噛み砕くキャンディー
ランジュななぜ王が自分に地域を指定したのか、人間界へ行き理解した。
(王は私が人間に近いと見抜いていらした……。でも、どうして? 会ったのは、あの時が初めてだったのに……。王だから、余計違和感に気がついたのかしら)
そんなことを思いながら、広間に立つ男を見つめる。その男は声高に演説を続けている。
「神は常に我々を見守って下さっています。辛く苦しい時、ではなぜ見守るだけで助けてくれないのか、神に対し疑問を抱くこともあるでしょう。神は我々を信じて下さっているのです。己の力で運命に立ち向かう、我々人間を」
そう話しているのは、布教使。その名をクランという。各地で人々に悪魔の書を使用しないよう、説いている。
真摯な姿、さらに見た目も良い。多くの者が集まり、耳を傾けている。
演説が終われば“悪魔の書”と呼ばれる本が、広間で燃やされ始めた。
その光景は、まるで儀式のようだと、悪魔界から持ってきたキャンディーをなめながらランジュは思う。
今日のキャンディーは、人間界でも不自然に見えない緑色。だがなめた途端に、口の中にどろりとした生臭さが漂い、それが味わい深く、ランジュは好きだった。
人間である母は、生臭くて好んでいない。つまり味覚は悪魔寄りだが、他の面が人間に近いのだと、ランジュは自覚している。
(なるほどね。布教使クランを中心に、神への信仰心が高まっている。そんな土地に他の兄弟が来てしまえば、その信仰心により、消滅してしまう可能性がある。だから人間寄りの私なら影響が少ないと考え、命じられたのね)
人間界に来た時からフードを深くかぶり、顔を隠している。万が一、母の知人にあってはならないと考えてのことだ。この母に似ている顔を、人に見られることは危険である。
キャンディーをなめながら、フードをかぶり睨むように目を上向きに辺りを見回す。
(きっと近くから、この様子を憎々しく見ている人がいるはず)
悪魔に魂を食われても良い。それほどまでに叶えたい願いを持つ者にとって、“悪魔の書”と呼ばれる本を処分されることは、耐えがたいはず。けれど大勢を敵に回し、本物か分からない本を奪うこともできない。それを悔しく思っている人間がいるはず。
(いた……!)
その者は会話を交わしていたが、一人になると表情を一変させた。それもほんの一瞬。それからは燃える書を、瞬きを忘れたように見つめている。
あの人物なら、書を受け取ってもらえるかもしれない。でも、もし利用されれば、その人物の魂は……。
だけど王の命令だから。
様々な感情が浮き上がる。そのたびにランジュはキャンディーを噛み砕いた。
王の命令に従うには、声をかけるべきだ。しかし彼女の魂を消滅させても良いのか。
結局ランジュは動くことができず、フードの下で静かに涙を流しながら、キャンディーを噛み続けた。
キャンディーを食べ終えると濡れた顔を拭い、ランジュは悪魔界に帰った。
配れなかった言い訳なら作れる。クランが活動しており、それに賛同する者が多く、下手に動くことはできなかったと。王も納得されるだろう。
しかし許さない者がいた。ルフェーである。自分は幾つもの店や家に忍びこみ、本棚に書をひそませてきたと自慢し……。
「それに比べて、一冊もどうこうできなかったなんて、なんて恥ずかしいのかしら。あんたより年下の妹や弟だって、様々な方法で人間界に書を置いてきたというのに」
ルフェーはひたすらランジュを責めたが、誰も助けてくれない。この家ではルフェーがランジュを嫌っていることは、当たり前のことだった。だから他の兄弟も使用人たちも、いつものことかと無視をする。
だが時折妹たちが階段の途中にしゃがみこみ、手すりの隙間から姉二人を見て、嫌らしい笑みを浮かべ耳打ちし合っていた。
やっとランジュがルフェーから解放されたのは、出かけていた両親が帰宅した時のこと。昼過ぎに帰って来て、すでに夕食前のことだった。
だが夕食の席でも、ルフェーはいかに自分が頑張り素晴らしかったのかを語り、それに比べなにも出来なかったランジュは劣っていると説くように話す。珍しくないことだが、こういう日は、料理の味がランジュは楽しめない。
夕食を食べ終え、各々部屋へ戻ったりして自分の時間を過ごす。ランジュは部屋に戻ってから抱えていたクッションを投げると、父の書斎へ向かった。
思った通り、両親はそこに居た。モリオンは夕食後、書斎で書類と向き合っていることが多く、ルジーはそれに付き添っている。夫の膝の上が好きなルジーは、その日もそこに当然のように座っていた。
毎度、よくそんな恰好で仕事ができるものだとランジュは思うが、モリオンには魔法がある。それを使い書類を目線まで浮かばせ、サインをすることもでき、困ることはなにもない。
「ランジュか、なにか用事か」
「お父様にお願いがあって……。人間界で動きやすくなるよう、私の外見を魔法で変えてくれませんか? 私にはまだそんな高度な魔法は、使えません。ほら、私はお母様に似ているとよく言われるでしょう? だからもしお母様の知り合いに会ったら、大変なことになるかと……」
モリオンもまた、ランジュが家族の中で一番人間に近いと分かっている。だからこそ、王がなにを命令したのか、察しはついていた。
確かに顔を見られれば、そこから問題が発生する可能性はある。
(難儀な娘だ)
悪魔の書を配りたくない、そう心では思っているだろう。だが父である自分の悪魔の家系が、格上の者に逆らえない気質がある。本音と流れる血により、悩み苦しんでいることは容易に想像できた。
「分かった。だが、あまり複雑な魔法にしては長くは保てない。瞳と髪の色を変えよう」
そう言ってモリオンが指を鳴らせば、やや金髪にも似た薄い茶色の髪が黒に。瞳は青から黄色に変わった。
「これくらいで十分だろうが、安心するな。接する人や行く場所によって、その魔法は解けてしまう」
「解ける? お父様の魔法が?」
モリオンは王を除いて考えた時、この世界では頂点争いに参加できるほどの悪魔。それほどの悪魔の魔法が解けるということは、驚きだった。
「当然だ。私にも勝てない御方がいる。その御方の対となる存在が控えている場では、負ける」
「つまり悪魔王と真逆の存在、神ね。だけど旦那様、そこまで信仰心の厚い人間なんているのかしら?」
「存在する」
断言するモリオンの言葉を聞き、ルジーは二人の人間を思い出した。
一人は祖母。敬虔に神を信じ、祈りを捧げていた。そしてもう一人。
彼を一言で表現するなら、善人。本気で最後は一人になってでも、悪魔と対抗しようとしていた男。
(……そういえば彼、まだ生きているのかしら)
その男の名は、アインという。