42)アリエルとルートヴィッヒ
「アリエル」
ルートヴィッヒは名を呼び、薬湯を飲ませ続けた。手を握り、何度も語りかけた。
五日目、ようやくアリエルは目を開けた。ぼんやりと焦点の合わない視線を動かし、すぐに目を閉じてしまったが、ルートヴィッヒは安堵し涙した。約束通りやってきたベルンハルトを誤解させ、慌てさせてしまったから少し申し訳なく思った。
翌日には、時折アリエルとは視線が合うようになり、七日目には、はっきりと目を開けたアリエルは、何か言おうとした。声は出なかったが、ルートヴィッヒの言葉に、アリエルは微かに頷いた。
十日目には、ルートヴィッヒが支えてやれば座り、ルートヴィッヒが一匙ずつ飲ませてやるスープを、なんとか自力で飲めるようになった。身の回りのことのすべてに手を借りる状態はしばらく続いた。ゆっくりとであれば身の回りのことが出来るようになっても、ルートヴィッヒはアリエルを自室に帰らせなかった。高熱で動けない間に、アリエルの筋力も体力も落ちていた。
マリアも、ルートヴィッヒの過保護ぶりに呆れた。しかし、躓いて転んだ後、自力で立ち上がれないアリエルを見たマリアは、ゲオルグと二人で、アリエルの部屋を執務室の近くに移してしまった。
思うように動けるようになるまで、一ヶ月はかかった。それでも仕事の大半は、竜騎士達とマリアが行った。
「気にするな」
申し訳なさそうなアリエルに、ルートヴィッヒは微笑んだ。
「私達がお前をきちんと守れなかったから、怪我をさせてしまった。すまなかった。その件で、竜達が怒った。竜騎士の大半は、竜に、竜丁の仕事を代わってやるといって許してもらったらしい。当分、お前は休め。お前に仕事をさせたら、竜をまた怒らせる」
「まぁ」
アリエルは、歩けるようになる前、ルートヴィッヒに背負われて、竜達に会いに行った。アリエルの無事を喜んでくれた竜達は、アリエルに竜騎士達とそのような約束をしたとは教えてくれなかった。
「今はお前に無理をさせられない。大丈夫だ。竜の世話も、畑の水やりも、鶏の世話も、掃除も、全部竜騎士がやる。マリアを手伝って料理だけはしてほしい。ペーターとペテロにも手伝わせる。力がいることは、ゲオルグがやってくれる。すまないが厨房にいてくれ」
「えぇ、勿論です」
ある程度、体を動かさないと体力も戻らないだろう。手伝ってくれる手があれば、ある程度のことは出来るはずだ。
「繕い物は」
「竜騎士にやらせる。マリアは針子だから得意だ。お前が来る前は、各自下手なりに自分でやっていたから、なんとかなる」
あまり頼りにならない返事が返ってきたが、どうせまた稽古で破くのだ。
「ルーイも、トールに怒られたのですか」
ルートヴィッヒが苦笑した。
「あぁ、お前が、少し歩けるようになったと言ったら、トールが鼻でまともに突いて来た。避けたら余計に怒らせそうだったから、正面から受けたらこれだ。頭突きだったら、肩が折れかねん。久しぶりの手加減無しだった」
シャツを脱いだルートヴィッヒの左の胸が、内出血で青黒く染まっていた。周辺が黄色味を帯びているから、少し古い痣であることがわかる。
「こんな怪我したなんて、一言も」
アリエルが痣に触れた。ずっと看病してくれていたのに気づかなかった。アリエルが歩けない間中ずっと、抱きかかえたり、背負ったりして、ルートヴィッヒはアリエルを運んでくれた。
「お前が気にするな。目立つが単なる打撲だ。お前を守れなかった私が悪かった。そのことにトールが怒っただけだ。お前が歩けるようになるまで待ったあたりが、トールらしい」
「副団長様達は」
「フレアは、リヒャルトを追い回していたな。リヒャルトが叫びながら逃げ回っていたが、どうなったかは聞いていない」
「ハインリッヒ副団長は?」
「毎日いがみ合っている。あの状態でヴィントがハインツを乗せる意味が分からん。そのうちヴィントがハインツを振り落としそうで気にかかる。ハインツも、意地でヴィントに乗っているとしか思えん。あの組が一番心配だ。小突いてすませるトールや、リヒャルトを追い回して憂さ晴らしをするフレアのほうが、根に持たない性格だな」
ルートヴィッヒはアリエルに、なるべく休憩をこまめに挟むようにと告げた。
「無理すると、また倒れるぞ」
かつて同じ毒で襲われたあと、無理をして実際に倒れたというルートヴィッヒの言葉に、アリエルは素直に従った。
ルートヴィッヒの言う通り、疲労ですぐに、症状がぶり返すのだ。時々、起き上がって、座っていることさえつらくなる。その度に、心配するルートヴィッヒに申し訳なく思った。
「お前を見ていると、ベルンハルトに申し訳なくなってきた」
ルートヴィッヒは言った。
「あの頃、ずいぶん心配かけたなと、今になって反省している」
「だったら、それを本人にお伝えになってはいかがですか」
「言った。結局からかわれた気がする」
「まぁ」
ベルンハルトなりの照れ隠しだろう。
「仲が良いですね」
「一緒に生き延びた兄弟だ」
ルートヴィッヒは嬉しそうに笑った。




