幕間 護衛騎士の両親2
ー何かあったようだなー
トールの言葉にアリエルは頷いた。何も言わないが、ルートヴィッヒが辛い思いをしていることはわかっていた。
ー“独りぼっち”は泣きたくても、泣かない。やせ我慢ばかりだ。だから、人間は、この男に残酷だ。“独りぼっち”に感情がないかのように扱うー
アリエルはトールの首筋に抱きつき、頷いた。
「とても悲しいことがあったの」
アリエルは、そっと誰にも聞こえないように囁いた。
「竜丁、乗れ」
ルートヴィッヒに呼ばれ、アリエルは乗せてもらうために振り返った。
「お待ちください」
女性の声がした。
「あの、ヴォルフ様の消息をご存じとお伺いしました。私の主人が、ぜひお会いしたいと申しております。お時間をいただけませんでしょうか。離れに、ご足労をいただけませんでしょうか」
「離れということは」
ヴォルフからは、彼の母は離れに暮らしていると聞いていた。
「はい。私の主人は、ヴォルフ様のお母上に当たる方です」
「司祭様のお母様」
アリエルの小さな声に、ルートヴィッヒは申し出を受けることにした。
離れは、庭の一角にある小さな家だった。
「申し訳ありません。ご足労をいただきまして」
穏やかにほほ笑む女性がいた。
「息子の消息をご存じと、お伺いしました。家を出てからのことは、何もわかりませんの。教えていただけませんか」
女性はマリアと名乗った。
アリエルの話す、司祭としての彼の日常は、ルートヴィッヒにとっても新鮮な話だった。山村での穏やかな暮らし、たまにあるちょっとした村の揉め事から、村同士の揉め事まで幅広く仲裁をした。若い男女の仲を取り持つこともあった。ヴォルフの母というマリアは、彼女のもとを去ってからの息子の話を楽しそうに聞いてくれた。
「息子の話を聞けて良かったですわ。ね、お嬢さん、あの子の養い子というなら、私にとっては孫のようなものよ。ここで、私の孫として、一緒に暮らしてはいかが」
思いがけない話に、アリエルが息を呑むのが分かった。また、ルートヴィッヒの腕にしがみつくアリエルの力が強くなった。
「私は、この離れで一人で暮らしているの。私の孫として、一緒に暮らしてはどうかしら」
離れに追いやられているとはいえ、貴族の妾の孫の一人としてくらせば、さほど不自由はないだろう。少なくとも、王都竜騎士団の竜丁として働くよりも楽な生活は待っているだろう。今、アリエルが、竜丁として働き、料理をし、小さな畑を耕し、鶏の面倒を見ていた。ルートヴィッヒの執務を手伝ってくれてもいる。忙しくさせてしまっていることは分かっていた。
マリアの申し出は、今、アリエルを養っているルートヴィッヒから見れば、突然の勝手な申し出だ。ルートヴィッヒが申し出を拒否することもできた。声が出なかった。勝手な申し出は止めてくれといいたかった。だが、下働きとしての今より、彼女の提案する生活のほうが、幸せであろうことなど、ルートヴィッヒにも予測はできた。
「司祭様のお母様。お申し出はありがたいのですが、お断りさせていただきます」
「まぁ。残念ですこと。でしたら、また、遊びに来てくれるかしら」
アリエルの言葉に、マリアは穏やかに笑い、ルートヴィッヒは呪縛からのがれたように、ようやく息をついた。どうしたらいいかといいたげにアリエルが見上げていた。
「お申し出はありがたいのですが」
伯爵が許可をしてくれるとは思えなかった。
「大丈夫よ。夫は素直でないだけですもの。だからあの子と喧嘩してね」
マリアは目を細め、かつてのことを語ってくれた。
自らをかばって負傷した護衛騎士の見舞いにも来ない傲慢な王族、庶子のくせに王位継承権を得たことでつけあがってと、ルートヴィッヒを罵った伯爵をヴォルフは諫めたという。王宮内で、あの方がどれほどつらい思いをしておられるか、大変な日々を送っておられるか、あなたが知らないだけだ。あの方は、王位継承権など望んでいない。そもそも、無理やりあの方を王宮へ連れてきたのは、貴族だ。あの方の本意ではない。そう叫んだ息子のヴォルフに、伯爵は出て行けといった。
ルートヴィッヒが送った手紙は、伯爵は受け取りを拒んだが、執事が手を回して侍従に受け取らせ、ヴォルフに届けられていたという。ヴォルフは返事を送ろうとしたが、父親である伯爵の目を盗んで侍従を使うことまでは、できなかった。
手紙を受けとるな、返事を書くことは許さないという父親と、返事を出させろというヴォルフは、何度も揉め、父はヴォルフに、繰り返し出て行けと叫んだ。
傷が癒えたころ、本当にマリアの息子、ヴォルフは出て行った。剣とわずかな身の回りの物だけを持っていった。
「お言葉通りにいたしますという、置手紙だけがあったの。ほとんど何も持たずに出ていったわ。あなたからのお手紙だけは、全部持っていったの」
彼が戸棚の奥に隠していたのは、ルートヴィッヒがかつて送った手紙と、彼の傷を止血しようとした時のハンカチだった。
「そうでしたか」
何か気の利いたことを言えればよかった。だが、ルートヴィッヒは気の利いた会話など得意ではない。それは弟のベルンハルトの特技だった。礼も詫びも言わせてもらえなかった。ルートヴィッヒはこみあげてくる涙を抑えた。彼らから、息子を奪った自分に、彼の死を悼むことが許されるとは思えなかった。
「団長様」
アリエルが、ルートヴィッヒの顔をハンカチで触れた。
「どうした」
目に溜まろうとしていた涙が、ハンカチに吸い込まれていくことが分かった。アリエルが悲しそうに笑った。
「随分と、長居をさせていただきました。ご迷惑をおかけしてもいけません。遅くなれば、みなが心配します。帰りましょう」
アリエルの言葉に、ルートヴィッヒは頷いた。