19)執務室2
ルートヴィッヒはベルンハルトに、釘を刺しておきたいことがあった。
「陛下、私は侯爵家の領地など不要です。第一、貴族が反対するでしょう」
「いや、ルーイ以外に適任はいないよ。西に睨みを利かせることもできるし」
西方竜騎士団がいかに弱体化していようとも、王都竜騎士団団長であるルートヴィッヒの領地が西にあるのであれば、西の隣国への牽制にはなる。
「身に余ります。私には、それほどの才覚はありません」
侯爵家の領地は広い。かつ侯爵の統治に問題がありそうなことは、以前からわかっていた。貧民街で侯爵家の領地を出身地とする者達から、故郷の窮状を訴えられていた。片手間に解決できる問題ではない。
「ルーイに無理なら、誰にも出来ないよ」
悪政を敷いていた貴族の領地など望まない。そもそも、ルートヴィッヒは領主になどなりたくない。
「買い被りです」
ルートヴィッヒの言葉に、ベルンハルトがそっぽを向いた。
「いつもの兄弟喧嘩ですから、気にしなくても大丈夫です」
剣呑な兄弟の様子に首を傾げたカールに、アリエルはにこやかに告げた。罰の悪くなった兄弟は顔を見合わせた。
マーガレットは、やや険悪な兄弟の雰囲気をものともせず、有能な侍女らしく茶を淹れている。エドワルドは、どの菓子を食べようかと考えていて、へそを曲げているベルンハルトのことなど気にしていない。
「カール、報告を聞きたい。詳細を聞く間もなかった」
「カール、今まで何をしていた。よい時に現れてくれたが」
兄弟に同時に問いかけられ、カールは苦笑した。
「いや、候と陛下はやっぱ似てるねぇ。侯爵家を張ってた。絶対に何かあると思ったからな。数週間前から、明らかに貴族じゃねえ連中が出入りしてた。貧民街で何か企んでいるのはわかった。貧民街で何か計画していると陛下に知らせた。殿下の慰問で何かする気だと思ったんだ。慰問を先送りにしたのに、まだ人が出入りしているからおかしいと持ってたら、あの火付けだ。まさか、陛下の誕生祭の日にそんなことすると思ってなかった。一応、やつらを追いかける前に、火事だと叫んで、近くの家の戸を叩いておいた。すぐに人も出てきたから何とかなるかと思ったけど、結構広がっちまった。でも、俺一人じゃあ、両方の対応はできなかったよ」
カールは俯いた。
「お前のせいではない。火付けは侯爵の命令だ」
「でも、家がたくさん燃えたし、人も死んだ」
「他にどうしようもなかった。後から文句を言う者は、何もしていない者だ」
自ら行動しない者、責任を取る気のない者ほど、口だけは達者だ。人の上に立つ者は、あのようであってはいけない。ルートヴィッヒもベルンハルトも、亡くなったテレジアに何度もそう教えられていた。
「少なくとも、お前は私を助けてくれた。ありがとう」
ルートヴィッヒの言葉にカールは顔をあげた。
「俺、役に立った?」
「勿論。そうでなくば、危うく私が火付けの犯人にされるところだったのだから」
「そっか、そっか」
カールは嬉しそうに笑った。
「俺は、殿、じゃねぇ候の役に立ったか」
「それともう一つ、陛下、カールから侯爵家について報告を受けておられたようですね」
ルートヴィッヒは、ベルンハルトに笑顔を向けた。目が笑っていない。
「えっと、いや、ルーイ、ほら、慰問をしばらく中止にしたら大丈夫と思ったんだ。ほら、ルーイはいろいろ忙しいし」
「聞いておりませんが」
ルートヴィッヒは笑顔のままだ。
「だから父上は、慰問を中止されたのですね」
エドワルドは、剣呑な雰囲気を漂わせながら微笑むルートヴィッヒを落ち着かせようとしたのだろうが、上手く行っていない。
「それを言うなら、僕だって、竜丁ちゃんが狙われているなんて、知らなかったよ」
ベルンハルトは、彼の切り札を切った。
「陛下にご心配をいただくことではありません」
ルートヴィッヒはいつものように突っぱねた。
「え、どういうことですか」
アリエルは驚いた。
「ルーイはね、君を誘拐する計画があるって知っていたのに、僕に言わなかったんだよ」
ベルンハルトは、アリエルを味方につけるため、ルートヴィッヒの秘密主義を訴えた。
「私も聞いていませんけど」
ベルンハルトの言葉に、アリエルが隣のルートヴィッヒを見上げた。
「すまない。怖がらせたくなかった。まさか火災など予測していなかったから、すぐに助けたら大丈夫だと思っていた。王妃をその場で捕らえるつもりだった」
ルートヴィッヒは、アリエルから責められることを覚悟したが、アリエルは溜息を吐いただけだった。
「陛下も団長様も、お互いに、相手を気遣って隠し事をしている場合ではありません。ちゃんと話し合ってください」
「父上もラインハルト侯も、私にはいつもきちんと報告するようにとおっしゃるのに」
アリエルとエドワルドの言葉に兄弟は顔を見合わせた。
「全部ルーイに頼るのは悪いし」
「国王である陛下の責務を増やすのは、憚られます」
兄弟二人以外、全員が嘆息した。
「本当に、お二人はそっくりでいらっしゃいますね」
アリエルは隣に座るルートヴィッヒを見上げた。
「団長様のほうが、数日とはいえ、お兄様ですから、お手本を示しましょう。今回の件、いったい何をご存じだったのですか」
ルートヴィッヒの口元にわずかに力が入った。ベルンハルトが満面の笑みを浮かべた。
「団長様の次は陛下の順番ですから。御覚悟くださいませ」
ベルンハルトの笑みは一瞬で消えた。




