17)兄と弟3
「推測ですが、侯爵家本体は、エドワルド殿下が、後継者に課される教育に対して熱心であれば異論はないはずです。私の懸念は、王妃様が、殿下が竜丁と親しくされていることを、お気に召しておられないのではということです。端的に言えば嫉妬です。息子を盗られたという」
ルートヴィッヒは話題を戻した。亡き人を惜しむために謁見を申し込んだのではない。
女の嫉妬を侮ってはいけないと、護衛騎士は言った。特に、王妃は、国王の寵愛を失い、第一王子の母であるという事実にすがっているから、危険だというのが、彼らの意見だった。
「陛下におかれましては、次世代をエドワルド殿下御一人に、背負わせるのはいかがなものかと」
もう何人か子供をつくってくれ。正直な思いをルートヴィッヒは口にした。国王という重責を負うベルンハルトにも事情はあるのだろうが、王子が一人というのは、あまりにも大きな問題だ。
「あの女のように愚かであっては、将来エドワルドの重荷となるだけだ」
ベルンハルトはまた、王妃をあの女と言った。ルートヴィッヒは、王妃をさほど知っているわけではない。謁見や式典で顔を見るくらいだ。ルートヴィッヒを嫌っていることを隠そうともしない態度に、呆れたことはある。
王族の血を引きながらも、母の身分が低いため、国王に仕える道を選び、実力主義の竜騎士たちの中で最強となったルートヴィッヒは、竜騎士のみならず、一般兵士にまで人気がある。おかげで人前では、彼を愚弄するものはいなくなった。内心はわからないが、今、ルートヴィッヒに対して嫌悪をあらわにするのは、王妃くらいのものだ。
本来は王妃の責務である慈善事業の書類も、ルートヴィッヒに回ってきているのだから、少しくらい感謝しろと、王妃には言いたい。
アリエルにそれを言ったところ、自分の恥を知られたということで、逆恨みをされるだろうと言われた。女の考えることは分からんと言ったら、アリエルは笑った。ルートヴィッヒは、恥と思うならば、王妃が己の責務を果たせばいいと思う。だが、アリエルには、ルートヴィッヒのようには考えない人もいるのだと、真面目な顔で言われた。アリエルは時折、妙に悟ったような事を言う。
「では、あなたの望まれる賢い側室を迎えられたらよろしいでしょう」
彼の母が遠ざけた、他の王妃候補たちは、残念ながら、それぞれ別の貴族に嫁いでいた。
「それは前々から考えているが、なかなか見つからない。最近、賢そうな娘をみつけたが、他と縁があるようでね」
「さようですか。貴族に、賢い側室が欲しいといえば済む話ではありませんか。王家の跡継ぎ問題は、もはや私には関係ないはずです。陛下の剣と盾である私が、口出しをしないでよいように、よろしくお願いいたします」
ルートヴィッヒは、一礼すると去っていった。
「お前の身近にいるといったら、どうするのだろうね」
ベルンハルトの声は、誰にも聞かれなかった。
王領にある山村で、ルートヴィッヒの騎竜であるトールが女を気に入り、ルートヴィッヒがその女を竜丁として連れてきたという報告を聞いた時、ベルンハルトは己の耳を疑った。報告には、女が暴れ竜として名高いトールの手綱を持ち、トールの頭を撫で、犬のように可愛がっていると書かれていた。御前試合で、ベルンハルトも、王都竜騎士団の女竜丁の後ろを、気性の荒さで有名な竜達が、子犬のようについて歩いているのを見た。
王都竜騎士隊の兵舎に、女の竜丁がいるということが、城内から国中の貴族たちまで話が広がるのは早かった。探りを入れたものも多かった。だが、竜の世話をし、庭を掃除し、兵舎を掃除し、料理をする女の姿に、下働きという結論がそうそうに下され、女は貴族たちの関心から外れて行った。
次に女の話を聞いたのは、エドワルドからだった。エドワルドが語る竜丁の話は、貴族達の噂とは違った。何より、執務室で、あの気難しいルートヴィッヒの補佐をこなしているという話には驚いた。確かに、ルートヴィッヒから届く書類に、見慣れない文字が書かれたものがあった。ルートヴィッヒはベルンハルトと一緒に、教育を受けた。言葉数が極端に少ないが、彼の優秀さはよく知っている。ルートヴィッヒに回す書類を少しずつ増やしたが、問題なく彼はこなしていた。筆跡をみれば、誰か手伝うものがいることは明白だった。エドワルドの言う通りならば、あの竜丁は、王族の仕事を手伝うことができる。
そんなある日、エドワルドが、内緒だと言って嬉しそうに教えてくれた。もしかしたら竜丁は、伯母上になってくれるかもしれないと、嬉しそうだった。ルートヴィッヒは、女を竜丁と呼び、女はルートヴィッヒを団長様と呼ぶ。互いの呼び方はそっけないが、そのときの目線が違うというのだ。特にルートヴィッヒは、とても優しい目をしていると、エドワルドは得意気に報告してきた。
「従兄弟が楽しみです」
かつて、ベルンハルトは、エドワルドに、弟も妹も諦めるようにと言った。そのうちに、エドワルドは両親の事情を察したのか、何も言わなくなった。
「エドワルドは、伯母上か、継母上か、どちらがよいだろうね」
その声は、誰にも聞かれることのなく、消えていった。国王たるもの、王妃は外交、内政から見て釣り合う相手を選ばねばならない。だが、側室となると、個人の裁量が入り込む余地はありえた。
「噂だけではね」




