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3)地下

 アリエルは、湿っぽい、何もない、冷たい場所にいた。

「すまない」


 突然、ハインリッヒは振り返るとそう言い、それにアリエルが答える前に、何かとてつもなく臭い匂いのする布で口を覆われた。気づいたらここ、見知らぬ場所である。湿っぽく、黴臭く、寒かった。


 閉じ込められているが、剣帯と剣はそのままアリエルの腰にあった。高い位置にある窓から、月明りが差し込んでいた。窓に草の影があるから地下牢なのだろう。三方は石壁で、残る一つは鉄柵だった。鉄柵の扉のようになっている部位には鍵がかけられていた。試してみたが、鍵は開かなかった。扉の向こうには階段の踊り場だ。奇妙な構造だ。階段一つに地下牢一つしかない。


 竜舎の地下にある地下牢とは違う構造だった。


 地下牢は寒かった。冬だ。アリエルを凍死させるつもりなのだろうか。


 なぜ、武器になりうる剣を取り上げられていないのだろう。考えてみてもわからなかった。


 普段であれば、アリエルが一人になることはない。表立っては護衛騎士や竜騎士が付き添い、影もついてくれている。だが、今日は国王ベルンハルトの誕生祭で国中が騒がしい。影は、貴族が集まる宴会場を警備しているだろう。そんな日に、王都のどこかでの火災だ。竜騎士も出払ってしまっていないはずだ。


「すまない」

ハインリッヒは言った。彼が手駒にされることがないように、彼の妹のマーガレットは王宮の執務室付きにした。だが、結局、彼は駒にされてしまったらしい。彼には男爵家を継いだ兄がいる。旧王妃派だった男爵家の存亡をかけ、ハインリッヒを脅すことくらい可能だろう。男爵家の次男である彼には彼の領地や領民に対しての責任がある。


 ハインリッヒはルートヴィッヒを敬愛している。ハインリッヒも可哀そうだ。見習いの頃からの気心の知れたハインリッヒに、結果として裏切られたルートヴィッヒはどう思うのだろうか。


 普段であれば、ルートヴィッヒやトールが、他の竜騎士達や竜がアリエルを助けに来てくれると思えた。だが、王都の火災だ。規模は分からないが、空は赤かった。冬の乾燥した気候では、火の回りも早いだろう。今晩は風が弱かった。強風に変わらないことを願うしかない。


 アリエルは石牢の隅で膝を抱えた。アリエル一人を助けるために、火災現場を離れる余裕などないだろう。ルートヴィッヒはそういう人だ。現場の最前線で指揮を執っているだろう。逆に、アリエル一人のために王都の火災現場を放り出したら、アリエルは、ルートヴィッヒを許すことなどできない。そんなルートヴィッヒはルートヴィッヒではない。


 アリエルにできるのは、湿った黴臭い地下牢で体力の消耗を防いでひたすら待つことだけだ。火事が鎮火するまでの間に、アリエルが死ななければ、きっと助けに来てくれる。


 どこかで嗅いだことのある匂いがした。臭い。牢の黴臭さを消し飛ばすくらい臭い。顔を上げる前から、アリエルは誰が階段を下りてきているかわかった。シャルロッテだ。


「良い様ね」


 アリエルは顔を上げなかった。耳をすませた。足音が止まった。そのあとから止まった足音が一人分。顔を伏せたまま目を上げると予想通り、シャルロッテと護衛らしい一人の男が見えた。護衛は、アリエルが見慣れている竜騎士や護衛騎士達に比べると貧弱な体格だった。多くてもシャルロッテが命令できる騎士は三人までだ。見ていない一人が生きているならばだが。シャルロッテに仕える三人の伯爵家の騎士のうち、二人がここにいない。


「聞こえているの」

アリエルは無視した。

「そうしていられるのも、今のうちよ。この水牢にいずれ水がくるわ」

シャルロッテの言葉に驚いたが、アリエルは顔を上げなかった。


「溺れ死ねばいいのよ。あの目障りな男の母親も、冬の川に落とされて死んだそうよ。いい気味だわ。母親も女も二人とも溺死、うまくすれば、この火事であの男は焼死よ。いい気味だわ」 


 趣味の悪いシャルロッテの言葉に、その後ろに控える男がどう反応したか、見えなかった。何よりも、初めて聞いたルートヴィッヒの母親の最期が悲しかった。そんな殺され方をしたのかと思うと、会ったこともない人だが可哀そうだった。ルートヴィッヒが聞いたらなんと思うだろうか。


「ずいぶんと余裕ね」

そんなものはない。ただ、シャルロッテが、くだらない優越感を募らせるようなことをしたくないだけだ。


 滝の様な水音がした。右側の壁の穴から水が流れ落ち始めていた。シャルロッテの言う通り、水牢らしい。自分が水には浮く自信はあった。天井まで水が届いたら終わりだ。それまでの間に、きっと助けに来てくれる。そう信じるしかなかった。助けに来てくれるまで、落ち着いて浮いていないといけない。


 まだ、大丈夫だ。時間はある。水牢は意外と広かった。満ちてくる水に恐怖を感じさせるためなのだろうか。天井に水が届くまで、時間はかかる。

「命乞いくらいしたらどうなの」


 アリエルは立ち上がった。髪を三つ編みにして広がらないように縛った。服を確認した。濡れていずれ重くなるから、ある程度脱がないといけない。足元に水抜き用らしい穴が見えた。取り込み口は広く、人一人くらい通れそうだった。おそらく、水を抜いたついでに死体も流し去る構造だろう。


 水が満ちてくる間、どうやって安全に浮き続けるか考える必要がある。

「命乞いをしろと言っているのよ」

アリエルはシャルロッテを無視した。

「生意気な。覚えていなさい」


 喚きながらシャルロッテは、靴音を響かせて出て行った。喚き声が聞こえなくなるまでの時間は短かった。地下牢から地上へと続く階段はさほど長くないのだろう。声が聞こえなくなり、静かになったことを確認してから、アリエルは剣を抜いた。月明りをうけて冷たく光る。ルートヴィッヒに言われた通り、きちんと手入れをしているから、切れ味は保たれているはずだ。剣の仕上げの研ぎは、イグナーツが父親に、最高級の研ぎを依頼してくれた。


 仕上がりを見たルートヴィッヒが、自分の剣もイグナーツの父親に頼んだから、相当良い仕上げをしてくれたのだろう。

 

 アリエルは階段を見た。あの王妃は絶対にもう一度来る。あの性格だ。命乞いを聞きに来るはずだ。ただじっと、助けを待つだけでは、剣を下賜してくれたベルンハルトにも、稽古をつけてくれた護衛騎士や竜騎士にも、取り計らってくれたルートヴィッヒに申し訳ない。


 アリエルは鉄格子に触れた。


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