幕間 護衛騎士の両親3
どんな苦労をして、ヴォルフがあの山村にあった神殿にたどり着いたのかはわからない。この屋敷から歩いていくにはあまりにも遠い距離だ。毎年、空を見上げて竜騎士が飛ぶのを見るのを楽しみにしていたというが、それは自分を探してくれていたのだろうか。ヴォルフが、ルートヴィッヒが竜騎士になったことを知っていたかどうかもわからない。
生きている間に、会いたかった。
「帰りましょう」
「あぁ。そうだな」
別れの挨拶をして離れを辞した。私に招かれたと言えば大丈夫よとマリアは笑い、また来てねとアリエルの手を握った。
ヴォルフの話を聞くことができた礼を言うと、マリアは礼を言うのは自分の方だと笑った。
「養い子であるあなたを見ていたら、あの子が不幸でなかったことがわかるもの」
マリアはアリエルに優しく微笑みかけた。
「また、ぜひいらしてくださいな」
「それは」
どうしたものかと思ったルートヴィッヒは、小屋の影に目を止めた。人の影が地に落ちていた。室内でも感じていた気配の正体のようだった。
「下がってください」
人影とマリアの間に自分の体を割り込ませようとしたときだ。
「あぁ、大丈夫よ。夫ですもの」
マリアは何でもないことのように言った。
「ねぇ、あなた、そんなところで聞き耳を立てていないで、出ていらっしゃいな」
マリアの言葉に現れたのは、本当に伯爵だった。
「夫は素直じゃないの」
アリエルが、ルートヴィッヒを盾にするかのように移動した。
「ほら、あなた、こんなに怖がらせてしまって」
ルートヴィッヒは、いつでも剣を抜けるようにしていた手の構えを解いた。誰かいるとは思っていたが、伯爵とは予想外だった。
「勝手に客人を招くなと、言っておいたはずだ」
「えぇ、でも、その通りにしますと、お返事した覚えはありませんよ」
伯爵の不機嫌な声にも、マリアは動じた様子もなかった。
「男を連れ込むなど」
「まぁ、こんな年寄りが相手では、可哀そうでしょうに。息子より若い子ですもの。特にお嬢さんは、私からしたら孫のようなものよ。あの子の養い子ですもの。また来てくれたらうれしいわ。孫の代わりに可愛がるくらい良いではありませんか。娘も欲しかったけれど、授かりませんでしたし」
「勝手にしろ」
「えぇ、勝手にさせていただきますわ。ですからまた、私のお客としてきてくださいな」
伯爵は不機嫌そうに顔をしかめ、マリアは、朗らかに笑った。
伯爵は、マリアの言葉を否定することはなかった。不本意ながら、来訪を認めているということなのだろうか。ルートヴィッヒは解釈に困った。だが、アリエルはうれしそうに笑い、マリアの手を取り訪問を約束し、伯爵に礼を言った。
ヨハンは、いつでも飛び立てるように鞍も手綱もつけた竜を連れ、心配そうに待っていた。
「遅くなった。すまない」
「いいえ。何事もなかったようで、何よりです」
二人の視線の先では、アリエルがトールの首に抱き着いていた。
「何をしているのだか」
「まぁ、さっきより元気そうだし、いいじゃないですか」
アリエルは、二人に聞こえないように、トールに囁いた。
「司祭様のお父様、ちょっぴり怖かったけど、優しい方かもしれない。お母様も優しかったの」
ーそうか。“独りぼっち”も先ほどよりは、ましなようだなー
「団長様が何考えておられるかとかわかるの」
ーわかるというと、違うだろうな。さっきは、心が裂けそうになっていたのがわかったくらいだ。涙を流して泣けばいいものをー
「大人は、あまり泣かないわ」
ー“独りぼっち”は、子供の時から泣かないー
「まぁ」
「竜丁、飛ぶぞ。トールの首から離れてこちらにこい」
アリエルは振り返り、鞍に跨るルートヴィッヒにかけより両手を伸ばした。アリエルの腰に回されたルートヴィッヒの腕の力が、いつもより強かった。
孫にならないかと言われたとき、隣にいたルートヴィッヒの体がこわばるのが分かった。あの怖い伯爵と同じ敷地内で暮らすなど、想像しただけで恐ろしく、アリエルは断った。安堵したかのように、ルートヴィッヒの体から力は抜けた。しがみついていたアリエルの手にそっと触れ、そこにいることを確認するかのようだった。
ルートヴィッヒが調べた伯爵家の事情は複雑だった。本妻との間に息子はいたのだが、数年前に病死していた。既に亡くなった本妻との間の一人息子だった。今、伯爵家を継ぐ者はいない。親類から養子を迎えようとしているようだったが、親類もなかなか男子を手放そうとはしなかった。ヴォルフが生きていれば、彼が面倒がっていた継承権が手に入ったのだ。
ヴォルフには何度か、王位継承権を押し付けられたことをからかわれた。彼なりの気遣いだったのだろうとは思う。彼が生きていたら、異母弟の病死により手に入った継承権で、慌てる姿を見ることができただろうと思う。残念だった。
もし、アリエルをヴォルフの母が孫として引き取れば、誰かを婿に迎えるための花嫁に仕立て上げることもできる。ヴォルフの教育をうけたアリエルの教養は、貴族として、通用する程度ではあった。女性貴族ならではのことは教えられていなかったが、その分、剣や短槍を教わっていた。女児に何を教えていたと、ヴォルフに少し呆れたが、短槍をヴォルフに教わることのできなかったルートヴィッヒは、アリエルが少し羨ましかった。
特に命じても居ないのに、トールがゆっくりと屋敷の上を旋回しはじめた。
「トール、どうした」
庭に立つ二人が見えた。伯爵とヴォルフの母だ。立ったままこちらを見上げている伯爵と、手を振るヴォルフの母マリアが見えた。
大きく手を振ったアリエルに、マリアが一層大きく手を振ったのが見えた。
「まさかな」
伯爵の手が、小さく動いたように見えた。
「団長様、お手紙を書いてもいいですか」
「あぁ」
何度も受け取ってもらえなかった手紙のことが、頭をよぎったが、楽しそうなアリエルの声に禁止する事もできなかった。
ルートヴィッヒの心配をよそに、アリエルとヴォルフの母マリアは、季節の折々に手紙を送り合う仲となった。




