19)竜の里帰り
高い山に囲まれるように砦があった。連なる山々の向こうには、万年雪を頂く山脈がある。
「あれが、パンドゥーラ山脈だ」
竜に乗ると、領地全体がよくわかる。代々の王都竜騎士団団長が授けられる名誉職のためのような領地だ。農地も少ない山岳地帯で、主な産業は山間部での牧畜だ。ここの価値は領地でなく、その先の山に住む生き物、竜にあった。
「野生の竜は、この山脈に住んでいる」
実際に、何頭かの竜が飛んでいるのが、遠目にも見えた。
「この国で、元野生の竜という場合は、すべてこの辺りの山脈で捕らえられた竜だ。トールの群れもいるはずだ」
この領地に来るたびに、トールは野生のままだったほうが、幸せだったのではないかとルートヴィッヒは思った。砦にいると、遠く山の向こうで竜達が呼び交わしている声が聞こえる。トールは、アリエルに山脈を見せるかのように、ゆっくりと旋回してから、砦に下りた。
「団長様、竜騎士様たちも、あの、竜が必ず戻ってくるから里帰りしたいと言ったら、行かせてやることはできますか」
その日の夕食でのアリエルの発言のあと、静寂が落ちた。竜騎士団の竜には元野生の竜が多い。ここが竜達の里であることは、全員よく知っている。
「家族とか、友達とかもいると思うのです。戻ってくる約束で、ちょっと行かせてやることはできますか」
重苦しい沈黙の中、口を開いたのはリヒャルトだった。
「家族とかに会いたいだろうなぁとは思うけどな、それで帰ってきてくれなかったらどうしようって思うんだ。だって、俺たち人間で、竜じゃないから。やっぱ仲間のほうがいいのかなとか、いろいろ心配になるよ」
リヒャルトの言葉に、元野生の竜に乗る竜騎士たちは頷いた。
「野生で自由に生きているのと、今、人間といて、いろいろ制約がある生活とだったら、野生のほうがいいのかなとか、思うからな」
竜騎士の言葉にアリエルは首を傾げた。王都にいるときでも、今でも、竜は逃げようと本気で思えば逃げられるのだ。特に王都にいる間は、警護も兼ね、竜は、日々の運動という言い訳のもと、竜騎士の宿舎周辺や庭を自由に闊歩していた。逃げるならば、もう逃げている。
「あの、皆さん、ご実家とか故郷とかおありだと思うのですが、帰りたいですか」
アリエルの言葉に、竜騎士たちが首をかしげる番になった。
「まぁ、たまには帰りたいけどな」
「ずっと帰りたいですか。つまり、竜騎士をやめて、戻られますか」
「いや、別に。こっちの方がいいし。実家に俺の仕事ないし。立場ないぞ。俺、次男だから」
「俺もなあ。ばあちゃんの顔は見たいけど、あの畑じゃ、ろくに穫れるもんないから、暮らせないよ」
「地方貴族の三男も、面倒な立場だ。女ならまだしも、男には使い道がない」
竜騎士たちが各自の事情を言うのをアリエルは、待った。
「多分、それと一緒だと思います。ね、ちょっとだけ、順番に行かせてあげるってできませんか。竜は帰ってきます」
アリエルはルートヴィッヒを見た。
「一日数頭ずつならばいい。各自、自分の竜と相談して決めろ」
「はい」
何頭かの竜は、飛び立っていった。自分の騎竜が戻ってくるまで、竜騎士たちは気が気ではなかったが、どの竜も三日程度で戻ってきた。
フレアの里帰りには、リヒャルトがついて行き、全員を驚かせた。
「いつもお世話になっていますって、お前の家族に俺も言いたいしさ、な、俺も連れていってくれ」と、リヒャルトは懇願し、フレアに乗っていった。
戻ってきたときも異例だった。
「あの、フレアに嫁がついてきました」
リヒャルトの言葉に、全員が耳を疑った。だが、確かにフレアの傍らに、見たことのない竜がいた。
「ついてきたの」
「多分、フレアの嫁です。そういうわけで、俺の竜の嫁がお世話になります」
リヒャルトは言ったが、どう返事をしたものか全員が戸惑った。首を絡めあい、親しそうな様子からは、リヒャルトのいうとおりの関係なのだろう。
ー嫁だ。確かにフレアの嫁だー
竜であるトールの言葉はアリエルにしかきこえない。
「そうね、お嫁さんね。私はここの竜丁です。よろしくお願いします」
「おめでとうと言うべきなのだろうな。竜がどういう祝い事をするかは知らないが」
アリエルとルートヴィッヒが、一番順応が早かった。
「ごめんなさい、あなたたち二人ともが入れる大きさの檻がないわ。お隣ならいいかしら」
そう言って、竜舎を歩くアリエルの後ろを、フレアの妻らしい竜はおとなしくついて行った。
「あれ、さっきまで野生だった竜ですよね」
通常、捕らえた竜が人間の指示に従うようになるまでは、何日もかかる。縄をかけ、体を固定し、言うことを聞かせるのだ。その間、負傷する人間も少なくない。それゆえ、竜丁は男の仕事であり、それなりに尊敬を集める職業だ。
「あの竜丁が、先例通りだったことはないだろう」
「あの竜、だれかを乗せますかね」
「俺の竜の可愛い嫁を、戦いになんて出せません!」
過保護な父親のようなリヒャルトの言葉に竜騎士たちは笑った。




