セウルとグログ
「ランジュが、連れ去られた……」
ランジュの母、ルジーが十六歳になった瞬間。彼女は悪魔に連れ去られた。それが再現されたことにより、当時と同じ絶望を味わったクランは膝をついた。
その間にも、一つ、また一つ雪が溶けるよう、黒い薔薇は消えていく。
「なぜ……! なぜ、教皇もいて……!」
そのまま拳で強く何度か床を叩くと、うずくまる。
「……ランジュさんの父親は、強い悪魔ということでしょう」
ルジーが生まれる前から、レックス家に関わっていたアインは、初めて対峙した悪魔を思い返す。
(あれがメジスさんと契約し、ルジーさんを連れ去った悪魔……)
過去を知らないセウルだけが、ランジュのことだけを案じていた。
「アイン様、クラン様! ランジュが! ランジュが、処刑されるって! 本当なのか⁉」
セウルに服を掴まれ揺さぶられたものの、アインはすぐに答えられなかった。しかし返事を求める少年から逃れることができず、絞り出すように口を開く。
「……このような事態は、前例がなく……。ランジュさんは自分を人間に近い存在だと言っていました。それを父親であるあの悪魔は分かっていた上で、娘としてふさわしいのか試していた可能性があり……。結果……」
ふさわしくないと判断された。
だがそれを、最後まで言うことはできなかった。
言ってしまえば、ランジュの死を受け入れる気がしたからだ。
守りたかったのに、守れなかった。その事実は、すぐに受け入れられるものではない。
「……ランジュ……」
クランの泣き声が聞こえ、普段は頼れる大人が、今は全然役立たないとセウルは気がついた。だからといって、自分にはなにができるのだろう。
いや、なにもできない。
「………………」
以前、クランから後悔について言われたことがある。
悪魔を許せない気持ちは今も変わらないが、こうやって急に失うと、なぜランジュと仲直りをしなかったのだろう。強い後悔に襲われる。
(クラン様は、これを言いたかったんだ……)
ランジュの母に許されず、憎しみを抱かれたまま別れたと話していた。今の自分と似ている。
この思いをクランは長年抱いたままなのか。自分もそうなってしまうのか。アインの服を握ったまま、俯く。
ランジュは双方の世界を簡単に行き来していたが、自分は悪魔界へ行く力を持っていない。方法もない。それは信仰心の厚い、アインもクランも同じだ.。いくら神を信仰しても、モリオンと名乗った悪魔が言った通り、なにも出来ない。
やはり神を信じても救われない、救ってくれない。分かっていたことなのに、絶望に襲われる。
(ランジュが処刑されるのに、助けることができない……)
その事実に、血の気が引いていく。
アインの服から手を離し、セウルは呆然と部屋を出て行くが、止める者はいなかった。
どこへ向かうかは決めていない。自然に任せるまま歩くだけ。廊下を歩き、幾つかの部屋を抜け、気がつけば教会の敷地から出て町を歩いていた。
町の喧騒は耳に届かない。理解しようともしない。
ただ太陽の日差しを浴び、行く当てもなくセウルは歩き続けた。
その間、ランジュとの思い出ばかりよみかえる。
最初は可愛いのに、無表情な女の子だと思った。クランが演説をするたび見かけるようになり、自分から話しかけた。味覚が変わっていて、軽装で一人旅をする危ない女の子。この町で馬車に乗り、人間のようにはしゃいだ女の子。
「セウル、見て!」
教会に着くまで、ランジュは笑っていた。彼女の笑顔を正面から最後に見たのは、いつだっただろう。
こんな結末となったのは、自分の意地のせいだろうか。ランジュが憎い悪魔の血を引いていると、信じたくなかった。裏切られたと思った。なんで黙っていたと怒りが湧いた。しかし今は……。
この思いは、後悔。そうとしか言えない。謝ることも、許すこともできないことが、こんなにも苦しいとは思わなかった。だから父親はあの時、自ら死を選んだのかもしれないと、ぼんやり思う。
そんな風に歩いていたセウルは突然腕を引かれ、路地裏に連れこまれた。
考えごとをしていたせいで、声をあげることもできなかったが……。
「大声を出すな」
手で口をふさがれる。その状態のまま、相手を見る。日陰となる場所で自分と向かい合っているのは、いつか見た腕の長い悪魔だった。
「ランジュについて、お前に聞きたいことがある」
長い前髪の隙間から覗かせる、真剣な目。ランジュの名前を出されたことにより、セウルが頷くと手は離れた。
「お前が一人で教会から出てくれ、助かった。僕は教会に行けば、消滅するから」
「……お前、以前会った悪魔だよな?」
「そうだ。お前はあいかわらず信仰心が薄くて助かる。早速だが、ランジュのことだ。なにかあったのか?」
「なにか?」
その言い方が癇に障った。
「お前らがランジュを処刑するって、連れ去ったくせに!」
それを聞いたグログは、舌打ちをする。
「あいつの話は本当だったのか」
まるでランジュが処刑されることを確かめに来たような言い方に、引っかかるものを覚えた。
怒りを抑え、少しでも情報を得ようと質問をすることにする。
「お前は知らなかったのか? ランジュが処刑されるって」
「ああ、ついさっき王が決めたと聞いたから、確かめに来た。だが、教皇アインのいる教会に滞在しているとも聞いていたから、困っていた。そうしたら丁度お前が、教会から出て来た」
「じゃあ、本当にランジュは……」
殺される。
身勝手な悪魔のやり口に、怒りがぶり返す。
「なんだよ、それ……! ランジュがそんなに悪いことをしたのか? ただあいつは、書を配りたくなかっただけなんだ! 逆らえないのを利用して、卑怯だ! なにが試すだ!」
対するグログは諦めも手伝い、セウルより落ちついている。
「なにを言っている、権力者の命令は絶対だろ。人間界にだって、法律があるだろう。ランジュは悪魔界そのものを裏切ったのだから、処刑される理由がある。それより連れ去られたと言ったが、誰が来たか分かるか? 見た目でも良い、どんな悪魔だった?」
悪魔によってはランジュを王のもとへ連れて行く前に、自分の手で罰する可能性がある。つまりまだ王のもとへランジュが行っていなければ、奪い返す機会があるかもしれない。そんな甘い期待を捨てられなかったのだが……。
「ランジュの父親だよ。モリオンって奴」
「そうか……」
それを聞き、グログは早々に諦めた。
王の右腕とも言われるモリオン。そして王を相手にしては、自分が敵うはずがない。息を吐く程度で負ける。ルフェーの言う通り、惨めにこの恋心を終わらせるしかない。
二人の間に沈黙が落ちる。
その間、セウルは必死に考えていた。理由は分からないが、悪魔が自分と接触してきた。この悪魔の力を借り、ランジュを助けることはできないかと。
そもそも悪魔の書を使い願えば可能だろうが、それはランジュが望まないはず。
(この悪魔をどうにかして利用するには、どうしたら良い?)
今は黙って立っているだけだが、いつ突然消えるか分からない。その前になにか案を出さなくてはと、必死になる。だが焦るだけで、良い考えは浮かばない。それでも引き延ばすため、無理に口を動かす。
「……実はランジュ、ずっと見張られていたらしくて……。あ、教会にも少し前、妙な女が来て……」
「妙な女? 見張られていた?」
ルフェーが似たようなことを言っていたと思い出す。
(そうだ、あいつだ! あいつが王に報告を行わなければ、ランジュは処刑されずにすんだのに!)
瞬間、ルフェーに対する恨みが強く湧いた。
ルフェーはこれを機に、目障りなランジュが消えると喜び、報告したことだろう。
このままルフェーの思い通りになるのは、気に入らない。ランジュの死を一番喜ぶのは、妹を処刑に導いた本人なのだから。そんな彼女に仕返しをしてやりたい、その思いが強まる。
「ああ。なんか太っているのに、動きが素早い変な女だったってアイン様が言っていた。そいつの髪の毛に聖水を当てたら、色が変化して……」
その説明から、すぐにルフェーが変身したのだと分かった。
だがルフェーにそんな変身魔法の力があるとは思えない。それ以前、ルフェーも教会へ行っては即、消滅する程度の力の持ち主。消滅しなかったのは、王がなんらかの形で守っていたに違いないと当たりをつける。
ふと、そういえば最近、父親が毎日城へ通っていると気がつく。
(なるほどな。悪魔界の重鎮があの女に魔法をかけ、人間界へ送りこんでいたのか。だから変身魔法は解けにくくなっていた。モリオン家の奴らも、玩具がどうのと言っていたな)
モリオンの三女と四女は仲が良く、二人一緒に行動する姿は珍しくない。数日前も二人は一緒に森に来て、狩りをしていた。
その時、お姉様は大人の玩具になっていると会話をしている姿を、偶然見かけた。かわいそうと言いながら、笑っていた。その内容が、今回の件と関係しているのだろう。点と点が線で繋がる、そんな感覚にグログは陥る。
「なあ、ランジュを助ける方法、何かないのか? 処刑が覆される可能性は?」
「ない」
迷うことなく即答され、セウルはなにも言えなくなる。
「王が決めたのなら、絶対だ」
涙を流す余裕もなく、セウルはぽつりと言う。頭で考えるより、言葉が出ていた。
「……ランジュの父親は、王自らが処するから、光栄に思えって……」
「なら、なおさら無理だ。助ける方法は絶対にない」
「でも……」
なにか抜け穴はないのか。セウルは抗おうとする。
本当に方法はないのか。なにか見落としはないのか。悪魔と違う人間だからできることが、何かないのか。
グログもランジュを手放したくない思いは、変わらない。だがモリオン家の兄弟ではなくても、王という頂点からの命令に背くことはできない。それほど王は絶対無敵。対抗できるのは、唯一神だけだろう。
負け戦に挑むほどグログは愚かではないが、だがルフェーを許せない気持ちは消えない。一泡吹かせてやりたい。その時、ある可能性が浮かんだ。
「……教皇と布教使が、鍵かもしれない」
「どういう意味だ?」
「よくは知らない。だけど聞いたことがある。魔法のような力を使える人間が、たまに現れると。大体その力は聖なるモノで、悪魔を傷つけることができる。あの二人なら、その力を身につけているか、与えられる可能性がある」
「そんな力があれば、あの時、アイン様とクラン様は使っていた。でも二人は使っていない」
「だから可能性だ。これから神が与えるかもしれない」
その可能性がなんだというのか。もどかしさを覚える。
「だから、ランジュを助ける可能性は、まだ残っている」
グログは繰り返す。
そうだ。教皇と布教使を利用しランジュを救えば、後でさらうことも可能となる。だったら今は、あの気に入らない女を悔しがらせるためにも、教皇たちに力を貸すことが自分にとっても最適だ。それも王に見つからないように。
自分はあの二人に近寄ることができない。それが利用し、王を相手に攪乱はできるかもしれない。
「僕は人間界、悪魔界を自由に行き来できる。その力を応用し、お前たちを悪魔界へ送ることができる。悪魔界でお前たちになにが出来るか分からないが、賭けてみるか?」
賭けや可能性、不確定だらけの話。しかし今はそれにすがるしか、手はない。セウルは頷いた。




