アインは考える
部屋から出ないようにランジュへ念押しすると、アインは二人を探しに出た。
教会の敷地は広く、関係者以外立ち入り禁止の区画もあることから、セウルが一緒のため、二人の居場所は限られると予測して、該当の場所を順に覗いていく。そして食堂で二人を見つけることができた。
二人は奥に座っており、セウルを落ちつかせようとしたのだろう。テーブルの上にはコップがある。だが近づいて分かったことだが、その中身は減っていないようだ。しかもクランとの再会を懐かしむ面々に囲まれ、居心地も悪そうであった。
「皆、すまないが久しぶりに息子と再会できたのだ。少し私に、家族としての時間をあたえてくれないだろうか」
教皇であるアインに逆らう者はおらず、何十人と座れる食堂には、たったの三人が残された。
「まずはセウルさん、これからしばらく黙って話を聞くと約束して下さい」
無言を肯定と受け取り、アインはランジュから聞いた話を二人へ伝える。
王から悪魔の書を配るように命令されたこと。人間界へ来ていた所をセウルに見られ、話しかけられたこと。またランジュは聖水にもロザリオにも平気で、魔法を使える点以外、確かに言い伝えられている悪魔と違っている。
さらに悪魔には各家、血統に特徴があること。ランジュの場合、己より魔力の高い格上の相手には逆らえない。そのため、瞬時に相手が自分より格上か否か、力量が分かるという。
「悪魔の血統による特徴については、確かめる手段はありません。しかし、嫌々書を配っていたという点は、信じても良いと思います。ランジュさんは悪魔と人間、両方の血を引いており、悪魔界では半端者と避けられ、二人との旅は、やっと出来た居場所だったようです」
それを聞いても、そんなのは嘘に決まっていると、セウルの中で疑念は晴れない。
「今後ですが、どうやら王は書の配布について確認を怠っていないようです。配れないと呼び出しを受けるので、配ることを止められないようです。しかし王は誰に渡したかまでは把握せず、また使用されることは運もあると考えているようです」
「確かに……。悪魔の書と言われ渡されても、偽物の場合もあります。それが本物かどうかは、実際に悪魔を呼び出せるかどうかでしか分からない……」
作った拳を顎に当て、クランも納得した。
しかも使用するには、自身の命が代償になると言われている。いざ使用しようとしても恐ろしくなり、手放す者もいるだろう。
「つまり王は多くの書を配り、その内、幾つかでも使われれば良い。……いえ、それ以上に私の宣教師としての活動は無意味だと、世間に知らせたいのでしょう。そうすれば、神への信仰心に影響が出る可能性も……」
クランの意見に、アインも同意する。
「つまりここでランジュさんを糾弾し、その身を滅ぼしても、王は別の手を使ってくることでしょう」
「それじゃあ、いつまで経っても……!」
思わずテーブルに手をつき立ち上がったセウルは、コップから水が漏れても気にしなかった。
「ええ、解決しません。ですから今は、私が書を受け取り処分する。それを繰り返すことに決めました。そうすれば王はランジュさんが書を配っていると思いこみ、別の手段に出ることはありません」
「それでしたら、私も手伝います!」
クランはそう言うが、セウルは懐疑心を捨てない。
もちろんその方法なら、悪魔の書は世の中に出回らない。だが、根本的な解決には至っていないので、結局は無意味な行動にすら思える。
「セウルさん、この決定へ不満を抱かれることでしょう。しかしクランと私はこの身で知っているのです。悪魔の残酷さ、狡猾さを。さらにランジュさんからの話によると、悪魔の世界は想像以上に広大です。とても全ての悪魔を滅ぼすことはできないでしょう」
「……悪魔の書を使って、悪魔を滅ぼすように願えば良いんじゃないか?」
己が犠牲になる覚悟を持ってセウルは発言するが、即答で無理だと言われる。
「過去何度か、セウルさんと同じ考えを持つ者が教会にいました。その時の文献によると、代償を払うことで悪魔は願いを叶えます。つまり、代償を受け取る悪魔がいなければ願いは叶えられない。悪魔を全て滅ぼすことは不可能なのです。その時点で誰かと契約している悪魔、その時に呼び出された悪魔を消すことは無理だと。代償を払わず願いだけを叶えてもらおうとは、図々しいとまで説教されたそうです」
クランもその話を知っていたのか、特に驚きを見せない。
(だから地道に、悪魔の書を失くそうっていうのか?)
過去に試され無駄だったことは分かった。それを知らなければ、ただ自分の命を悪魔に渡すだけの行為となる所だった。それに気がついた時、セウルはぞっとした。
「ランジュさんは人間に寄った考えをされているのか、私の提案に反対しませんでした」
「で、でも! 狡猾だってんなら、アイン様たちを騙そうとしてんじゃないのか?」
「確かにその可能性も否定できません。しかし会話をしたうえで、私はランジュさんを信じると決めました」
各国の教会の頂点、それが教皇。その教皇を束ねる教皇長は別の国にいると聞いているが、アインという教皇はどの国の者と比べても、真面目すぎ、実直すぎ。善人で、まさに教皇にふさわしいと言われていることを知っている。
だから人を疑うことがないのだろう。愚直に人を信じる。それがアインという人物。
(もしそんな人を裏切ったら、誰になにを言われようが、俺はあいつを……!)
思いが顔に出てしまったのだろう。先回りするよう、アインが釘を刺してくる。
「セウルさん、これはランジュさんが居るからこその作戦になります。ランジュさんが協力してくれることにより、世に悪魔の書が広まらないのです。ランジュさんを失えば、また多くの書が世に出回ることでしょう。それを避けなくてはなりません。分かりますね、セウルさん」
ようはランジュを傷つけるな、そう言うことだ。
「……分かった……」
悪魔の書を世の中から消し去りたい。その思いを優先させ、仕方なく頷いた。
◇◇◇◇◇
「驚きました。まさかルジーさんが今も生きていて、本当に悪魔と結婚し、出産までしていたとは」
冷静に見えるよう努めていたが、アインも混乱していた。
花嫁というのは、建前の言葉。年頃の娘の魂を欲していると考えていたが、まさか本当に花嫁を望んでいたとは。
しかも人間界に未練はなく、いきいきと生活していると聞かされた二人は、複雑な思いを余していた。
当時、アインはルジーの生家レックス家へ、何度も花嫁がルジーである可能性を伝えた。しかしいつも目に見える紋を盲目的に信じる彼らは、聞く耳を持たなかった。
ランジュが言うには、悪魔は理想の花嫁を育てていたらしい。そしてそのことを現在ルジー本人も知っており、受け入れ、喜んでいると言う。
「あの頃は私も父さんから何度も言われていたのに……。信じたくない思いや、目に見えることで判断し、ルジーの心を閉ざすことに加担してしまいました」
「私も後悔しています。なぜ、もっとと……。けれど、後悔している場合ではありません。私たちはランジュさんだけではなく、セウルさんのことも考えなくてはなりません。親しかった者が憎い悪魔の血を引くと知り、傷ついています。今回またランジュさんだけを気にしてしまえば、当時の二の舞となります」
「そう、ですね……」
そう、考えなくてはならないことは山ほどある。その中でアインが最も恐れているのは、悪魔の王がどこまで計算しているかという点だった。
(もしランジュさんの正体が知られることまで、計算していれば……? 私の作戦も、織りこみ済みかもしれない。でも、そうだとすれば、なにを狙っているのだろうか……)
セウルにも伝えたが、悪魔の全滅を願ったのは一度の話ではない。
その度に言われる言葉はいつも同じだが、他にも共通する点がある。
それが、悪魔の容姿。
他の記述では、呼び出される悪魔の姿は実に様々だ。だがこの願いに関してだけは、毎回同じ容姿の悪魔が現れる。長い黒髪の少女と呼べる見た目。髪の毛の長さは異常で、室内で呼び出した場合、その場を埋め尽くし、闇を生み出すほど。そして吊り気味の赤い瞳には、冷たさが宿っているという。
なぜこの願いの時だけ、毎回同じ悪魔が現れるのか。それがアインにとって、長年の謎の一つでもある。
さらにその悪魔は、毎度同じ内容を言うとも伝えられている。
「なんと強欲な生物よ! そして怠慢なことだ! 悪魔を滅ぼすため、悪魔を利用するとは! それも対価を払わず、全滅しろと! 恐れ知らずにも程がある! 人間、お前たちは対価を払うこともなく品を買うのか? なんのために通貨が存在している。なにも払わず品だけ得るのは、盗賊くらいではないか。聖職と名乗りながら、貴様らの行いは盗賊と変わらぬ。教会の質も落ちたものよ」
そう嘲り笑い、世界に多大な影響の出ない範囲で悪魔を消滅させると約束をし、その場で契約者は命を落とす。
多くの悪魔を消すことができる力を持つ、悪魔。
(それこそが、悪魔の王ではないのだろうか……)




