ルフェーとアイン、出会う
アインとクラン、二人の強い信仰心を前に無傷でいられる悪魔は、広い悪魔界でも多くない。
そんな実力主義の世界。その頂点に立つ王から直に呼び出され、ルフェーは高揚していた。
以前は他の兄弟と一緒に呼ばれたが、今回は自分だけ。きっとこれは己の働きが兄弟の中で最も良く、そのお褒めの言葉を賜れると疑っていなかった。
「人間界で調べてもらいたいことがある」
だが呼び出された内容は、妹、ランジュの監視を命じるものだった。勝手に期待した内容と違い、がくりとした気分になる。
王はそんなルフェーがランジュを嫌っていることを知っており、だからこそ、余計に妹を貶められる行動を目にすれば、間違いなく報告すると信じての人選だった。また強い悪魔の力で、どこまでアインとクランに対し、魔法が耐えられるのかという実験も兼たいという考えもあった。
モリオンは王の次席に並ぶ実力がある。そんな彼の魔法でも絵画が時間と共に色落ちするように魔力が薄れ、ランジュへの変身魔法が解けやすくなっていた。とはいえ、解けたことが王にはおもしろくなかった。自分たちの力を求める身勝手な種族に、負けたのだから。
しかしモリオンを苦く思っている者には、愉快な話として悪魔の間で伝わっている。
悪魔界の重鎮が集められた中、一人の悪魔が露骨に歪んだ笑みを浮かべながら口を開く。
「モリオン公の魔法を解くとは、嫌な人間どもですな。いや、私が公を過大評価していたのかもしれません。おっと、今の発言は奥方に、どうぞ内密に。でないと私、殺されかねませんからな、ははは」
同席しているモリオンが、こんな安い挑発に乗る男ではないと、この場にいる誰もが分かっている。しかしルジーに関する内容は有り得る話なので、誰も笑えい。
堂々と自身をけなされたというのに、モリオンは少しも反応を示さない。その態度が一部の悪魔にとって、さらに面白くなかった。
「さて、王からの命令をまとめると、ルフェー殿へ魔法をかけ、教会に行かせて反応を見る。現在人間界で厄介と言われる二人が揃う機会は少ないですからね。ある意味、他者へかける変身魔法の得手、不得手が分かる試みですね」
順番をどうするか話し合われ、年令が若い順から行われることに決まる。
「教会へ懺悔に行く振りをして少し過ごすだけですから、短時間。しかも魔法をかけた直後なら、ここにいる全員、解かれることはないでしょう。しかしそれは、髪と瞳の色を変えた程度のもの。私はそれに加え、太らせます!」
それを聞いたルフェーは、太った体型を嫌悪する考えの持ち主だったので、内心悲鳴をあげた。しかしその流れる血により、格上の悪魔が揃ったこの場で決定に異を発言することはできず、好き勝手にされるしかない。
煙に包まれたと思うとすぐに晴れ、様々な声があがる。
「あら、まあ。ルフェーちゃんもお母様に似ているのに、体型でそれが分かりにくくなっているわ。真ん丸でころころして、今すぐどこかへ転がりそう! でも、このはち切れそうな柔らかい頬、可愛いわね」
自身と似た体型を可愛いと思う女悪魔が、頬を指で押してくる。ルフェーの顔から感情は消えているが、お構いなしに扱われる。
「これならフードを被る必要もありません!」
自信満々と、魔法をかけた悪魔は胸をはる。
「いや、万が一解けた時がまずい。騒ぎになれば、その時点で実験は終わるではないか」
「失礼です、私の魔法が解けるとでも?」
頭の上で繰り広げられる大人たちのやり取りよりも、ルフェーは鏡に映る自分の姿に失神寸前だった。
それなのに王からアインたちと遭遇しても消滅しない加護を与えられ、人間界へ向かえと言われれば従うしかない。
(屈辱だわ! この私が、こんなみっともない姿になるなんて! 幸い邪魔者たちの近くだから、知り合いに出会う確率はほぼないけれど、こんな姿をもし誰かに見られたら……!)
それにしてもと、唇をかむ。
自分はなんて弱いのだろう。弱いからこんな目に合う。弱いから逆らえず、玩具にされる。悔しくてたまらない。今はこの状況を受け入れるしかないが、鍛錬を怠らなければ、立場が逆転する可能性は残っている。
(そうよ、とにかく修行よ。兄弟の中で一番強くなればあの邪魔な愚妹だって、自ら命を断てと告げるだけで排除できるし。それにしても、なんて趣味の悪いリボンなのかしら。薄い黄色い生地に、花柄の刺繍なんて吐きそう。なぜ人間はこんなものを、可愛いと好むのかしら)
体型もそうだが、用意された洋服や装飾品も不満だった。
人間の中へ違和感なく紛れるようにとのことだが、どれもルフェーの趣味ではない。不機嫌な思いはそのまま足取りに反映されるが、気にすることなく教会へ足を踏み入れる。
門をくぐった瞬間、両目に激痛が走る。だが、それは一瞬のこと。
実はこの時に瞳の色は元に戻ったのだが、ここは地元民だけではなく、各地から多くの者が礼拝に訪れる。一人で訪れる者も珍しくなく、誰もルフェーを注視おらず、気がつかれることはなかった。時々その体型へ目を向ける者はいるが、瞳の色にまで気を配る者はいない。
(今の痛み、どうしたのかしら)
手を目に当て、瞬きを繰り返し、視界を確認する。
(視界に問題はないみたい……。まあいいわ。まずは他の人間のように、神の像へ両手を組んで祈る姿勢を取れば良いのよね)
神の存在は信じているが、敬っていない。むしろ反する存在のため嫌悪している。ただ周囲の人間に疑われないよう、周りと似た姿勢を見せなければならない。
一応の時間その姿勢を維持し立ち上がると、立ち入りを制限されていない範囲を歩く。辺りを見回すが、ランジュを見つけることはできない。
(教皇と通じているようだから、一般人が立ち入れない場所にいるのかもしれないわね)
掲げられている案内図を見て、そんなことを考える。
(王の魔法なら私を向かわせなくても、悪魔界から魔法で見ることだってできるはずなのに。実際にその目で見て感じたことは、その者にしか分からないと言われたけれど……。本当にこの私の働き、必要なのかしら)
王の考えは難解だと思いながら、乳白色の円柱の柱が、均等感覚で配置されている廊下を歩く。
「お嬢さん」
声をかけられ振り向くと、そこに立っていたのはアインだった。
人間界へ行く前に、注意すべき人物だと顔を教えられていたが、まさか初回から出くわすとは。ルフェーは内心たじろくと同時に、すぐに自分の手や腕を確認すると、柔らかくふくよかなままで、安心する。
しかし今は魔法が解けていなくても、いつ解けるか分からない危険な状況。正体を見破られ加護が消え、もし消滅することがあれば……。そんな最悪な想像から不安になり、じっとりと手の内が汗ばみ始める。
「ここには一人で?」
アインは笑みを絶やさず尋ねてくる。
もし誰かにこの質問をされた場合、事前に答える返しを父親と打ち合わせしていたので、迷わずルフェーはそれを口にする。
「一人よ。この町にパパとママと買い物で来たけれど、はぐれたの。そんな時は、この教会で待ち合わせしようって、決めていたの」
「そうですか。それならこの回廊ではお互い、見つけにくいでしょう。神像のある間の方が、すぐに見つけてもらえると思いますよ」
「そうするわ」
答えるなりルフェーは、走って最初の祈りを捧げた場所へ戻る。
ただ彼女は気がつかなかった。アインへ背を向け、長い髪の毛がたなびいたその時。アインが髪の毛へ水滴を投げたことを。そしてその水滴、聖水が当たった所だけ、髪の色が変化したことを。
それを見届け先回りしたアインは、神像の置かれている間の全体が見える地点へ向かう。
問題の少女は誰とも再会せぬまま、ただ神像の間を足早に通り過ぎ、そのまま建物を飛び出した。
「………………」
あごひげを撫で、危険が迫っているようだと、すぐさま踵を返し、クランたちを探しに向かった。




