2)誕生祝い
ルートヴィッヒとアリエルは、執務室で、いつものように夕食後のお茶の時間を過ごしていた。片付けなければならない書類を一度、机の隅に寄せ、二人でお茶を飲む。あまり会話がない。わずかな時間だが、二人だけの静かな時間だった。
「団長様」
アリエルは用意していた籠から、出来上がったハンカチを一枚取り出した。ルートヴィッヒのために刺繍したものだ。王都竜騎士団の竜と剣を絡めた紋章と、ルートヴィッヒのイニシャルを、王都竜騎士団の象徴の黒一色で刺繍した。
「あの、お誕生日の贈り物です。遅くなりましたけど、お祝いと、お世話になっておりますから、お礼です」
驚いたようにルートヴィッヒがアリエルを見つめていた。
「私に」
少し掠れた、小さな声だった。
「はい」
ハンカチをそっと受けとったルートヴィッヒは、白い布に刺繍された紋章を見つめ、そっとイニシャルに手を触れた。
「お誕生日のお祝いと、お世話になっておりますお礼です」
アリエルは用意していた言葉を繰り返した。
「そうか」
ハンカチを見つめていたルートヴィッヒが、ゆっくりと顔を上げた。
「ありがとう」
「お礼を申し上げなければならないのは、私ですから」
ルートヴィッヒは、ハンカチを丁寧に畳み、そっと左の胸ポケットにしまった。アリエルは微笑んだ。表情も言葉もあまり豊かとはいえないルートヴィッヒが、大切にすると示してくれる態度が嬉しかった。
「お守りになると、ゲオルグさんに聞いたので、御前試合に間に合ってよかったです。マリアさんに教えてもらいました」
「お守り? 」
「はい。エドワルド殿下のお誕生日に、刺繍したハンカチをお渡ししたら、とても喜んでくださって。そしたら、ゲオルグさんが、刺繍したハンカチはお守りで、今でもマリアさんから最初にもらったのは大切にしていると教えてくれました。だから、もうすぐ試合だと聞いたので、頑張って作りました」
アリエルは籠の中身を見せた。
「皆さんの分もあるのですけど、これ、いつ渡したらいいでしょう」
「そうだな。明日の朝、訓練の時に持ってきてもらってよいか。やる気も出るだろうから」
「はい」
お茶を飲んだ後はいつも通り、書類仕事をした。ルートヴィッヒは、区切りがついたところでアリエルを部屋まで送ってやった。一人、部屋に戻ったルートヴィッヒは、左胸のポケットからハンカチを取り出した。
「お守りか」
嬉しかった。誕生日の祝いなど、もらったことはなかった。お守りになると聞いたから、という気持ちもうれしかった。部下の分まであったことに、がっかりした。贈り物をもらうのは自分一人ではないのだと思った自分が狭量だと思った。
子供の頃、まだ穏やかな日々を過ごしていた頃も、庶子のルートヴィッヒの誕生日を祝おうという者などいなかった。ルートヴィッヒの誕生日を、ベルンハルトに聞かれたとき、多分ベルンハルトより二日ほど前だと答え、多分じゃ、お祝いができないから困ると文句を言われたくらいだ。
ルートヴィッヒの誕生日を祝いたいと言ったベルンハルトに、まともに取り合った大人はいなかった。元気をなくしたベルンハルトを慰めたら、泣かれてしまった。ルートヴィッヒを大切にしようとしてくれるベルンハルトに申し訳なくて、謝ったら、ますます泣かれてしまった。ルートヴィッヒにとって、誕生日の思い出など、それくらいしかなかった。
女性が想い人に、刺繍したハンカチを送るとは聞いたことがあった。だから、妻や婚約者から贈られる刺繍されたハンカチを、お守りとして大切にする者は多い。ゲオルグがどう説明したかわからない。部下全員の分まで用意しているとなると、アリエルの言葉通り、お世話になっているお礼だろう。
「お守りか」
マリアは、ルートヴィッヒの記憶にある限り、乳母だった。針子だったことを知ったのは、最近だ。マリアは、ルートヴィッヒが子供の頃に着ていた服を、仕立て直し、アリエルに着せている。気づいたときには驚いたが、マリアもアリエルも頓着しないようだった。
ハンカチには、王都竜騎士団の紋章と、ルートヴィッヒのイニシャルが白い布に大きく黒い糸一色で刺されていた。そっと折りたたみ左胸のポケットにいれた。刺繍の手ほどきをしたのはマリアだろう。マリアは何を思って教えたのだろうか。
マリアも、ルートヴィッヒの身に、半分だけ流れる王族の血がもたらしたいざこざを知っているはずだ。
「いつになったら、終わるのだろう」
苛烈な日々を思えば、今は風が凪いでいるに等しい。だが、今も火種は消えていない。ときに、息が詰まった。