5)螺旋階段
薄暗い地下だ。見上げるアリエルからは、逆光になっているルートヴィッヒの表情がよくわからなかった。滅茶苦茶だとアリエルは言いたかった。ルートヴィッヒは、会話があまり得意ではない。仕事の話は出来ても、自分の思っていることや、要求を口に出すのが本当に苦手だ。
来年も料理が食べたいなど、求婚ではないか。嫁ぎ先の有無を気遣うようなことを言いながら、ここにいてくれというのは、矛盾だ。そもそも王都に来てから、この兵舎からほとんど出ていないアリエルに嫁ぎ先などあるはずがない。
ー私が離れたら死んでしまいそうな顔をしてー
アリエルは、北の砦で散々聞かされたトールの愚痴を思い出した。今、ルートヴィッヒはどんな顔をしているのだろうか。
「嫁ぎ先など、考えたこともありません。嫁ぐつもりもありません。私はずっとここで、今のように働いていたいです。もちろん、団長様がよければですが」
アリエルは一歩、ルートヴィッヒに近寄った。ルートヴィッヒが大きく息を吐いた。
「お前が良いなら、ここにいてほしい。お前の料理が食べたい。来年も、その先も、ずっと」
ルートウィッヒの手がそっとアリエルに近づいてきた。頬に手のぬくもりが感じられるほど近づいたが、手が頬に触れる直前、離れて行った。
「戻ろう。ゲオルグに棚を作ってもらうよう頼む」
アリエルの頬から離れて行った手を、ルートヴィッヒが強く握りしめているのが見えた。
「はい」
アリエルは傍らに立つと、強く握られたルートヴィッヒの手に、そっと触れた。ゆっくりと拳がひらく。アリエルは大きな手に自分の手を添えた。
「戻りましょう」
「あぁ」
ルートヴィッヒは、アリエルの手を握り返してくれた。
賭けとは、こういう気分になるものだろうか。ルートヴィッヒは自答自問した。ルートヴィッヒがそっと握り返しても、アリエルは手を振りほどかなかった。ここにいるという言葉に、どれほど安堵したか。己の胸の高鳴りが、アリエルに聞こえるのではと思った。小さな手だ。怖かった。何処かへ行ってしまいはしないかと、本当に怖かった。恐ろしかった。
ここに、いつまでいてくれるのか。アリエルは、竜丁の仕事だけでなく、王都竜騎士団の兵舎での生活を、大きく支えてくれている。ベルンハルトから押し付けられるルートヴィッヒの仕事まで手伝ってくれている。負担をかけていることは、わかっていた。今や、アリエル無しでは、兵舎での生活もルートヴィッヒの仕事も成り立たない。代わりになる者などいない。
ずっとここにいる。嫁ぐつもりもない。アリエルの言葉のどちらに安堵したのか、わからない。
螺旋階段を登りきる前に、ルートヴィッヒはアリエルの手を離した。
「兵舎に戻ろう。ゲオルグがいるはずだ」
兵舎の一室を、ゲオルグは大工仕事の工房にしていた。アリエルと手を繋いでいるところなど、部下に、特にハインリッヒに見られるわけにはいかない。
「はい」
アリエルは優しく微笑んでくれた。少し、寂しそうにも見えた。