30)二人で1
ベルンハルトは帰っていった。
アリエルは涙を拭いて、大きく息を吸った。落ち着かなければならない。泣いてしまったアリエルに、ベルンハルトは同情したのか、彼の私情とこの国の実情を話していった。
君とルーイの子なら。
ルーイが一番大切にしている人と、添い遂げてくれたらいい。
兄の幸せを願う、ベルンハルトの正直な言葉だろう。だが、国王である彼自身が、それは難しいと言った。雁字搦めなのはルートヴィッヒだけではない。
「竜丁」
ルートヴィヒが入ってくるなり、アリエルを抱きしめた。
「泣いて、どうした」
ルートヴィッヒに抱きしめられるのは、北の領地からの帰路、トールに乗って以来だった。移動時と違い、外套もなく、薄い平服だから余計にルートヴィッヒとの距離が近い。心配してくれていることに安心した。一番近くにいるのはアリエルでよかったのだと思えた。ルートヴィッヒの心の中に、アリエルの居場所は今も変わらず有るのだと、思いたかった。
「大丈夫か、何があった。何を言われた」
このままだと、ルートヴィッヒの中で、ベルンハルトが悪者になってしまう。
「いえ、言われたからではなくて」
力強い腕に抱きしめられ、大きな手がそっと頭を撫でてくれる。
「こうして下さるのは、北から帰ってきたとき以来です」
ルートヴィッヒの手が止まった。
抱きしめられていると落ち着く。大切にしてもらっているのは自分だと思える。普通にしていたつもりだが、距離が近くなった後、離れてしまって、寂しかったことに、久しぶりに抱きしめられて気づいた。心が離れてしまったのかと、怖かったのだ。
「お側にいていいですか」
怖くて、ルートヴィッヒの顔を見ることが出来なかった。アリエル自身、どんな顔をしていいのかわからなかった。
「危険なだけだ。私といても」
アリエルを抱きしめるルートヴィッヒの腕が緩むことはない。
「誰かの元に嫁いで、子を産み育てるのが、女の幸せだと言われた。殺されるかもしれないのに、側になど、嫁いできて、欲しいなど」
アリエルの肩にルートヴィッヒの頭があった。
「お前が、死んだらどうしたら、いい。だが、どこかへ嫁いで、いなくなってしまったら、どうしたら、いい」
囁くようなルートヴィッヒの声が震えていた。ルートヴィッヒの周りでは、多くの人が死んだと、ベルンハルトは言っていた。
「どこへも行きません。お側にいたいです」
アリエルは、ルートヴィッヒの背に手を伸ばした。
「お前を、どこへもやりたくない、妻にできたら。でも、殺されてしまう、出来ない。側にいてほしい。でも、お前に何も、してやれない」
「それでもお側にいたいといったら、お側においていただけますか」
顔をあげたルートヴィッヒと、アリエルの目があった。
あの日、地下の螺旋階段で、決してアリエルの頬に触れることのなかったルートヴィッヒの両手が、アリエルの頬に添えられていた。
「お前はそれでいいのか。結婚も、子供も、今は無理だ。殺される」
人は、大義名分を振りかざし、人を殺すことを躊躇わない。
「今は無理だ。先のことだが、エドワルド殿下が王位を継がれ、そのお世継ぎが生まれたならば、私のことをあれこれ言う者もいなくなるだろう」
人が、口実でしか無い大義名分を簡単に棄て、掌を返すのも一瞬だ。
時流が変わる時まで待てばいい。だが、それに若いアリエルを巻き込んでよいのかわからない。
「いつになるか、わからない。先だ」
アリエルは微笑み、己の頬を包むルートヴィッヒの手に触れた。




