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19)一人は嫌だ

 硬い軍靴の音を廊下に響かせながら、ルートヴィッヒは王都竜騎士団の兵舎まで戻った。子供の頃は足音を消すため、硬い靴は履かなかった。


 寝静まった兵舎に人の気配はない。ルートヴィッヒは執務室の扉を開けた。


 夜も遅くなった。アリエルには休めと言ってある。予想通り、部屋には誰も居なかった。机の上に、布巾がかかった何かがあった。アリエルが置いていったのだろう。冷めた茶と、彼女の作る兵糧のようなもの、が置いてあった。


 茶は以前疲れているのに眠れないといったときに、淹れてくれた茶と同じ、少し甘い味がした。


 眠れないから、そばにいてほしい。あの時、言葉にできなかった思いは、全く届かなかった。でも、優しく微笑んで、いつもと違うお茶を淹れてくれた。


 竜丁がつくる兵糧のようなものは、甘く優しい味がした。来年北に行くときには、前より美味しいものを用意すると、今から張り切っている。


 ベルンハルトの言葉が、耳の奥で木霊していた。

「エドワルドは、お前の竜丁に伯母上になって欲しいらしい」

「平民の女であれば、問題はないと思う」

なんと甘美な誘惑か。


 だが、アリエルが、どう思っているか、わからない。ずっとそばにいてくれるといったが、それ以上はわからない。聞いてしまって、今の関係が壊れたら怖い。血にまみれたこの手が、生き延びるために沢山の人を死なせてしまった自分が、死神と揶揄された過去が恐ろしい。


 刺客に追われ続けたあの日々、ルートヴィッヒに逃げるように告げた護衛騎士達は、みな死を覚悟しているのに、最期に微笑み、自分に別れを告げた。

「殿下、お逃げください。どうか、我々が食い止めている間に」

「殿下、私にお構いくださいますな、どうかお逃げください」


 何人もの護衛騎士達が、死んでいった。逃げるしかない自分を呪った。彼らは後から行くから先に逃げろと言った。それができないこと分かっていたのに。自分のせいで、優しくしてくれた彼らは死んでいった。当時、ルートヴィッヒの護衛に任じられることは死を意味した。


 死神殿下と、陰で呼ばれていることは知っていた。それに対して、なんと思ったのか思い出せない。ただ、もういいと思った。他人を死なせて、生き続けることに疲れた。

「護衛はいらない」


 そういった日、ベルンハルトに殴られた。ベルンハルトが怒ったのはあのときが、初めてだったと思う。


 次に殴られたのは、竜騎士になるといった日だった。大喧嘩になった。


 ベルンハルトはいつもふざけたようにふるまいながら、自分を守り、助けてくれた、たった一人の弟だ。ルートヴィッヒは、国王という重責を担うことを生まれた時から定められた弟を、庶子の兄として一番側で支えるのだと、幼い頃から信じていた。あの頃、思い描いていた立場とは違うが、生き延びて似た立場にはいると思う。


 アリエルは、竜に愛される竜丁だ。本来ならば、竜の怒りを恐れ、竜に近い人間を殺すものはいない。権力に目がくらんだものは、常人と同様には考えない。実際に、ルートヴィッヒが竜騎士に任命されたあとも、何度か刺客に襲われた。王都竜騎士団団長となり、ベルンハルトが貴族の前で、ルートヴィッヒは国王である自分の剣と盾であると宣言してからは、ようやく無くなった。


 常にそばにいてやっても、刺客から人を守ることは難しい。常に側にいてやれない今、なおのこと刺客から守ってやることなどできない。


 妻として娶って、喪ってしまうくらいなら。生きて側にいてくれたらいい。側にいてくれると言ってくれたが、それは、自分と同じ想いと、受け取っていいのか。血塗られたこの手を、多くの人を死なせた自分の手を、あの優しい娘はとってくれるのか。


 とりとめのない思いが、次々と胸の内から湧き上がってくる。眠れそうになかった。


「お前の淹れてくれた茶が飲みたい」

誰もいない部屋だ。答えなどない。いつもなら、ふわりと笑ってお茶を淹れてくれる。

「熱いですから気を付けて下さいね」

そういって微笑んでくれる。あの声が聴きたかった。


 名前で呼んだら、どんな顔をするだろう。名前で呼んでほしいと言ったら、呼んでくれるだろうか。


 一人は嫌だ。もう、嫌だ。今のままなら、そばにいてくれる。そばにいてくれて、いてくれるだけであっても、一人よりは良かった。今日は新月ではない。それでもルートヴィッヒは、眠れそうになかった。


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