29)国王ベルンハルト2
ベルンハルトの予想どおり、ルートヴィッヒは廊下にいた。廊下に座り込んでいたのは、予想外だった。子供の頃、ルートヴィッヒは嫌なことや辛いことがあったとき、部屋の片隅にしゃがみこみ膝を抱え、その膝に顔をうずめるようにしていた。ベルンハルトはただ、黙ってルートヴィッヒの隣に座って、ルートヴィッヒの気が落ち着くのを待った。
「ルーイ」
子供の頃と同じように、ベルンハルトはルートヴィッヒの隣に座った。返事がないのも同じだ。
「ルーイ、話は終わったよ」
「君の竜丁は、ずっとここにいたいそうだ」
やはり返事がない。ベルンハルトはじっと待った。静かに待っていれば、ルートヴィッヒはいずれ口を開く。
「ここへ、連れてこないほうがよかったのだろうか」
ルートヴィッヒの声には力がなかった。
「さぁ、本人に聞いておいでよ」
それでもルートヴィッヒは立ち上がらない。
「早く行ったら、泣いてたよ」
その瞬間、顔を上げたルートヴィッヒに、ベルンハルトは襟首を掴まれ、引きずるように無理やり立たされた。
「何を言った」
低いルートヴィッヒの声が、ベルンハルトの鼓膜を震わせた。
「いや、泣くようなことを言ったつもりはない。本当だ。嘘じゃない。だから早く行ってあげなよ。泣くと思ってなかった」
ベルンハルトが嘘を言っていないことがわかったのか、ルートヴィッヒから放たれる殺気が、少し削がれた。
「帰りは」
「護衛も待たせているし、影達もいるから、大丈夫だ」
ルートヴィッヒは殺気を消し、足早に執務室に戻っていった。
「あそこまで怒っているのに、私の帰りを心配するなんてねぇ、律儀と言うかなんと言うべきか」
ベルンハルトは苦笑した。
「兄貴の殺気にさらされて、へらへらしている王様もどうかと思うよ」
ルートヴィッヒの気配が消えてから、天井から声が降ってきた。
「ルーイにようやく大切に思う、たった一人の女性が現れた。弟として嬉しいじゃないか」
「だったら王様、あんた何とかしてやりなよ。俺たち協力するよ。なんせ、兄貴に言われて王様についてからのほうが、ずっといい」
「穏便な解決を私は望むよ」
彼らに協力を頼んだら、この国の貴族のかなりが、首と胴体が離れ離れになりかねない。首と胴体が繋がったままでも、魂との別れを迎えることなどいくらでもある。
「つまらねぇな。簡単なのに」
「その時は簡単でも、後から問題になるからね。私は、息子に苦労を押し付けた先王のようには、なりたくないよ」
「王様の親父さんか。でも、そのおかげで、王様は兄貴がいるし、俺たち王様についたし、俺、王様の親父嫌いじゃないよ」
「解釈の問題だ。未だにルーイが、父の愚策に雁字搦めのせいで、私は甥や姪を可愛がることもできない」
兵舎を出て、護衛の姿が見えたためか、影は黙った。
「竜丁に伯母になって欲しい。従兄弟が欲しいという息子の願いを私は叶えたいよ」
そのためにも、障壁となっている貴族の勢力は削がねばならない。
「待たせたな」
王家に仕える護衛騎士の大半が、宰相派を自負していることも、その意味もベルンハルトは知っている。貴族とはいえ、家督を継ぐ長子ではなく、権力も何もない連中だが、彼らの支持を得ていることは大きい。
ベルンハルトに仕える影も、彼らが兄貴と呼ぶルートヴィッヒの命令だから、ベルンハルトに従っているだけだ。
貴族の支持はなくとも、ルートヴィッヒを支持する者は多い。
エドワルドに付き添い兵舎に行く護衛騎士達には、アリエルの警護も命じてある。エドワルドも事情を知っており、アリエルについて回っている。
ルートヴィッヒがかつて第二王位継承権を保持していたことにより、庶子に王位継承権を認めないという法が、形骸化してしまったことが問題だ。先例ができてしまった。
それさえなければ、今頃。
ベルンハルトは、過去へ向いていた思考を振り切った。過去は変えようがない。これからどうするか、なのだ。言葉に出したせいか、意外と自分の欲しいものが見えてくる。
「私も、甥や姪が欲しいね」
護衛騎士達もかすかに頷いた。信頼のおける片腕となる宰相と、その宰相を支える妻がいればいい。かつて、子供の頃、今は亡きゾフィーと三人で語った夢とは異なるが、望んだ未来と近い未来が見えてきていた。




