33)変化1
互いに想いを告げ合っても、ルートヴィッヒとアリエルの関係は、表立っては変わらなかった。執務室で二人だけでいるとき、互いに名前と愛称で呼ぶようになったくらいだ。二人はそうあるように気を付けていた。
貴族の目であるハインリッヒがいるからだ。
だが、周囲の人間は愚かではない。北の領地から帰ってから、苛立つことが増えていたルートヴィッヒが落ち着いた。元気がなかったアリエルも、前のように笑うようになった。二人の間で何かあったことくらい気づいて当然だ。
多くの竜騎士は歓迎した。苛立っている団長は怖い。普段から厳しい訓練だが、より激しさが増す。アリエルが軽食や、飲み物を差し入れてくれるのがありがたい。蒸かした芋や、干した果物を水で戻して煮た甘味の差し入れは、本当にありがたい。ぜひ、このままアリエルにはここにいてほしい。竜騎士の多くは願った。アリエルに竜丁であり続けてもらうには、団長と竜丁が結婚したら良い。
二人の仲に苦言を呈するハインリッヒと、その他の竜騎士との間に少しずつ溝ができ始めた。
その溝を無視するように、ハインリッヒとアリエルはチェス盤に向かっていた。溝を感じたからこそ、アリエルはハインリッヒとのチェスをやめなかった。両者に挟まれた地方貴族出身のヨハンも悩んでいた。
「一度話し合うか」
とうとう、ルートヴィッヒが言った。食後、恒例のお代わりの騒動が落ち着いた後、アリエルは茶を用意した。いろいろ考えたが、気持ちが落ち着くと商人が言った柔らかい香りのお茶にした。
「食事の後だが、少し話し合いたいことがある」
ルートヴィッヒは全員に着席を促した。
「いきなり本題に入るが、副団長であるハインリッヒに対して好ましくない態度の者がいる。彼は私が信頼して任命した副団長だ。言いたいことがあるならば、今、ここで私に言うように」
ペーター、ペテロの双子は顔を見合わせた。
「団長、団長が信頼しているといいますが、ハインリッヒ副団長の態度が失礼だと思います」
双子の発言に、他の者もうなずいた。
「特に、竜丁に対して失礼です」
竜騎士は武闘派だが、騎士は騎士として、女性や子供を大切にするようにという教育を受けている。かつ、アリエルは、彼らにとって大切な竜を預かる立場である。竜丁をないがしろにする竜騎士はいない。
「ハインリッヒにはハインリッヒの理由がある。それも含めて私は彼を副団長にしている。話はかわるが、私が竜騎士になる前のことを知る者は手を挙げろ」
手を挙げたのは、副団長であるハインリッヒとリヒャルト、地方貴族出身のヨハン、他数名のみであった。
「まぁ、そうあっては無理もないか」
貴族の権力闘争など、関係なく生きている者の方が多い。かつて、ゲオルクに言われたことをルートヴィッヒは思い出していた。
「ハインリッヒやヨハンが知っていることは予想できるが。リヒャルト、お前はどう聞いている」
指名されたリヒャルトは頭をかいた。
「あの、私は、アルノルト様から聞いたのですが」
「かまわん」
「団長は、本来庶子だから、王位継承権がなかった。ところが、なぜか王位継承権第二位が与えられ、貴族の権力闘争の旗印になってしまった。だから、子供の頃から命を狙われ続けて、とうとうそれが嫌になって、王族をやめるために竜騎士になった。と聞いています」
「まぁ、似たようなものだな」
大雑把な説明にルートヴィッヒは苦笑しつつもうなずいた。国王と兄弟であることを知らない者はいない。その結果引き起こされた、権力闘争がいかに凄惨であっても、たかが王宮内の出来事でしかなく、表向き、今は一段落しているのだ。忘れられていくものだろう。
忘れられていってほしいが、終わっていないのも事実だ。ルートヴィッヒの身近にいる者は知っておく必要がある。
「当時のテレジア王妃様の実家である侯爵家と対抗していた勢力が、地方にいて先王に認知もされていなかった庶子の私を見つけ出した。王都につれてこられた当時のことは、私も覚えていない。庶子であった私には本来、王位継承権はない。故テレジア王妃様に、ベルンハルトが国王になり、私は身近で支えると教えられていた。そのための教育も、私に授けて下さった」
ルートヴィッヒの声には、当時を懐かしむような響きが有った。
「テレジア王妃様のお父上が亡くなられたときだ。テレジア王妃様に対立していた勢力が、法を曲げ、私に強引に王位継承権の第二位を持たせた。それだけでも十分問題だ。さらに、私が生まれたのが、ベルンハルトよりも数日、おそらく二日、早かったことが大問題になった。庶子とはいえ先に生まれた王子か、貴族の母が後に産んだ王子か、いずれが王位を継ぐべきかで貴族は真っ二つに割れた。そのうち、刺客が私達を襲うようになった。当時、王妃派といわれた貴族、今の侯爵派のほうが、金も権力もあったから、私を襲う刺客のほうが多かった。私の傷の大半がそのころのものだ。毒殺されかかったこともある。何度も死にかけたが、王位継承権第一位であったベルンハルトが助けてくれた。自分にとってはたった一人の兄だと言って庇い、自ら介抱してくださった。当時の後宮ではだれが信用できるかわからなかった。だから、私はベルンハルトに忠誠を誓っている。彼がいなければ、私は死んでいた。私がベルンハルトを裏切ることはない」
ルートヴィッヒは穏やかに語るが、それを聞く竜騎士たちは顔を見合わせていた。
「ハインリッヒは、私と同じころ、見習いだった。私の同期の見習いで竜騎士になった者は少ない。王都竜騎士団にいるのはハインリッヒとヨハンと私だけだ。ハインリッヒの実家は、当時、王妃派と呼ばれていた侯爵家の派閥に属している男爵家だ。ハインリッヒは、私が何か彼らにとって不都合な、つまり、国王陛下に背くような行動をした場合、密告するために側にいる。逆を言えば、別に国王陛下に背くようなことをしていないのだから、ハインリッヒを近くにおいておくことがその証明になる」
ルートヴィッヒはハインリッヒを見た。
「今の貴族の懸念は私の血だ。私の血の半分は、先王由来。もし、私に子が生まれたら、どうなる。エドワルド殿下とその子供の間で、国王陛下と私の間にあった問題が、また生じかねない。庶子である私の子に、王位継承権は授与されるはずはない。だが、私という先例がいる以上、その可能性がないとはいえない。その可能性があるから、今も時々報告にいくのだろう。違うか」
ハインリッヒはルートヴィッヒを見た。
「お分かりであれば、もう少し、気を付けていただきたい」
「妻も子も殺されると分かっていて、誰かを娶り、子を成すつもりはない。騒乱は望まない」
「では」
「一人で生きていくつもりだった。妻にもできない、子供を成すこともないと言っても、側にいてくれると言ってくれたから、手放すつもりはない」
ルートヴィッヒは、アリエルを招き寄せ、膝の上に座らせた。
「あなたがそのつもりでも、相手はそう思わない。大切に思うなら、手放すべきです」
「嫌だ。手放すつもりはない。目の届かないところにいかせたら、私の知らないところで殺されるかもしれない。実際、顔も覚えていない母は殺された」
アリエルは少し恥ずかしそうにルートヴィッヒの膝の上に座っていた。ルートヴィッヒの母の話にも驚いた風もなかった。
「疑心暗鬼となっている方は、あなたのようには考えない」
「ベルンハルト国王陛下の後継はエドワルド殿下だ。その後継は、エドワルド殿下の御子だ。私は国王陛下の剣と盾。いずれ私の後進がエドワルド殿下の剣と盾になるだろう。争いの元となるならば、私は子を成すことはない。私は無駄な争いは望まないと伝えろ」
「問題は、それではなくなっているのです」
ハインリッヒは叫んだ。どちらかというと、それは解決しているに近い。命がけの環境の中、兄弟二人が強い絆で結ばれていることを、多くの貴族が知っている。ルートヴィッヒの忠義を疑う貴族は、今は皆無といってよい。
ルートヴィッヒは首を傾げた。
「他に何がある」
「無いところに問題を作り出す方もおられるのです」
「ではどうしろというのだ」
言いかけてハインリッヒは言葉に詰まった。そう言われてみれば、どうしようもない。あの方の愚かさは。
「そうですね。どうしようもありません。確かに」
何を言ったところで通じないと、聞いている。
「ならば手元に置くだけだ」
ハインリッヒは黙った。
途中からルートヴィッヒとハインリッヒだけの会話となってしまい、置き去りにされた竜騎士たちは顔を見合わせた。
「ところで、お前達、ここまでは分かったか」
血の濃さだ、生まれ順だと、王族の跡目争いの凄惨さなど、初めて聞いた者もいる。竜騎士達は顔を見合わせていた。




