ランジュ、命令されたと叫ぶ
アインとクランの所属する教会では、絶対唯一の神を頂点に、天使と呼ばれる神の使いが『神の国』に存在すると教えられており、善人は死後、その国へ迎え入れられるとも言われている。その為か、それに関する記述は多い。一方悪魔は存在を認められているが、実は彼らの暮らす世界がどうなっているのか、あまり知られていない。
そもそも悪魔の研究を良しとしておらず、教会は悪魔に頼ることを否定するばかりで、彼らを知ろうともしない風潮すらある。
ランジュの説明によれば王を頂点に、魔力という力が強い者から順に、上の階級を与えられているそうだ。
そしてランジュの父、ルジーの夫は王の次の階級。人間で言う、公爵であり、王の右腕のように働いているそうだ。
「そんな悪魔が……」
アインは顔を青ざめた。
ルジーの生家、レックス家の出来事を最初から知っていた彼は、今ごろになり、どのような悪魔を相手にしていたのかを知った。王の右腕という言葉に恐れを抱いたが、すぐに教皇という立場を思い出し、それを自負に恐れを隠した。
「悪魔の王は、なぜランジュさんをクランの滞在する地へ? その理由は?」
確信へ近づくほど、ランジュの口は重くなる。
抵抗するように即答せず、回りくどい言い方へ逃げるのは、今の彼女には仕方のない話だった。
「……悪魔は、信仰心の厚い人に近寄るだけで、消滅することが、あります……」
それを聞いたクランは、やっと合点がいった。
以前セウルに向け、やけに断言するように説くとは思っていたが、それを事実だと知っていたからだと。
「今の悪魔界で、アイン様とクラン様は、有名です……。父たちのように、力ある悪魔は耐えられますが、通常の……。大半の悪魔は、消滅を恐れ、二人へ近寄れません……」
そういえばと、セウルはぼんやりと思い出し納得する。
自分は神を否定している。それを対峙した悪魔は見抜き、笑ったのだと。しかもクランが近寄ってきた途端、体から煙を発し苦しみ始めた。
(じゃあ、なんでランジュは平気なんだ? こいつはクラン様とずっと一緒にいるのに、ちっとも苦しまない。悪魔の娘のくせに……っ)
突然のことに混乱していた頭が落ちついてくると、セウルの中にふつふつとした感情が湧いてきた。だがまだ耐えられると、両手で拳を作ると、強く握りしめる。
「つまり大半の悪魔は、私たち二人に接触してこないと?」
「はい、避けている悪魔が多いです……。耐えられる悪魔は、そうでない悪魔を愉快そうに見ているだけで……」
聞けば聞くほど、これまで無事だったランジュはなんだという思いがこみ上げてくる。
(こいつはそれほど強い悪魔ってことかよ! それなのに、なんでクラン様たちは平気なんだ! ルジーって人に似ているから? 娘だから? そんなの関係ないだろ! こいつは、悪魔の娘なんだよ!)
怒りは抱いていないが、図らずも同じ疑問を抱いたアインは、それを尋ねた。
「それではランジュさん、貴女も力ある者だということですか?」
「……違います……」
ぎゅっ、とスカートを握りしめたことにアインは気がつき、優しい口調で質問を続ける。
「それは、貴女の母親が人間であることに関係が?」
そうだと、ランジュは頷く。
しかしここから先、どう説明すれば彼らに理解されるのだろう。感覚。そう言えば、悪魔界では通じる。それよりも、言葉にせず理解されている。こいつは、異質だと。それでも説明をしなければならない。
「私は……。悪魔というより、魔法が使える、人間です……。だから、お二人に近づいても、影響は、ありません……」
それを聞いたアインはあごひげを撫でながら、読んできた文献を思い出す。
(これまで不思議な力を使える、聖女や聖人と教会が認定した者が何人もいる。振舞いが悪く、魔女と呼ばれた者も……。彼らもまた、ランジュさんのように悪魔の世界から人間の世界に来たか、悪魔の血が流れる者だったかもしれない。もし歴代の聖女、聖人がそうだとすれば……)
教会を揺るがす問題だ。これは一人で解決できる問題ではない。一先ず聖女たちが何者かという問題は捨て、今はランジュのみ焦点を当てると決める。
「人間と悪魔の子が、強大な力を持つ可能性は? それならランジュさんが無事だという説明になりませんか?」
「それは有り得ません」
「なぜ言い切れるのです?」
これを説明することも、ひどく難しいようにランジュは思えた。
力に関して、自分たち兄弟に大きな開きはない。力有る者には服従する血統が、それを明確にさせている。末の弟は父を嫌っているが、もし父が「私に危害を加えるな」と言えば、それは絶対の言葉となる。そういう血統なのだ。
「……父の血統には、特徴があるのです。瞬時に、自分より強いか弱いか分かります。お二人に近づいても無事と言われる方々に近寄れば、圧倒的な差を感じ、ひれ伏してしまいます」
その説明に、アインとクランはどう返すべきか悩んだ。人間にはそんな能力はない。武道を習う者であれば、時に力量の差を感じると聞くが、それと似たようなものなのだろうか。だが二人とも武道はからきし駄目だ。だから余計に理解できない。
それはランジュにも伝わり、別の言い方に変える。
「天の国の存在と、悪魔界の存在が人間と異なるのは分かりますよね」
それならば教会に従事するだけあり、頷けた。
「私は母が人間であるため、全てにおいて人間に近い存在です。けれど魔法が使え、人間ではありません。私は悪魔と人間の中間、それもより人間に近い地点の存在です」
(なるほど。確かに教会は天の国、人間界、悪魔界の三つに分けている。だが、その中間がそもそも存在するという前提すら、存在しない)
天の国の者と人間が結ばれる、おとぎ話のようなものは存在するが、人間と悪魔が結ばれる話は聞いたことがない。連れ去られ、殺されると考えられてきたからだ。
(もし教会全域にランジュさんの存在が知られれば、波瀾なんて生易しい。恐ろしいことが起きるかもしれない)
「人間同士なら、近づいても苦しむことはありませんよね。消滅することも……。本来私くらいの力を持つ存在なら、お二人に近寄れば苦しみ消滅することもあります。だけど私は、この通り、無事で……。なにも……。だから、だから、王は……。見抜いて……」
ランジュの全身は震える。
きっとこれを伝えれば、三人から非難されるだろう。だが、彼らに嘘を吐き続けることに疲れた。耐えられない。様々な思いがのどをつっかえさせるが、なにかの力が入り、叫んだ。
「悪魔の書を配ってこいと、命じたのです!」




