16)兄と弟2
エドワルドは、最初は週一回程度、兵舎に来ていた。今は来ない日のほうが珍しい。統治者となるために必要な教育の大半を兵舎でアリエルと一緒にうけているから、教育に関しての問題はない。実務も経験している。武芸の稽古も十分以上に足りている。
「このままでは、殿下のご学友と呼べる方がおられない状況になってしまわれます」
それは、ベルンハルトも危惧していた。エドワルドは同年代の貴族の子女との接点が少ない。エドワルドくらいの年齢であれば、母親が茶会を開き、同年代の貴族の子女と引き合わせる。
エドワルドの母親はあのシャルロッテだ。ベルンハルトは、エドワルドがシャルロッテの茶会に参加することがないように、シャルロッテに媚びる以外は能のない貴族の子女がエドワルドに会うことがないように、エドワルドが幼い頃から様々な手を打ってきた。
結果、エドワルドの周囲には愚か者はいないが、愚かでない者もいない。
「残念ながら、愚か者を遠ざけるだけで、今のところは手一杯だ」
ベルンハルトの言葉に、ルートヴィッヒも頷いてくれた。
「継承権をお持ちの方が、たった御一人というのも、あまり好ましいことではないはずです」
国王と国王を支える者になるべく、教育を一緒にうけていたルートヴィッヒに言われると、ベルンハルトも耳が痛い。確かに、ベルンハルトに母を同じくする兄弟姉妹がいれば、庶子のルートヴィッヒが第二継承権を与えられることもなく、国を二分しかねなかったあの政争はおこらなかった。だが、兄弟姉妹いたら、その兄弟姉妹の誰かと、国を分断しかねない政争となっていた可能性もある。
「あの愚かな王妃のような子では、エドワルドの負担になるだけだ」
ベルンハルトとルートヴィッヒを、勝手に旗印に担ぎ上げた政争は、ルートヴィッヒが王位を望まず、強引に竜騎士となり、竜騎士の頂点である王都竜騎士団竜騎士団長に上り詰めたことで解決した。彼が王位を望めば、今も血みどろの争いが続いていただろう。
王妃としての教養どころか、貴族女性に必須な教育の程度すら危うい女から、エドワルドは生まれた。エドワルドの教育があまり進んでいないことが、懸念されていた。連日のように王都竜騎士団の兵舎に通うようになってからは、著しく改善した。後継者として期待できるエドワルドのような子が生まれたのは、ベルンハルトにとって、この国にとって幸運なことだった。次に子が出来たときに、その幸運がまた与えられるとは思えない。
「では、あなたに必要な賢い側室を迎えられたらよいと、前にも申し上げたはずですが」
前にこの話をした時に、気になっていた娘は、すでにベルンハルトではない男と見つめあう仲になっていることは確認した。流民の血を引くあの娘は側室にできない。
ベルンハルトと流民の血を引く女の間に子供が生まれたら、平民の女が生んだルートヴィッヒが、かつて味わった以上の苦労を強いられるだろう。悲劇を繰り返すとわかっていて、同じ轍を踏むつもりはベルンハルトにはない。ただ、ベルンハルトはルートヴィッヒをからかってみたくなった。
「それは前々から考えているが、なかなか見つからないのでね。最近見つけたのは、君の竜丁」
その瞬間、ベルンハルトの喉元にルートヴィッヒの右手があった。
「手を出すつもりはないよ。ルーイ。君の竜丁だ。ルーイ、落ち着け」
危うく、ベルンハルトを絞め殺すところだった自分の右手を、ルートヴィッヒは呆然と見つめていた。
「ルーイ、大丈夫かい」
ベルンハルトはルートヴィッヒの両肩をつかみ、たった一人の兄弟の、自分とよく似た顔を覗き込んだ。幼いころから、ルートヴィッヒは感情を抑え込むことが多かった。表情も乏しい。生き延びることそのものが、彼にとっては試練だった。過酷な日々が、ルートヴィッヒから表情を奪っていった。
ベルンハルトも必死だった。ルートヴィッヒを毒殺しようとする連中を妨害するため、わざと食事の皿をルートヴィッヒと取り替えたり、食事を彼に分けてやったりした。遠目に区別がつかないように、ベルンハルトと同じ色の服を着たりした。それが原因で、ルートヴィッヒと喧嘩もした。大怪我をして逃げてきた彼を、毒に侵され動けない彼を、部屋に隠して何日も看病してやった。侍女も侍従も誰も信用できなかった。
母、テレジア王妃は国政に忙しく、後宮で二人だけで戦うしかなかった。
刺客に追われ続けていたルートヴィッヒは、ある日、突然いなくなった。たった一人の兄が、とうとう殺された、死んでしまったとベルンハルトは嘆いた。一方で、貴族たちがルートヴィッヒを血眼になって探していたことに、希望をつないだ。
数ヶ月後、ルートヴィッヒは、突然戻ってきて、竜騎士になると言い出した。背筋が凍ったあの瞬間を、ベルンハルトは今も覚えている。竜騎士となるための訓練は過酷なことで知られている。竜騎士となっても危険と隣り合わせだ。竜に乗り空を飛び戦う竜騎士の姿に憧れる者は多い。だが、竜騎士は、地上で馬に跨がり戦う騎士よりも、過酷な立場だ。
乗り手を選ぶのは竜だ。何らかの理由で竜の怒りを買い、空中で放り出されて竜に殺される竜騎士すらいる。各国の栄誉を背負い、最前線で戦うため、負傷も絶えず、死ぬものも多い。だが、竜騎士となれば、その存在の希少さゆえに、同国人から狙われることは減る。それをルートヴィッヒが狙っていることまでは、ベルンハルトも分かった。
ベルンハルトの心配をよそに、ルートヴィッヒは、野生で捕らえられて以来、誰も近寄らせなかった暴れ竜を手懐け、トールという名前をつけた。厳しい訓練に耐え、竜騎士に任命され、精鋭である王都竜騎士団の一員となり、功績をたて、竜騎士を束ねる王都竜騎士団団長となった。
見習いとしての訓練中に幾度も刺客に襲われたらしいが、当時の王都竜騎士団団長のゲオルグが、竜騎士の実戦訓練だといって、ルートヴィッヒを助けた。訓練中、事故を装い殺されなかったのは、ゲオルグのおかげだ。
「ルーイ」
何度目かの呼びかけで、ルートヴィッヒは大きく息を吐いた。
「申し訳ありません」
「いや、私が悪かった。ルーイ。すまない。ルーイの大事な竜丁は、ルーイが大事にしたら良い。とらないよ。ルーイの竜丁だもの。大丈夫だ。ルーイ、私が悪かった。からかいが過ぎた。それに、そんなことをしたら、エドワルドが怒る。エドワルドは、お前の竜丁に伯母になって欲しいと言っている。私は息子の願いを無碍にするような父親ではない」
ベルンハルトは、竜丁の噂を初めて聞いたときのことを思い出していた。




