43)エドワルドの面会
襲撃から二ヶ月になろうとするころ、ルートヴィッヒはエドワルドの見舞いを受け入れた。エドワルドは護衛騎士を四人伴い、いつになく物々しい訪問だった。
「竜丁、すまなかった」
詫びたエドワルドにアリエルは微笑んだ。
「いいえ、殿下のせいではありません。誰かわかりませんが、毒矢を放った人や、それを命じた方の責任です。殿下もご無事で何よりでした」
「お役に立てず申し訳ありませんでした」
護衛騎士のフリッツは跪いて詫びた。
「フリッツ様のせいでもありません。続けて飛んできた矢を防いで下さったと聞いています。ご自身に当たっていた可能性もあるなか、ありがとうございました。跪いていただいても、私もどうしたらいいかわかりません。どうか、お立ち下さい」
「竜丁殿」
跪いたまま、言葉を続けられなくなったフリッツに、アリエルは戸惑い、ルートヴィッヒを見た。
「フリッツ殿。竜丁の言う通りだ。あなたが責任を感じる必要はない。逆に、あなたでなかったら、次の矢がどうなっていたかわからない。お気にされる必要はない。あのあたりは警備の境目だ。手薄になりやすい。十分な手を打っていなかったという意味では我々竜騎士にも責任がある。どうか、立っていただかないと、こちらも跪く必要が出てくるのだが」
「いえ、ラインハルト侯にそのような、申し訳ありません」
フリッツは慌てて立ち上がった。
アリエルをいつでも支えられるように、ルートヴィッヒは隣に座っていた。
「エドワルド殿下、出来れば人払いしたいが、現状では出来ません。あまり人に聞かせるわけにもいかない話です。よいですか」
連れてきた四人の護衛騎士がどこまで信用できるか、ルートヴィッヒはエドワルドに判断を委ねた。
「この四人ならば、問題無いはずだ」
「他言無用をお願いしたいが、よろしいか」
ルートヴィッヒの言葉に、護衛騎士達も同意した。
「今回の毒矢に使われていたであろう毒と、同じものを私も経験している。症状が特徴的だ。身体が痺れて動けなくなるまでが異様に短い。動けるようになっても、少し無理をすると、動けなくなる、などだ。竜丁を見ていると、かつての私とよく似ている。当時、私に刺客を放っていたのが誰か、知らぬ方はおられないはずだ。おそらく、近い方が、同じ刺客か近いものを使ったとしか思えない」
ルートヴィッヒの言葉に、アリエルを除く全員が頷いた。
「疑わしいのは、侯爵家とそれにかかわる誰かだ。一番疑われるのは、王妃。証拠は無いが」
ルートヴィッヒはあえて敬称をつけなかった。
「えぇ、では、殿下は、お母様の王妃様に狙われたかもしれないってことですか」
「違う」
「竜丁、お前は賢いが、時々賢くないな」
アリエルの発言は、ルートヴィッヒとエドワルドの両方に否定されてしまった。
「私は最初、勘違いしていた。一つ目は、誰が狙われていたのかということ」
ルートヴィッヒは隣に座るアリエルを見た。
「竜丁、お前の肩に矢が刺さったのと、お前が殿下を庇って倒れたのと、どちらが先だ」
ルートヴィッヒの言葉に、アリエルは記憶を探った。
「肩が、先です」
「竜丁の肩に殿下の背丈が届くのは、少し先だ。あとは、フリッツ殿がはじいた矢の高さは、報告されていないことだが、エドワルド殿下の背丈より上のはず。手ごたえがあった位置が、殿下の身の丈にしては高すぎると聞いた」
「はい。私は、片足を引きながら剣を振りました」
フリッツは右手をその位置に持って行った。小柄なアリエルの背丈は、ちょうどそのくらいだ。蒼白になったアリエルの頭を、ルートヴィッヒはそっと撫でた。
「突然聞かせてすまない。だが、お前にそろそろ自覚してもらった方がいいと思った。狙われたのは、ほぼ間違いなく竜丁、お前だ」
「でも、なぜでしょう。私は何もしてないのに」
アリエルの言葉の後に、沈黙が降りた。アリエルに一番慣れているルートヴィッヒが、最初に口を開いた。
「竜丁、お前の言う、何もしていないに、同意するものは誰もいないぞ」
ルートヴィッヒの言葉にアリエルは首を傾げた。アリエル以外は頷いた。
「駄目なことを何かしてますか」
「いや、何も悪いことはしていない。お前が良くても、お前以外が良くても、問題となることもある」
ルートヴィッヒも、さすがにエドワルドの目の前で、王妃が竜丁に嫉妬して、刺客を差し向けてきた可能性があるとは口に出来なかった。
「ラインハルト侯、はっきり言っていい」
エドワルドのほうが、落ち着いていた。
「母上は、私が竜丁と、一緒に居るのを好まない。母上は私に、命令するだけだ。私に勉強しろと言いながら、王妃が担うべきことを何一つしていない。竜丁は、色々教えてくれる。勉強が面白いと思ったのは、竜丁が面白さを教えてくれたからだ。それを父上に言ったのを、母上に聞かれたのだろう。母上は嫉妬深い。竜丁に息子を盗られたと、喚いていたのを聞いていた者がいる」
アリエルは唖然とした。王妃が、竜丁で王都竜騎士団の便利屋でしかない自分に何を怒っているのかわからない。
「竜丁、お前は王妃が何に腹を立てているか、わからないと思う。違うか」
ルートヴィッヒの言う通りだった。
「はい。おそらく、あまりおっしゃりたくないようなこと、教えていただいた殿下には申し訳ないのですが」
アリエルには、王妃が叫んだ、息子を盗られたという言葉の意味が分からなかった。
「わからなくていい。お前が知るべきなのは、王妃はお前を嫌っているということだ」
「お会いしたこともありませんのに。なぜ嫌われるのでしょう」
ルートヴィッヒは溜息を吐いた。
「竜丁、逆にお前は誰かを嫌ったりしたことはあるか」
アリエルは、アリエルを一方的に毛嫌いしていたハインリッヒのことも嫌っていなかった。アリエルが淡々と受け流し、チェスの指導を皮切りに、関係を改善したことに、周囲は感心しているほどだ。
「多分ありません。あ、盗賊は嫌いです。村を襲ったから」
思い出したように、嫌いな相手を上げたアリエルに、ルートヴィッヒは苦笑した。
「今まで忘れていただろう。私が聞きたいのは、朝から晩まで毎日、あいつは嫌いだと、死んでしまえばいいと、思い続けたことはあるか」
「ありません」
アリエルは即答した。ルートヴィッヒもその返答は予測していた。
「そういうお前が、なぜ嫌われるか考えてもわかるわけがないだろう。理由はいらん。嫌われていることだけ覚えろ」
「あの、団長様のおっしゃる意味がわかりません」
「王妃に嫌われていることだけわかってくれたらそれでいい」
「存じ上げない方ですよ」
「だから、知らない相手を理由もなく嫌う人間もいる」
「なぜですか、どうやって」
「知るか、私は王妃ではない」
「そうですね、でも、よく知りもしない相手を嫌いになるなんて、想像できません」
「お前とのこういう会話は疲れるから、もうやめてくれ」
ルートヴィッヒはとうとう降参した。
「竜丁殿、竜丁殿のお人柄をさほど存じ上げているわけではありませんが、人はそれぞれです。竜丁殿がご理解できない考え方をなさる方もおられるのです。ですから、ご理解いただかなくてもよろしいかとは思います。ただ、王妃様が竜丁殿を嫌っておられるということだけ、ご記憶なさってください」
降参したルートヴィッヒのあとは、フリッツが引き継いだ。
「でも、どうして嫌われているか、わからないと、その対処もできないと思うのですけれど」
フリッツは、先ほどのルートヴィッヒの二の舞になることを覚悟した。止めたのはエドワルドだった。
「竜丁、無駄だ。母上は、王妃は、すぐ人を嫌いになる。嫌いになる理由を探して嫌いになる。後宮の侍女が長続きしないのもそのせいだ」
「エドワルド様」
「王妃が好きなのは、自分だけだ。王妃が好むのは、王妃を称賛する言葉だけだ。我が母上ながら、王妃にふさわしいとは思わない。分不相応な立場にいる王妃を、称賛する者は限られる。王妃は、大半の人を嫌っている」
母親のシャルロッテを、王妃と言ったエドワルドの言葉を、誰も否定しなかった。
「竜丁、私は竜丁が、ラインハルト侯の竜丁でよかったと思う。他で竜丁をしていたら、会うこともなかったろう。逆に万が一、父上の側室だったら、王妃に殺されるだけだ。今回、本当に命が危なかったと聞いている。竜丁、王妃が本当に申し訳ないことをしたと思う。また、竜丁に会いに来てもいいか。ラインハルト候も許可をいただけるとありがたい」
アリエルはゆっくりと歩み寄り、エドワルドを抱きしめた。何と言っていいかなど、わからなかった。養父は優しかった。アリエルを捨てた旅芸人の母には、アリエルは良い感情は持っていない。それでも、エドワルドのように悲しい顔を自分にさせることはなかったと思う。
「私はいつでも、殿下。殿下と過ごす時間は楽しいですもの」
「問題は警護をいかにするかということだけです。殿下がお気遣いいただくことではありません。殿下のご問題ではないのです」
ルートヴィッヒ自身、自分ではどうしようもない血筋というものに振り回されてきた。
「書類のことは手伝うぞ、邪魔だろうが教えてくれ、教えてくれたら頑張る」
エドワルドが指した書類を見て、ルートヴィッヒは珍しく、しまったという顔をした。
「慈善事業は本来、王妃の仕事だ。誰がやっているのかと思ったら、ラインハルト候だとは。今まで隠していたな」
ルートヴィッヒがシャルロッテの職務放棄の尻ぬぐいをしているとなれば、息子であるエドワルドが気を遣うのは分かっていた。見せないようにしていたが、今回書類を溜め込みすぎて、管理できなくなっていた。
「すみません、団長様のお時間をいろいろとらせてしまっているから。お手伝いもできていませんし」
アリエルが俯いた。
「いや違う、それは違う、お前が謝る訳が分からん」
「そうです、竜丁殿のせいではありません」
「竜丁が助かってくれただけで、うれしいから、書類の手伝いといっても微力だろうが、私も頑張るから、お前が謝るな」
エドワルドの久しぶりの面会は思ったより長引いた。翌日、疲れでアリエルはまた寝込んでしまい、ルートヴィッヒはマリアにお小言をもらった。




