アインからの質問
ランジュにとって、悪条件が重なっていた。
教会の敷地内は当然のことながら、クラン以上に敬虔なアイン、二人が揃ったこと。全てが重なったことにより、父から忠告されていた通り、魔法が解けたのだ。
「え? ランジュ? なんで? え?」
混乱するセウルの言葉は、ランジュの耳に入っていなかった。体が震え、どうすれば良いのか分からず、硬直させていた。
(どうしよう……。どうしよう……。まさか本当にお父様の魔法が……。逃げる? どこへ? 魔法を使って悪魔界へ帰る? でも見られた! この姿を見られた! どうしたらいいの?)
「ルジーさん、なぜ若返って……。いえ、それより今までどこに……。あれからなにが……。いえ、とにかく無事で良かった……」
誤解したままアインは膝をつくと、潤んだ目でランジュを抱きしめた。
それはいつかのクランの温もりを思い出させた。ランジュの涙腺も緩み始めるが、一度強く両目を閉じ、アインの体を押しのける。
(……この人たちに、嘘はつけない……)
「……私はランジュ……。ランジュです……。悪魔と人間の娘……。母の名は……。ルジー……」
だがついに涙は溢れた。
「今までずっと黙っていて、すみませんでした……。だけど私は、ランジュ……。お母様では、ありません……」
それを聞き、やっとクランは疑念が晴れ、全てのことに納得できた。
ランジュを見ていると、ルジーを重ねること。悪魔に断言していたこと。
「とにかく私の部屋へ。ここでは目立ってしまいます。ルジーさんを知る人が見たら、騒ぎになってしまう」
アインに促され、皆で移動する。その間、ランジュが鼻をすする音は響いたが、誰もなにも言わなかった。セウルは自身の中で一つの真実が渦巻き、信じられない思いでいた。
(ランジュが、あのルジーって人の娘……? 悪魔に連れ去られたっていう、人の……? 父親は、悪魔?)
答えはとっくに出ている。だがセウルの知るランジュは世間知らずではあるが、ただの女の子。到底、答えを受け入れられる状態ではなかった。
そんな四人の様子をモリオンは、王の隣に立ち眺め、嘆息を漏らした。
(アイン、警戒はしていたが……。恐ろしい人間だ。なぜそこまで神を信じられる。その力を見た訳でもないのに……)
「……珍しく純粋な教皇だ。これほどの者を教皇に据えられたのは、久しぶりではないか? 人望ある者を置くことで、教会の神聖さを人間どもに示しているのだろうか。この教会は、こんなにも素晴らしいのだぞと」
ざざっ、と魔法で写される映像が乱れる。
王が本気になれば、ずっと鮮明にさせておくことは可能だが、そこまで力を割く価値はないと判断しているのだろうと、モリオンには分かっていた。王が見ているのは、アインが目的ではないからだ。
「さてランジュ、試させてもらおうか。お前が我に真に忠実か否か。ただ血統の血により逆らえないだけなのか、否か」
それからモリオンに視線をやり……。
「モリオン、近くルフェーを連れて来い。あの娘だからこそ、頼みたい仕事がある」
(ランジュは人間に近い。だからここで、悪魔側の道を選ぶか否か、試させている。だが王の期待を裏切れば、ランジュは……)
その時は王の決めたこと。逆らうことなく、受け入れる。もとより、そういう血統なのだから。
(しかしなぜルフェーを呼ばれるのか……。あの子は悪魔側だ。王への忠実に、偽りもない。むしろ完璧な悪魔になりたがっている。王に呼ばれたと伝えれば、さぞ喜ぶことだろう。だが、なにを頼ませるつもりなのだ?)
長く近くで仕えているが、まだ王への理解が足りないとモリオンは実感する。
そんなモリオンの考えを見抜いているのか分からせないまま、王は映像を切った。
悪魔界でそんなやり取りがされているとは知らないアインは、しばらく誰も来ないように告げ人払いをし、部屋には四人だけとなった。
とはいえ、隣に座る息子も同じなのだろう。なにから切り出せば良いのか、あぐねいていた。
正面に座るランジュも、その隣に座るセウルも、子どもたちは俯いている。セウルは事態についていけず、混乱しているのかもしれないと心配する。
(無理もない。目の前で外見が変化し、共に旅をしていた少女は悪魔の血を引くと言う。クランからの手紙によると、この少年は悪魔を憎んでいる。憎しみの対象の血を引くランジュさんに対し、思うことは多いだろう……。それにしても……)
改めて眺めるが、ルジーと瓜二つだ。
親子なのでそういうものかもしれないが、まさか娘を産んでいたとは……。大方の想像では、連れ去られたルジーは、すぐさま魂を食われたと考えられていた。
だが殺されていなかった。
(そう、少なくともランジュさんを産むまでは生きていた。では本当に悪魔は、花嫁を望んでいただけなのか?)
あごひげをなで一呼吸吐くと、やっとアインが先陣をきるように口を開いた。
「ルジーさんは、元気にされていますか?」
「……はい」
頷かれ、二人は驚いた。今も元気ということは、現在もルジーは生きているということだからだ。
「悪魔から嫌な目に合わされていませんか?」
「……いえ、人間にしては馴染んで生活しています」
今の質問はルジーだけではなく、ランジュに対してでもあったが、伝わらなかったらしい。だがそれ以上に「馴染んで生活しています」と言われ、動揺する。
「両親の仲は良く……。お二人が心配されているようなことは、なにもありません……」
小さな声だが、聞き取ることはできた。自然とクランは膝の上で、拳を作る。
(悪魔と仲が良い? 確かにルジーは悪魔を慕っていた。けれど、悪魔は悪魔だ。信じられない。でも……)
こちらで暮らしている頃、ルジーは家族との仲が良いとは言えなかった。それなら住む世界が違っても、幸せなら良い話ではないかとも思うが、やはり人間は人間と幸せになるべきではないかという考えも捨てられなかった。
「それなら少しは安心しました。ルジーさんはこちらで生活している頃、あまり……」
そう言葉を濁されたことと、母の発言から、本当に人間世界では良い思い出がなかったのだとランジュは察した。
(あのお母様の性格なら、そうかもしれない……。けれど、お母様の性格が今のようになるよう作ったのは、きっとお父様……)
「……はい、母から聞いたことはあります。人間の世界については語る思い出もないし、唯一の会いたい人は、すでに亡くなっていると……」
「会いたい……。それはきっと、リゼさんのことですね。ルジーさんの祖母で、ランジュさんの曾祖母にあたる女性です。彼女は素晴らしい方でした。唯一、ルジーさんを皆と平等に愛した女性でもあります。言い方を変えると、ルジーさんの唯一の味方でした」
曾祖母については初耳だった。
それからアインはリゼという女性について、教えてくれた。人格者であり、愚直なまでに神を信仰していた女性でもある。しかも夫が領民のために悪魔と契約したことを、人を思って故の行為だと、最期まで責めなかったと。
(きっと私欲のためなら責めたのでしょうね)
領民を救いたいという思いを、いくら神を信仰しているとはいえ、責めることができなかったことはランジュにも想像できた。
その年、災害に見舞われた領、そして民を救うため、ランジュの曽祖父は自らの命を差し出し、悪魔に助けを乞うた。だが悪魔は曽祖父の命ではなく、花嫁を望んだ。
己がどうなっても良いという覚悟はできていたが、まさか孫を連れ去られることになる覚悟は、できていなかった。自責の念のせいもあり、刻印が見える双子の片割れ、リューナばかり優先させ、その片割れであるルジーを後回しにしていた。それはアインから見れば、後回しではなく、無関心に近かったのだが。
今でもあの家に双子の娘が産まれたことは、偶然とは思えないでもいる。
「ではランジュさん、単刀直入に尋ねます。貴女はなぜ、人間界へ来たのですか?」
「そ、それ、は……」
明らかに動揺を隠せていない。ただ観光に来たという、単純な理由ではないことは明白となった。その様子は罪を犯し、懺悔に訪れたが、なかなか口に出して言葉に出せない信者たちを思い出させるものもあった。
嫌だが、これも教皇の役目だと、アインは質問を止めなかった。
「姿を変化させ、なぜ布教使であるクランと旅を? もしかして、クランの命を狙っていたのですか? それとも誰かと契約……」
「違います!」
アインの言葉を遮り跳ねたように顔を上げ、結んだ唇を震わせるランジュの言葉に、嘘はないように見えた。
言いたいことはある。けれど言えない、誰も助けてくれない、愛してくれない。
そんな幼かった頃のルジーを思わせるランジュの姿に、二人は言葉を失くした。
「クラン様の命を狙うなんて……っ。そんなこと……っ。違います!」
大粒の涙を流し否定するランジュを見て、ルジーと仲違いをした日、本当はルジーもこうやって傷つき泣きたかったのだろうかと、クランは考える。
多くの者が刻印という形に目を曇らせ、ルジーの叫びに耳を傾けなかった。
(いや、なにを考えている! 今はランジュだ! ランジュと向き合わなくては! もう二度と、あんな過ちは犯さないと決めたではないか! ランジュと真剣に向き合わなくては……。今はルジーを思い出している場合ではない)
「では一体、どうしてクランと旅を?」
「……偶然です。セウルに見られていたことも、人間の女性が一人で旅をすることはほとんどないとは知らず……。私は王に命じられ、クラン様の滞在する地へ向かっていて……」
「王?」
「悪魔界を統治される御方です」
涙を拭いながら当たり前のように答えるランジュの言葉に、教会関係者である二人の体は強張った。




