すぎると舌が痛いの。灰も口に入れたらむせるし、飲みこめないし……。やっぱり私、人間になったみたい」
「アイン様、ランジュが人間としてこっちで暮らすことが幸せだと分かっていたんだよ。それを神様が叶えたんだ」
「うん……」
悪魔界へ残したアインと、二度と会えないことは二人とも分かっていた。例え神の書を使用していなくても、あの体に受けた攻撃を考えると、生きているはずがない。
「アイン様には感謝している。だけど私、アイン様ともっと一緒に過ごしたかった。そういう意味では、願いは完璧に叶えられていない。そう思うのは贅沢かな」
「贅沢じゃない、俺もアイン様に会いたいよ。でも、対価を払わなければならないから。アイン様は俺たちと別れ、代償となる覚悟があった。それを尊重したい」
人間界へ吹き飛ばされ目覚めると、ランジュは魔法を使えない、ただの人間になっていた。
体の作りも変わり、変わらず香辛料が使われる料理が好きだが、限度を超えると舌が耐えられなくなった。
三人は悪魔界へ行ったことを秘すことに決め、クランは教会へ、アインは悪魔と戦い亡くなったと伝えた。遺体は悪魔により消され、残っていないとも報告を行った。教会から信用されているクランの言葉は疑わしい点があるものの、アイン本人も悪魔を祓いに行くという文章を残していたため、受け入れられることになった。
人間界へ戻ったクランは、アインの話していた手紙を見つけた。差出人は驚いたことに、マリーだった。
かつてルジーたち姉妹と交流があり、厳格な両親から見切りをつけられ修道院へ送られた者。クランも面識があり、もう長く会っていないが、確かにクランの知る彼女は、神を信仰する人物ではない。
なにがマリーの身に起きたのかは分からないが、真面目に信仰する思いを抱く人物として生まれ変わったようだ。
手紙によると過去に悪魔を呼び出し、悪魔の書について尋ねた者がいたらしい。その者は色々教えてもらった直後、魂を食われ命を落とした。だが、隠れてその話を聞いていた者が手記を残していたのだ。
悪魔の書が神の書に変化し、願った者が消滅することで願いは神の力による成就される。
悪魔の語った内容は聖職者として、到底信じられる話ではなかった。だが試した所、本当に表紙の色が変化した。この事実を公表すれば世間が騒ぎ、教会の威信にも関わる。だから隠すことにしたとも記されていたそうだ。
そして手記を隠すため、厳格な決まりを修道院に作った。一度入ったら二度と出られないようにし、手記を読んだ者が情報を漏らしたり、試したりできないように……。
マリーは手記の内容が事実であるか確かめる術がないので、アインへ協力を求めていた。
ただ彼女がいる修道院は男人禁制である。それでも手記の内容が事実か調べてみると、アインは返事を書きかけていた。きっとランジュから渡された書を使い、実験するつもりだったのだろう。ただ実験を行う前に、実践することになってしまったようだが。
クランはクランで、今回の件を記す。だが例の手記を記した者と同様、この事実を教会関係者に知られれば、揉み消される可能性が高いと判断したため、手記を隠すことにする。
いつか未来、マリーのように誰かが見つけ、なにかの役に立てば良いと願う。
だが結局は願った者は消滅するので、人は亡くなる。その喪失からは逃れられない、絶望の書であることに違いはない。




