2)国王の誕生祭
「国王陛下、この度はお誕生日おめでとうございます」
繰り返される上奏の言葉に、ベルンハルトはにこやかに応じていた。年に一度のベルンハルトの誕生日を祝う宴、誕生祭である。警備の最高責任者であるルートヴィッヒは、華やかな宴の席でなく、外で警備にあたっていた。
王宮の侍女となったマーガレットも、給仕の一人として参加していた。護衛騎士達も広間のあちこちに控えていた。
竜丁あるいは書記官でしかなく、平民のアリエルは参加できる身分ではない。一人になるのではとマーガレットは心配したが、竜舎に泊まるから大丈夫だとアリエルは笑った。
「その日はトルナードと寝ます。カールさんがなかなか戻っていらっしゃらないから、さみしがっていますし」
竜騎士でもないのに、当然のように竜と寝るというアリエルにマーガレットは驚いた。ルートヴィッヒが特に何も言わない以上、珍しいことでもないのだろう。
徐々に空が暗くなる。今日は王都のあちこちで宴が開かれているはずだ。犯罪も増えるため、騎士団は警備隊と市街地の警備にあたっている。
宴の日が近づくにつれ、執務室に緊迫感が漂っていた。マーガレットは、昨年まではただ、楽しんでいただけだ。世間知らずだった自分が恥ずかしかった。アリエルだけが、緊迫感を気にした風もなく、兄弟たちに変わりなく接し、それが二人を和ませていた。
「だって、本気で手合わせをされている時の団長様の殺気に比べたら、大したことありませんから」
微笑むアリエルに、書記官たちだけでなく、護衛騎士までもが尊敬の眼差しを向けていた。
目の前の仕事に、集中しなければならない。マーガレットは、もう何度目かわからなくなったが、料理の載った皿を手に取った。
遠くで笛の音が響いた。特徴的な音に、ベルンハルトとエドワルドが顔を見合わせた。
突然、武装したままのルートヴィッヒが、バルコニーから、宴会場に入ってきた。耳障りな鎧の音をさせながらルートヴィッヒは跪いた。
「陛下、王都で火災です。詳細な場所はこれから特定します。場所が分かり次第、竜騎士に連絡させます。騎士団の指揮を、非番の騎士団に出動の準備のご命令をどうかよろしくお願いいたします」
「わかった。ラインハルト侯」
ルートヴィッヒはベルンハルトの返事を背にバルコニーに戻り、宙へ跳んだ。翼が風を切る音が聞こえた。
宴の場は騒然となった。
「は、たかが貧民街が燃えているだけで、大げさな。不謹慎だ。祝いの場に、たかだが貧民の火事の話など」
マーガレットの耳に、侯爵の声が聞こえた。
貴族達の声が広がっていく。
しばらく前であれば、マーガレットも、ルートヴィッヒの行動を、宴の席を汚す無粋なものと思っていただろう。だが、王都の民は国王の民、ベルンハルトの民である以上、ルートヴィッヒがその民のため動くのは当然なのだ。たとえ貧民街に暮らす者であっても、ベルンハルトは自分の民だと言った。
特に、エドワルドの慰問に同行するルートヴィッヒが、貧民街を見捨てるとは思えない。
「皆の者、落ち着け。今日の宴はいったん中止だ。また、日を改めて祝おうぞ。火災というならば、市中は騒がしかろう。今日は王宮で休むとよい。私は王都に住まう私の民のため、宰相代行とともにせねばならないことがある」
国王の声で、場が静まった。
「王都で火災など、恐ろしい」
「場所を特定したら、竜騎士が連絡すると言っておられましたが、宰相代行殿自らが、火災現場に向かわれるのか」
「どこかしら。屋敷は無事かしら」
「王都竜騎士団団長として、緊急事態に現場で指揮を執られるのか」
「一体どこが、燃えている」
「宰相代行がそんな現場に」
「最強の竜騎士とはいえ、火が相手では」
貴族の囁き声にマーガレットは、驚いた。手に何も持っていなくてよかった。慌てて宴の場を離れようとしたが、王宮勤めの他の侍女に見つかってしまった。
宴の場の片付けが終わった後、マーガレットは騎士団の宿舎に向かっていた。ルートヴィッヒが火災を鎮めるため空を舞うような日に、ベルンハルトが寝台で安寧をむさぼるわけがない。侍女がこんな場所を歩いていることに、驚いたような顔で見るものもいたが、特に呼び止められることもなかった。ルートヴィッヒに騎士団の指揮をと言われた以上、ベルンハルトは騎士団の宿舎にいるはずだ。
「マーガレットさん、あなたがなぜここに」
護衛騎士の一人に声をかけられた。
「陛下にお伝えしたいことがあります」
「今は火災の件で、陛下は」
「えぇ、ですから、そのことです」
「ご案内しましょう」
どうしても伝えねばならないことがあった。
侯爵が漏らした不自然な一言を、国王に伝えなければならないのだ。




