13)団長達
翌朝、鍛錬場に行く前、ルートヴィッヒは厨房に寄った。
「団長様。昨日はありがとうございました」
微笑むアリエルはいつもの通りのようだった。
「大丈夫か」
「はい。昨日はたくさん休ませていただきましたし」
「今日も無理はするな。とはいえ、料理か」
料理は手を使う。昨日も見たが、アリエルの両手の傷はまだ治ってはいなかった。
「水を使うことは、マリアがやってくれていますから。大丈夫です」
アリエルは微笑んだ。
「一段落するのは昼か。執務室に来い。手当てしてやる」
ルートヴィッヒの言葉に答えたのは別の声だった。
「いいえ。お坊ちゃま、マリアが手当いたしますから、お坊ちゃまは引っ込んでいてください」
「マリア」
「お嬢様、こんなやましいことを考えそうなお坊ちゃまなど放っておいていいのです。マリアがちゃんと手当てしてあげますからね」
「マリア、昨日から私の扱いがひどくないか」
「当然でございます。可愛いお嬢様ですからね。お坊ちゃまは、さっさと鍛錬にでもなんにでも行かれてください」
「本当にひどいな。マリアは。まぁ、手当は任せた」
ルートヴィッヒは引き下がった。
ルートヴィッヒの乳母だったマリアは王妃派ではない。そのマリアが、アリエルからルートヴィッヒを遠ざけようとするならば、彼女なりの理由があるのだろう。アルノルトのいうように、立場を忘れたかのように見えるのだろうか。
「なぜだ」
国王にはならない。何度叫んだかわからない。臣下に下り、王位継承権も放棄した。それなのになぜ、この身に流れる血の因縁が付きまとってくる。
鍛錬場に着くと、アルノルトがいた。
「一年ぶりだ。本気で貴侯と手合わせをしたい」
アルノルトの手には、刃をつぶした剣があった。
「喜んで」
ルートヴィッヒは答えた。何もかも忘れたかった。
両者、手加減なしの戦いとなった。軽口を叩くこともない。刃をつぶしてはいても金属だ。刃がぶつかり、火花が飛び、互いに服は割け、かすり傷も負っていた。部下たちが凝視しているが、気にならなかった。ルートヴィッヒのほうが優位だったが、決め手に欠けていた。頭の中で木霊する昨夜のアルノルトの声を、ルートヴィッヒは、振り払い、距離を詰めた。
突然、派手な音がした。二人は互いに距離を取り、そちらを見た。器が散らかった中に、アリエルが立ち尽くしていた。
「竜丁、どうした」
ルートヴィッヒはさっさと試合を放り出し、竜丁のもとへ向かった。アルノルトも剣を部下に預けた。
「団長様、殺気が」
「ただの手合わせだ」
「だって、団長様、いつもと違いました」
「アルノルト殿相手だ。本気でないと、こちらが負ける」
「だって、殺気がすごくて、お二人ともお怪我を」
「かすり傷だ」
「だって、だって、怖いじゃないですか。お二人、本気でしたよね。殺気だってましたよね。刃つぶしていても大怪我することあるっておっしゃってたじゃないですか、お二人ともお怪我して、それにその服、だれが繕うと思ってるんですか」
目に涙を溜めて、喚くように叫ぶアリエルの肩に、ルートヴィッヒが宥めるように手を添えた。
「わかった、泣くな。落ち着け。訓練だ。練習だ。ちょっと本気で手合わせをしただけだ。年一回くらい、いいじゃないか。そんなに泣くな、怒るな」
「泣いてません!」
「わかったから、竜丁、落ち着け」
ルートヴィッヒは訓練場の片隅の椅子にアリエルを座らせた。
「竜丁殿は、先ほどのようなラインハルト侯を、氷の竜侯の本気を見たのは初めてか」
アルノルトの言葉にアリエルが頷いた。
「鍛錬はともかくな。いざという時は、殺さないと殺される。そういう時もある。ラインハルト侯が、刺客相手に苦労しておられたことは知っているか」
「少しだけ聞きました」
「アルノルト殿」
止めようとしたルートヴィッヒをアルノルトは無視した。
「私も詳細は知らん。だが、見習いの時から、ラインハルト候は異様に強く、実戦慣れしていた。竜丁殿、怖かったかもしれないが、そのくらい怖くないと、ラインハルト侯は、生き残れなかったろう。怖かったのは仕方ない。だが、侯を怖いとは思わないでやってくれないか」
「はい。弱かったら亡くなっていたと思います」
アリエルの言葉は単刀直入で、遠慮などなかった。アルノルトとルートヴィッヒは苦笑した。竜騎士たちは顔を見合わせた。先ほどのような本気の団長達の相手など、自分たちに務まるとは思えなかった。
「そうだな。二人とも、腕がなまったら困るから、ちょっと二人で本気の試合をしたい。竜丁殿は、怖いだろうから、帰ると良いだろう」
アルノルトの言葉にアリエルは頷き、ルートヴィッヒを見た。
「団長様、負けたら嫌ですよ。ちゃんと勝ってください」
「わかった」
アリエルの言葉に、ルートヴィッヒが答えた。
「竜丁殿、私の味方はしてくれないのか」
「私の雇い主は、団長様であって、アルノルト様ではありません」
「残念だ。氷の竜候が嫌になったら、いつでも南においで。南は暖かいぞ。竜丁殿であれば、いつでも雇ってあげよう」
「ご冗談を。夏はここよりはるかに暑くて、死にそうだと言っておられたではありませんか」
不機嫌を隠そうともしないルートヴィッヒに、アルノルトは肩をすくめた。
「竜丁、帰っていろ」
「はい」
竜騎士たちが集めた器を受け取り、アリエルは出て行った。
「では、初めから」
二人は鍛錬場の中央に戻り、試合を仕切りなおした。
帰ったふりをしたアリエルは、窓の外から試合を見ていた。竜騎士たちは、黙ったまま、アリエルが二人を見ることができるように、場所を移動してくれた。
真剣勝負だった。稽古用の剣だが、二人の試合はその言葉を連想させた。互いに容赦ない攻撃を放つ。互いの攻撃を避けるや否や、次の攻撃に移る。アリエルは、前に木剣を手にしたルートヴィッヒと杖で手合わせをしたことがあった。先日も、稽古用の槍を持ったアルノルトと、杖で手合わせをした。いずれの時も相手が本気でないことは、アリエルにもわかっていたが、それでも武人の二人の相手は怖かった。今の殺気を見ると、二人が手加減をしてくれていたことがよくわかる。
あの日の養父もそうだった。一度も見たことのない殺気を放ちながら、盗賊を相手に戦っていた。
本気の今、彼らが放つ殺気は、それを向けられていないとわかっていたが、アリエルは怖かった。激しい打ち合いが続いた後、ルートヴィッヒの突きが、アルノルトを捉えていた。
「勝者、ラインハルト侯」
審判らしい誰かの声がした。
「きゃっ」
ほっとしたアリエルは窓を覗くために乗っていた踏み台から落ちてしまった。
「竜丁」
声を聞きつけたルートヴィッヒが瞬く間にやってきた。その後ろにはアルノルトもいた。二人とも汗をかき、試合直後のためか息が荒かった。
「お前、何をしていた。怖いなら、帰れといったはずだ」
「怖かったけど、見ていました」
尻もちをついていたアリエルに、ルートヴィッヒは手を差し伸べた。素直にその手を取ってアリエルは立ち上がった。
「なぜ」
「大事なことだと思ったのです」
「大事なこと?」
アリエルの言葉をルートヴィッヒは繰り返した。
「団長様が強いために、ちゃんと強い方と真剣な稽古をなさることは大事なことです。だから、ちゃんと見ていようと思いました」
アリエル自身、見ていようと思った自分の気持ちをあまり理解できていなかった。説明するのは難しかった。
ただ、ルートヴィッヒが、強くあり続けるため、彼が守ろうとする誰かのために、鍛錬している事実から目を背けてはいけないと思ったのだ。
「そうか」
ルートヴィッヒは微笑んだ。それなりに通じたらしい。
「ラインハルト侯、せっかくの機会だ。うちの五人と手合わせしてくれないか」
アルノルトの言葉にルートヴィッヒが振り返った。
「アルノルト殿、貴殿が、こちらの五人と手合わせしてくれるのならば、それに応じますよ」
「無論だ」
「あと、水浴びをしたいので、少しお待ちいただきたい」
「おぉ、そうだな。さすがにこの汗は流したい」
団長二人は、井戸に向かった。




