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19)子供の事情

 相変わらず、竜丁と呼ばれる日々が続いていた。一人、マリアだけが、お嬢様と呼ぶ。様はさすがに違うと主張したが、マリアは呼び方を変えてくれなかった。


 何と呼ばれようと、王都竜騎士団専属の便利屋が、アリエルの実態になりつつあった。


 肉体的にきつく、筋力も体力も必要とされる竜丁の仕事は、竜達が自主的に手伝ってくれるから、楽をさせてもらっていた。その分、マリアを手伝っていた。早朝に竜と一緒に竜舎の仕事を片付ける。竜に乗って訓練する日は、竜を外に出してやる。鞍と手綱は、ほとんどの竜騎士が自分でつけた。アリエルは時に手伝うだけだった。


 竜騎士達は、日中は訓練の合間に、朝食と昼食と間食を簡単に食べる。この軽食はマリア一人でもなんとかなる。ゲオルグ作成の蒸し器が大活躍した。


 問題は、訓練後の夕食だった。温かいものを、みなたくさん食べた。夕食後は、台所の片付けを手伝ったあと、休憩だった。ルートヴィッヒが忙しいときは執務室に呼ばれていた。いつの間にかほぼ毎日、ルートヴィッヒの執務室で書類仕事をするようになっていた。


 一番忙しいのは午後の夕食の仕込みだ。その日も、アリエルは厨房でマリアと二人、ひたすら下ごしらえをしていた。


「竜丁。何をしているんだ」

聞きなれた声がした。

「殿下、こんにちは。お料理の下ごしらえです。丸のままでは料理もできませんし、食べられませんから、準備をしているのです」

アリエルは手を止めずに答えた。

「お前が持つものはなんだ」

「ジャガイモです」


 王族の子供だ。見たことがないのも無理はない。アリエルは、エドワルドの後ろを見て気づいた。

「殿下、護衛の方は」

国王陛下の許可が降りてから、エドワルドは週一回程度、竜舎にやってきていた。特に何をするわけでもなく、アリエルにくっついて回っていることが多い。庭の片隅で育てている香草の水やりを王子にさせてよいのかと思うが、本人がやりたがるからいいと思うことにしている。


 護衛の騎士は数人、少なくとも一人は必ず付き添っている。竜騎士団の警備の都合上、護衛はある程度固定してほしいと、ルートヴィッヒが申し入れてくれた。その護衛達は、竜達に面通しした。竜達は、興味なさそうに、騎士達をぎろりと一瞥しただけだった。


ーこの者たち以外は、不審者ということでよいなー

トールの言葉にアリエルは頷いた。

「通常、竜は乗り手以外には、あのくらいの愛想だ」

ルートヴィッヒの言葉に、他の竜騎士たちもうなずいていた。最初から懐かれたアリエルは相当例外らしい。


「皆さんのことは、竜達も覚えました。もし、万が一違う方がいらっしゃる場合は、事前にご連絡ください。ご連絡をいただかない場合は、竜達に不審者として対応されます」

そのアリエルの言葉に合わせて、竜達が一斉に、護衛騎士達を見た。護衛騎士達は、儀礼的な笑顔をひきつらせた。普段から、竜達は人が来たことを、何らかの合図で、竜騎士達に教えてくれる。アリエルには、詳細まで伝えてくれる。アリエルはそういう意味だったのだが、彼らは別の意味にとったらしい。めんどうだから、あえて否定していない。


ー人を食ったりはしないのだがなー

トールの言葉にアリエルは笑った。極端に顔色の悪かった護衛騎士は、きっとそれを恐れていたのだろう。


 そんな護衛が誰もいなかった。

「置いてきた」

そっぽを向いて言った様子に、アリエルは察した。

「殿下、彼らが止めるのを無視して、無理やり来ましたね」

「だって」

「護衛の方々が心配しますよ。一度、戻りましょう。お送りしますから」

「もうちょっとここにいる。せっかく、おいて来たのに」

アリエルは手を止めた。約束が違う。だが、エドワルドは賢い子供だ。そう理由なく約束を破るとも思えなかった。


 茶を用意し、エドワルドの斜め前に座った。

「殿下、今日はどうされました。いつもはちゃんと、お約束通り、先ぶれもよこしてくださいますし、護衛の方と一緒にいらっしゃるではありませんか」

エドワルドも、約束を破ってしまったことは反省しているらしく、しおらしい。

トールは、ルートヴィッヒを“独りぼっち”と呼ぶ。立場は違うが、王族で、背負うものがあるエドワルドも独りぼっちなのかもしれない。


「行ってはだめと言われたんだ。母上に。父上は、許可をしてくださったのに」

アリエルが国王と王妃に関して知っているのは、もはや二人に子供は望めない夫婦関係になっているらしいということだけだ。


「法律も、算術もちゃんとやっている。だから、父上は週二日くらいはいいと許可をくださったんだ。それなのに母上に禁じられた。勝手な行動は許さないとおっしゃっておられるそうだ」

ご両親は教育熱心であり、父親が甘く、母親が厳しいのだろう。よくある話だ。

「今日は歴史の教師が来る。歴史なんて面白くない。死んだ者の話なんて何の役に立つ」


 エドワルドの言葉は、アリエルには心外だった。過去、それぞれの時代に必死に生きた人たちの物語の集合体が歴史である。歴史があって今があるのだ。村娘から竜丁になったアリエルはこの国の歴史など何も知らない。建国の歴史、周囲の国の関係など、王都竜騎士団の成り立ちも知らない。どこかと戦争になったら、竜騎士たちも前線に行くだろう。そんなとき、相手の国の歴史や文化を知っておいた方が、絶対に戦争の役に立つ。


 殿下が歴史の先生の授業にご興味がないなら、私が代わりに、と言いたかった。だが、それはエドワルドのためにはならない。


 いずれ国を治める王子に、どうやって関心を持たせたらよいのだろうか。アリエルは少し考えた。

「殿下、歴史は面白いですよ。歴史は、過去の人たちの成功と失敗の記録です。過去の賢君の業績を知れば、殿下がいずれ、御統治なさるとき、きっと参考になります。時代が違えば、風俗も周囲の国との関係も異なるでしょう。同じことはできません。でも、賢君の行いをたくさん知っておけば、きっと殿下の参考になります。逆に、愚かと言われた方々の歴史を知れば、同じことをなさらないようにすることもできます。あるいは、時代によって、評価が変わることもあります。愚王といわれた王が、死後賢君と称えられることもあるのです。歴史を知り、賢君がなぜ賢君である理由、あるいは愚王が愚王である理由、それを知れば、きっと殿下のご治世は素晴らしいものになります」


「竜丁はそういうが」

アリエルが考えた説明に、エドワルドはそっぽを向いた。似たようなことを言われたことがあるのだろう。


「私も勉強したいくらいです。村娘の私は、この国とその周辺の国の戦争と講和の歴史を知りません。王都竜騎士団で竜丁をしている以上、この国と周辺国との関係は、私にも関係あるはずです。ちゃんと知っておきたいのに、知る方法がなくて。地理も知らないので大変困ります。歴史と地理は必須です」


 やる気がないなら、代わって勉強してやるとアリエルは言いたかった。

「竜丁に関係あるのか」

「歴史的にどこの国との友好関係があるのか、ないのかは、重要です。寒い国との戦争なら、寒さに備えた装備を用意しておく必要があるでしょう。暑い国ならば、暑さ対策ですね。遠い国なら移動中の食料をどうするかとか、場合によって備えるものは違いますから」

「そういうものか」

「そうです。過去を踏まえ、今を見て、未来を予測し、対策を立て、よりよい未来を手にいれるための、予備知識です」


 自然と、アリエルの言葉に力がこもった。エドワルドが嫌なら、代わりに教えてもらいたい。ルートヴィッヒの立場を考えると、少なくとも今のこの国の政治状況と、国際関係は教えてほしい。だが、忙しいルートヴィッヒに聞くのは気が引けるし、ハインリッヒには毛嫌いされているし、リヒャルトには興味がないと断られてしまった。


 教育をうける機会など、なかなか無い。噂話と大差ない歴史でなく、きちんとした事実に基づく情報など手に入れることは困難だ。養父はアリエルにいろいろと教えてくれたが、専門家ではなかった。


「そうか。今日は帰る。邪魔したな」

「いいえ。えらそうなことを申し上げてすみません。お送りしましょう」

二人並んで歩いていた。竜騎士団で安定して雇ってもらうためには、この国が内政外政とも安定している必要がある。現状と過去を知りたいが、情報網は噂と、吟遊詩人が担っており、公共性も信頼性もない。特に、アリエルが暮らす王都竜騎士団の兵舎は部外者の出入りがほぼなく、アリエルが会うのは限られた商人だけだ。情報がなさすぎる。


 対して、エドワルドは正規の情報に触れることができる。アリエルは好奇心に負けた。

「あのですね、殿下。もし、殿下にとってご面倒でなければ、この国の歴史と地理を、私に教えていただけませんか。他に教えてくれそうな人が誰もいないのです」

「ラインハルト侯がいるだろう」

「これ以上、団長様のお仕事を増やしたら、申し訳ないです。あ、でも、殿下にそんなことをお願いしたら、申し訳ないですね。団長様におこられてしまうかも」


 エドワルドが、いたずらっぽく笑った。

「大丈夫だ。秘密にすればいい」

遠くから、彼の護衛がこちらに向かって走ってくるのが見えた。

「まかせろ。僕がお前に教えてやる。候には内緒だ」

子供は秘密が好きだ。

「よろしくお願いします。秘密にしましょうね」

アリエルの言葉に、エドワルドは笑った。


「最近、エドワルド殿下がかなり勉強熱心になったそうだな。国王陛下が喜んでおられたぞ。竜丁、お前何か言ったか」

二人で、執務室で夕食を食べている時に、ルートヴィッヒがいった。王宮からの書類が増えたため、ここしばらくは、ルートヴィッヒは、午後の訓練を副団長達に任せ、ほぼ執務室にこもりきりで、アリエルもそれに付き合っていた。


「先日、計算を手伝ってくださいました。学んでいることが役立つと分かって、やる気になられたのではありませんか」

アリエルは答えた。エドワルドが内緒で歴史を教えてくれていることは、秘密にしておきたい。子供は秘密が大好きなものだ。


 先日現れたエドワルドは、二人がいた執務室に入ってきてしまった。ルートヴィッヒは何か言いたげだったが、説得して帰らせる時間も惜しかったらしく、エドワルドに椅子を用意した。監査の書類を扱っていたので護衛は部屋の外で待っていてもらうことにした。


 その日は、本当に余裕がなかった。エドワルドがいても、かまう余裕のないルートヴィッヒとアリエルの鬼気迫る様子に、エドワルドは自分も何か手伝うと言い出した。これ幸いと、アリエルは検算を頼んだ。跡継ぎ教育として、加減乗除は教えられているだけあって、エドワルドは計算間違いをきちんと指摘することが出来た。ルートヴィッヒとアリエルにお礼を言われ、エドワルドは得意げだった。


 そういう経験をしたら、勉強に熱がはいって当然だろう。

「勉強していることの有用性や、面白さを知ったら、勉強する気にもなりますよ。訓練でもそうでしょう。素振りだけ考えると、面白くないでしょうが、その先にある剣技を知れば、やる気がでるのではありませんか」 


 エドワルドは賢い子供だった。跡継ぎ教育に対して熱心とは言い難かったが、その意義が見えていなかったからだ。意義が分かれば熱心になった。


 国王は執務に忙しく、エドワルドにあまり構う時間はないようだった。王妃はただ、彼に命令するだけらしい。ある程度勉強しないと、勉強する意味、その先にある楽しさ、面白さには気づけない。ちょっと経験させてやり、説明してやると、エドワルドにはちゃんと理解する賢さがある。エドワルドが勉強熱心でなかったのは本人のせいではない。


「おそれながら」

アリエルは声を潜め、手招きした。ルートヴィッヒが体を寄せてくる。

「この国では、女性はあまり、勉強しないのですか。もしかして、王妃様ご自身は、あまり、かと思ったのです」

息子に勝手を許さない等という、支配的な態度から、王妃は、学ぶこと、知識を得ることの楽しさを知らないのではないだろうかとアリエルは疑っていた。


 ルートヴィッヒの目が鋭くなった。

「ここだけの話だ。王妃候補は他にもいた。本来、最もふさわしいとされていた方は、病でなくなってしまわれた。才媛だった。他、二人も才女だったが、前の王妃が気に入らなかった。今の王妃は、前王妃の侯爵家との縁続きである伯爵家の娘だ。王妃になるための教育を受けていたとはいいがたい。王妃の仕事は後宮の管理と、外交の補佐、慈善事業だ。後宮はいまだに、前王妃の実家である侯爵家からきた侍女頭が牛耳っている。外交は、着飾って挨拶させて、あとは、関わらせないようにしているそうだ」

「前王妃様は?」

「前王妃は、エドワルド殿下が二歳の時に亡くなられた。政務にあまり熱心でなかった先代の国王の時代、国を支えたのは前王妃と、その父親である侯爵だ」


 おそらくは、前王妃は、自分にとって使いやすい娘を嫁にして、権力をふるうつもりだったのだろう。予定外に早く亡くなってしまったらしい。

「亡くなった方の、なされたことについての意見は、黙っておきます」

アリエルは書類に目を戻した。為政者として、息子の結婚相手には使える嫁を選んで欲しかったと思う。


 国王が別人と結婚したら、もともと候補だった才媛達の誰かと結婚していたら、エドワルドは生まれない。それはさみしい。だが、才媛たちの誰かと結婚したら、後宮の管理も、外交の補佐も、もっと素晴らしくこなしてくれただろう。国王陛下のご負担も減っただろう。国王には会ったことはないが。本来は王妃のものである慈善事業の書類が、ここにある理由もなんとなくわかった。


「ただ、これが減る未来もあったのかと思うと、何か言いたくなりますね」

監査の書類には、前の王妃の侯爵家に関するもの、今の王妃の伯爵家に関するものが、半分以上を占めていた。何か怪しいのに、決定的な証拠がなく、苦労していた。貴族ではあるが、他の貴族との血縁関係がないルートヴィッヒは、監査役として都合がいいと、国王に認識されているらしい。


「相手は、本職でしょうね」

両一見問題ないが、なにかと違和感がある書類が多かった。

「負けませんよ!」

竜丁の言葉に、ルートヴィッヒは微笑んだ。

「そうだな、物語の英雄みたいになるのだろう」

そういって、思い出したのか、肩を震わせて笑い出した。笑い声を出さないように我慢しているらしいのが余計にアリエルは腹が立った。


「もう、ひどいです。なんで、そんなに笑うのですか」

「あぁ、すまん。気にするな」

笑い声を抑えているが、普段笑わないルートヴィッヒが、アリエルのことを大笑いするのは、あまり気持ちのいいものではなかった。部下の前では厳格な態度をとり続けるルートヴィッヒが、たまに笑うのはいいことかもしれない。だが、アリエルのことで笑うのは、面白くなかった。


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