23)ダンスの教師1
「殿下、あら、今日は団長様もですか」
アリエルが目を瞬いた。マリアが縫った女物の裾の長い服を着ている。ダンスの稽古に普段の竜丁の格好ではいけませんと、マリアが用意した服だ。
「竜丁、ラインハルト侯と踊って、私に見せてくれ」
竜丁の頬が染まるのに時間はかからなかった。
「あの、殿下、団長様もお忙しいですし」
「ラインハルト侯はいいといったぞ。ついて来てもらったのに帰すのか。変だ。それに私は人が踊るのを見たことがほとんどない。それではだめだ」
エドワルドはアリエルを説得し始めた。
そんな二人をよそに、ルートヴィッヒはダンスの教師をじっと見つめていた。
「たしか、あなたにはお会いしたことがある。ダンスの教師と一緒に来ておられた方か」
「はい」
教師は微笑んだ。
「師匠が亡くなり、今は私が役目を継いでおります」
「そうか。あの当時は、あなたの師匠にも、あなたにもずいぶん助けられたな」
「いいえ。何をおっしゃいますやら。ずいぶんと久しぶりにお会いできました。また、殿下、いえ、ラインハルト侯爵様のダンスを拝見できるとは幸せです」
「久しぶりだ。細かいことは忘れた」
「では、最初に練習する曲にしましょう。容易ですし、みな沢山練習しますから。これは覚えているものです」
教師は、隣にいる楽師に曲を伝えた。
「竜丁、この曲ならばわかるか」
エドワルドと何か言い合っていたアリエルの手を、ルートヴィッヒが取ると、少し戸惑った様子ながら、アリエルは手を添えてきた。
「私は久しぶりだ。足を踏んだらすまん。気を付ける」
「私、殿下と先生以外の方と踊るのは初めてで、どうしたらいいのか」
「足を踏んでも気にするな。曲を聴いて踊ればいい。細かいことは忘れろ、私も忘れた」
楽師が奏でる曲に合わせて、二人は踊り始めた。
「こんな日が、来るなんて」
踊る二人を見ながら、ダンスの教師は、感慨にひたっていた。最初、ぎこちなかったものの、二人は徐々に息を合わせて踊るようになった。ルートヴィッヒの手はアリエルの腰に添えられ、小柄な彼女を優しく抱き寄せ、アリエルはルートヴィッヒに身を寄せてほほ笑んでいる。
一曲踊った二人は、エドワルドにねだられ、二曲目を踊りはじめた。
「こんな日が、くるなんて」
あの頃、刺客に追われ、生傷の絶えなかったルートヴィッヒだが、ダンスの稽古にはきちんとやってきた。
「ベルンハルトの兄弟がダンスも出来ないでは、情けない」
動機は奇妙だったが、熱心だったルートヴィッヒを、師匠は可愛がった。時々、疲れ果てた様子でやってくる彼を、稽古場で休ませてやったり、持ち込んだおやつを食べさせてやったりしていた。子供のいなかった師匠は、孫ほどの年齢のルートヴィッヒを可愛がった。弟子だった自分は、最初は嫉妬した。
「迷惑をかけて、すまなかった。もう、来ない。今までありがとう」
嫉妬に気づいたらしいルートヴィッヒは、ある日突然、別れの言葉を口にした。師匠の教えのとおりに優雅な礼をして、去ろうとした少年を師匠は慌てて引き留めた。
「ここに来たら、休ませてもらえるし、食べ物をもらえるから、あなた方に甘えていた。ダンスの稽古も、嫌なことを忘れられて楽しかった。でも、迷惑をかけてしまうから、もう、来ない」
ルートヴィッヒは、もう一人の王子、ベルンハルトに比べて、明らかに、痩せて、小さかった。そんなものかと思っていた。休むところも、食べ物も、この王子には十分ないのだと、その時初めて気づいた。同じように剣の稽古をしているはずのベルンハルトには、傷などなかった。年齢の近い二人が、あまりに違う理由に気づいたのも、あのときだった。
師匠が必死に引き留めていると、ベルンハルトもやってきた。他に休むところも何もないから、ルートヴィッヒをここに来させてくれと、ここがないと、たった一人の兄弟が死んでしまうから助けてくれと、ベルンハルトは師匠に懇願した。
そのあと、師匠がどうとりなしたかは、あまり良く覚えていない。