別れ
「悪魔の花嫁」シリーズ全てに出てくる宗教関係は、異世界が舞台のため、架空の宗教です。
よって、現実世界にある宗教に基づいた指摘につきましては、ご遠慮のほどお願い申し上げます。
光が天に向かって走ったことに気がついた悪魔界の住人は、少なかった。
だが、突然悪魔界全体の地面が揺れ、滅多に自然で発生しない事象にざわつく。地震が発生したことにより重鎮たちは急いで城へ向かうが、敷地内に入ろうとしても阻まれ入れない。
ずっとセウルたちの動向を観察していたグログは、空に向かった光をしっかりと見た。
「……なにが起きている?」
駆けつけて来た父親たち、悪魔の重鎮が城内に入ろうとしているが、なぜかできない様子。もしかして本当にアインやクランが聖人として覚醒したのだろうか。そうなれば、ランジュを手に入れる可能性が出たと、笑みを浮かべる。
幸い揺れはすぐに終わったが、王の城、その上空に暗雲が漂い始めた光景は、多くの者が目にした。
◇◇◇◇◇
ルジーはすでに幸せのようだが、今からなにが起きるか分からない以上、やはり彼女の幸せも願うべきだと判断し、当初の目的通りルジーの名も叫んだ。だから後悔はない彼の名を叫ぶ者がいた。
「アイン、貴様!」
王のわななかした両手の爪が長く伸び、目がより吊り上がる。
セウルの手を取り立ち上がったランジュも、なにが起きているのか分からない。
(神の書? どういうこと? 悪魔の書が変化した? そんなこと、あり得るの? そんな話、聞いたことがない!)
そして雷鳴の音が近づき、響いてくる。城の真上で雷が発生しているような轟音。それに焦りを感じながら、王は動く。
「魔法が効かぬなら、軟弱な人間など切り刻むだけ!」
一瞬にして間合いを詰めアインの懐に入ると、伸びた爪で首を切るよう腕を振るが、今度は王の爪がクランの持っていたナイフのように、砕ける。同時に城全体が揺れて天井が崩れると、空いた所から雷が降ってきた。
降ってきた雷は正確に王を狙い、頭から足へ貫く一撃を受け、王の体が揺れる。
「王!」
モリオンが防御魔法を展開しようとすると、今度はそれを邪魔するように、モリオンへ雷が落ちようとする。
「危ない、旦那様!」
それに気がついたルジーが慌てて押し飛ばすと、そのままモリオンの上に落ちる。その体勢で見た雷の動きは異常だった。まるでルジーを傷つけないように、急に射線を変えたのだ。
(ひょっとして教皇の願いにより、私を傷つけない……? それなら、私が旦那様を守る……!)
モリオンを守れるのは、自分だけ。この身を呈して覆いかぶさっていれば、愛する夫に雷が当たることはないはず。すぐさま判断すると愛する夫を背中から抱き、伏せさせる。
「ランジュさんを渡しません!」
悪魔の書、又は神の書と呼ばれる光る本をかざし、一歩、また一歩とふらつく王へ近寄る。
雷は振り続け、王も防御しているが、最初の一撃だけではなく、他にもくらっている。今では体の一部が炭化して煙を発してさえいる。長かった大量の髪の毛も、大半が失われた。
天井は崩れた部分が広がり、がれきが降り続けてくる。
「なにをしているのですか、ランジュさん! 道を開きなさい!」
人間界への道を開けという意味だと気がつき、ランジュは戻された魔力を使い、急いで人間界への道を作る。
「三人とも、早く人間界へ!」
クランはまずセウルを押すようにして戻すと、がれきが降る中、雷に避けられ真っ直ぐ立つアインにも来るように告げる。だがアインは断る。
「私は神の書を使いました。その代償は、消滅。私はここで消える運命。ランジュさん、ルジーさん。私は、あなたたちの幸せを祈っています。その願いに、神が応えて下さったのです。これからもどうか……」
「成就させるかぁ!」
火傷を負い、人間ならとっくに死んでいる状態の王は自分の手に全魔力をまとわせ、雷を必死に避けながら走る。そして間合いに入った瞬間、一気にアインの腹部を突いた。
「アイン様ぁ!」
「お父さん!」
「アイン様!」
人間界へ戻っても、悪魔界の光景はセウルにも見えていた。
王の腕が、アインの体を貫いている。三人は叫ぶしかなかった。
「ふっ、ふふ……。やはり、まだ、完全では……。ぎゃあ!」
雷を直撃で受け、膝をつき背中から倒れていく王の腕が抜かれ、アインの体には穴ができていた。それを見て王は薄れる意識の中で、一矢を報いることができたと弱く笑う。
「いやぁ! アイン様! アイン様!」
駆け寄ろうとするランジュを、クランが抱き寄せて止める。
「ランジュさん……」
それでもまだ、アインは倒れない。口から血を流しながら振り向くが、その目はいつのものように優しいものだった。
「幸せになりなさい……」
王が倒れても、雷は止まない。まるで王の城を破壊しようとしているように、セウルには見えた。
「ランジュ!」
そんな中、雷から逃れているルジーが娘の名を呼ぶ。その顔は怒りに染まっていた。
「貴女、よくも……! 貴女が、ルフェーのように生きていれば……!」
ルジーの腕の中で、完全に守りきれなかったモリオンが火傷を負い、目を閉じていた。火傷の具合から、王に比べると軽傷に思えるが、それでも人間だと死んでいてもおかしくない状態だ。
「そうすれば旦那様が……! こんな目に……!」
「お母様……」
大粒の涙を流していたランジュは、涙を拭う。
もう親子には戻れない。決別するなら、今しかないと分かっている。思いを口にするだけなのに、それをなかなか言えないでいると……。
「ランジュ、クラン様、なにをしているんだ! 早く! こっちへ!」
ランジュの作った道が、消えかかっている。そのことに気がついたセウルが大声を出して二人を呼ぶ。
本当はあちらへ戻り、アインも連れて帰りたかったが、どういう理屈なのか。向こう側は見えるのに、戻ろうとしてもなにかに阻まれ、進めない。だが声は通じているようで、二人が振り返ってきた。それに構わずルジーは雷鳴に負けずと叫ぶ。
「ランジュ、貴女は大罪を犯した! 正体を知られた時点で、教皇たちのもとから去っていれば良かったのよ!」
「お母様、私は……。私は……」
胸の前で両手を組み、握るランジュに向けてアインが言う。
「ランジュさん、恐れず……。本心をルジーさんに、伝えなさい……」
絶命してもおかしくないというのに、まだアインは倒れない。だが苦しそうな姿に、クランはなにもできないことに、もどかしさを覚える。
きっとアインが言った通り、対価は消滅で間違いないのだろう。神は奇跡を起こしてくれたが、結局は悪魔の書と同じ。願う対象が異なるだけで、命が対価。そう考えた時、こんな状況だというのに、ある仮説がクランの中で浮かぶ。
(そうか……。誰に願うにせよ、誰かが苦しむ結果になる。神が人間を消滅させ、人々を苦しませると信じられる訳がない。だから悪魔だけにしか使えないと誤解され、広まっているのか。そして神は人間を消滅させたくないから、私たちを信じ、見守るだけの道を選ばれたのかもしれない)
だが今そのことに気がついても、それがアインを救う手段には繋がらない。
アインの願いを叶えるため王は攻撃され、ランジュを逃がす機会を作っている。だから対価を払わなければならない。誰が相手でも、支払いを拒むことからは逃れられない。それが理なのだ。
「お母様……。私、この世界は窮屈で……。この世界は……。私の住む世界じゃない……っ。私は、生まれる世界を間違えた!」
泣きながら言われた娘の言葉に、ルジーは黙る。
それを聞いたクランは驚いた。なにしろそれは、ルジーが日記に書いていた文章と同じ内容だったから。
「私はクラン様たちと人間界で暮らす! もう私のことは、放っておいて!」
ランジュの叫び声そのものが魔法となり、炎をまとった暴風が吹き荒れる。王は焼かれながら転がり、壊れた床から階下に落下しそうだが、気絶して動けない。
ルジーは正面から魔法を受けたが、ほぼ無事だった。少し肌が傷つき服も破れたが、それより夫の方がさらに傷つき、その姿に悲鳴をあげる。雷による傷が抉られ、出血が止まらないのだ。
「う、嘘……。いやぁ、旦那様! 旦那様! 嘘よ! 嫌よ、そんな! 死なないで! 旦那様に死なれたら私……。世界が終わる……!」
動かない夫を抱き、ルジーは泣く。
「……ごめんなさい、お母様……。でも……。お母様なら分かるでしょう? 生まれた世界を間違えたという、この思い」
「ランジュ……」
一刻も早く夫を手当したい。治療をするべきだ。
その思いを優先したいが、ランジュの言葉は痛いほど分かる。かつて自分もそうだったのだから。今は悪魔界で愛する人と暮らし、幸せを享受している。ランジュにとって悪魔界は、自分にとっての人間界なのだ。
最初から生まれた世界が違っていたら、もっと良い子ども時代を過ごせただろう。似ていないのに、最も似ている娘に向かってルジーは叫ぶ。
「勘当です! 貴女なんて……っ。貴女なんて、二度とこの世界と関わることを許しません!」
「……ごめんなさい……」
両手で涙を拭うその姿は、ただの人間の女の子だった。
それを見て、これが一番だとルジーの中にある母性が声をあげる。それを胸の内で聞き、口を開く。
「クラン」
ランジュを抱くクランは名を呼ばれたことに驚き、ルジーを真っ直ぐ見る。二人は何年ぶりか分からないほど長い期間を経て、久しぶりに真の意味で向き合う。
「ランジュを泣かせないで。人間界がその子の生きる世界だと、幸せにするのに協力してあげて」
真剣な顔で視線を逸らさず頼んできたルジーに、クランは必ずと答える。それからすぐランジュの肩を抱き、セウルが呼ぶ人間界へ向かおうとする。今自分ができるのは、それだけ。だが最後に涙を堪えながら振り返り、かすれる声で父に告げる。
「お父さん、さようなら……」
「テーゼに、愛していると……。クラン、お前のことも、もちろん……」
「僕も、愛しています……」
両親を亡くした自分たち姉弟を、聖職者でありながら引き取り育ててくれた父。尊敬していた男に背を向け、人間界に向け進んでいると……。
「行かせるかぁ!」
目を覚ました王が叫び、最後の力を振り絞り残った髪の毛で先端を尖らせ、急速な動きで二人に向かわせる。
ランジュとクランが刺される。そう思い、目を閉じたセウルの瞼の向こうが強く光り、爆音が響くなり、衝撃によって吹き飛ばされる。
耳鳴りがしたまま身を起こすと、ランジュを抱いたクランが倒れていた。
悪魔界への道は閉ざされ、なにも見えなくなっていた。




